2010年06月18日
ドストエフスキー「 白痴 」はブログ文学だ!?
写真はドストエフスキー。
2010年06月15日(火)
「 完 」
正に 「 完 」。
完全燃焼 ー !!
いやあ〜。何度途中で挫折するかと思った事か。
毎晩、湯船に浸かりながら、
糠床に漬かりながら( 嘘、嘘 ! )
1ページずつ、少しずつ少しずつ読み進めて行った事か。
日数が空いてしまうと、また数ページ戻って読んだりもして、
ゴールに辿り着けるとは、二へドン自身が信じていませんでした。
読めたねー。 読みきったねー。 充足感!!
この小説を読み進めている間に二へドンが強く感じた事。
それは、「 白痴 は、ブログ文学だ!」 と言う事なんです。
たまたまドストエフスキーが生きている間にはインターネットが無かっただけ。
もし、ドストエフスキーが、インターネットのある時代に生まれていたら、
彼は絶対にブロガーになっていたと思うのです。
だって、彼は、ただの「 物語 」を語ってはいないのです。
「 小説 」 という場を借りて、自分の意見を長々と披瀝しているのです。
小説の場をインターネットに置き換えて見れば、一目瞭然です。
ドストエフスキーは、別に主人公のムイシュキン公爵とナスターシャの事を書きたかった
のではなくて、事件に対する自分の感想や、社会に対する自分の意見を書きたかった
のです。
近頃の小説は、ストーリーを展開させる事ばかりですよね。
薄い本が増えたのは、そういう理由だと思います。
100年前の小説は皆、ぶ厚かった。
何故ならストーリー展開 プラス 作者の「 ブログ記事 」 が加味されていたから。
ヴィクトル・ユゴーの「 ラ・ミゼラブル 」は、ジャン・バルジャンの話だと、大抵の日本人は
思っているけれども、実はあの小説は壮大な都市建設の論文なのだと唱える学者の本を
チラッと読んだ事が有ります。
「 白痴 」 を読んで、ブログ文学の臭いを強く感じ取った二へドンは、
この「 ラ・ミゼラブル イコール 都市建設論文 」 も、さも有りなんと感じられます。
二へドンは、ティーンエイジャーの時から、ドストエフスキーが好きだと他言して来ました。
じゃあ、さぞかしドストエフスキーを読破したのでしょうねえ、なんて言わないで下さい。
「 罪と罰 」 1冊読んだ切りだったのです。
中学生の時に読んだ「 罪と罰 」 が余りにも強烈だったので、他の作品を読もうなんて
気持ちは無くなってしまいました。
二へドンに取っては、「 ドストエフスキー イコール 罪と罰 」 で充分だったのです。
だから今回読んだ「 白痴 」はドス先生の作品の中で2番目に読んだ本と言う訳です。
深く後悔の念に苛まれたのは、
「 何故、この作品を、もっと若い頃に読んでおかなかったんだ!? 」 という事です。
二へドンが高校生の時に、この「 白痴 」 を読んだら、どんな感想を持ったのでしょうか?
人間と言うのは面白いもので、「 三つ子の魂百まで 」 が真実の反面、
ガラリと変わる部分も有るのです。
この、「 変わらない部分 」 と 「 変わる部分 」 がアメーバの様に蠢きながら、
じゃあ今後、自分はどうなって行くのかは、全く先が読めない。
多分、30年前の自分だったら、この小説は、全く理解不能だったのではないかしら?
うーん。 30年前の自分の脳を再構築出来ない・・・・・・・・・。
恐らく、登場人物の誰をも理解出来なかったかもしれないし、理解出来た振りをしたかも
しれない・・・・・・・。
理解出来た振りをした場合、どんな感想で自分を騙したのか、それを知りたいな。( 笑 )
今は、この「 白痴 」の登場人物1人1人に、凄い親近感を持てます。
ドストエフスキーが、作中人物に与えた性格や、言動は、実に普遍的で生き生きとしています。
二へドンは苦も無く、作中人物にそっくりな人間を、この現実世界から探し出す事が
出来ますよ。
そして、作中人物の全ての人が、クセが有ろうと無かろうと、病気であろうとなかろうと、
全て愛おしく感じられるのです。
一体ドストエフスキーと言う人は、社会に嫌悪感を抱いていたものの、人間を非常に愛して
いたのではないかと思う程、人物描写に愛が感じられる筆致です。
物語の冒頭は、11月下旬のペテルブルグ・ワルシャワ鉄道の3等車の中から始まります。
病気療養の為、4年間スイスに滞在していた主人公レフ・ムイシュキン公爵と、後に彼の
恋敵になるラゴージン、ムイシュキン公爵の友人となり、最後まであれこれ世話を焼いた
レーペジェフの3人が乗り合わせ、会話をする所から始まるのです。
二へドンは高校の頃、世界各地を旅行するのが夢で、シベリア鉄道に乗るのも素敵だと
思っていました。 海外旅行ツアーのカタログを毎日眺めて過ごしていました。
そんな二へドンは、この列車の中のシーンはゾクゾクします!
多分、他の人が読んだら、面白くも無いシーンだと思われるでしょうね。
二へドンがモスクワからレニングラード( 当時の名称 )まで夜行列車に乗った時の
実体験をベースに、この列車内の様子を思い描くと、車輪がレールの継ぎ目で立てる
音が耳に聞こえ、ロシアの大地の変化に乏しい景色が目に浮かぶ様です。
だらだらと丘が連なり、中途半端な林が散在し、空はどんよりと曇り、
同じ広大でも、アメリカの広大さとは、まるで違う景色は、始めてそれを見る者には
得も言われぬ感慨を与えてくれます。
Posted by ニヘドン at 01:43│Comments(0)
│読書
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