2008年08月07日

バンコクの伯母さん

 写真は「 バンコクの伯母さん 」が10年以上住んでいたバンコクの高級住宅( 1軒家 )の玄関先。


昨日見た映画 「 闇の子供たち 」。
「 問題作 」 なんて一言で片付けられる物では無かった。
一晩経って、やはり二へドンに取って、今まで見た映画の中で最大の「 意味の有る映画 」だった。

あの映画は、画面に映し出された全ての物が真実だった。
映画撮影用のセットなど1つも無かった。
ハリボテの作られたものなど1つも無かった。

屋台のテーブルや、赤いプラスチックの椅子も本物だった。
二へドンが言わんとしている事がお分かりだろうか。
「 本物 」 と言う意味は、映画撮影用に調達されて来た物ではなく、
ロケが始まる直前まで、実際のお客さんが屋台で食事をするのに使っていたと言う「 重み 」。
物にだって、魂が宿る。
お店に並べられている新品の椅子にはまだ魂は宿っていない。
ただ新しいだけで、何の面白みも無い。

でも、「 椅子 」 として使用され始める内に、その椅子は「 物質界 」では有りえない「 もの 」を帯び始める。
毎日、何十人、何百人という人々が腰を下ろす事によって、腰を下ろした人々の情念が椅子に移って行くのだと思う。
その「 もの 」 を、どう言う言葉を使って表現すれば良いか分からないが、
物を使った人の「 精神の残滓 」が染み込んで行った 「 もの 」。
それを、人間は感じられるはずだ。

映画に出て来た屋台の赤いプラスチックの椅子からは、紛れも無く、その「 もの 」が発散されていた。
映画撮影用に新しく買って来られた物質では無かった。
映画のスクリーンの端々から、タイに住む人々の「 精神の残滓 」が匂い立っていた。
映画やインターネットが出来ない事がある。
「 匂いを出す事 」 と、「 風を送る事 」だ。
例え機械で、匂いを出す事をしてみても、それは映画館で出した匂いであって、現地の匂いでは無い。
例え機械で、現地と同じ風力を起こしてみても、それは現地から吹いて来る風では無い。

「 闇の子供たち 」 が秀逸なのは、その現地の匂いと、現地の空気が、「 リアル感 」たっぷりだった事だ。
あの映画を「 フィクション 」だと思って見た方は、感じられなかったかもしれない。
しかし二へドンは、スクリーンに登場する全ての物に 「 リアル 」を感じてしまったから、
「 闇の子供たち 」 がドキュメンタリーに思えて仕方が無いのだ。

映画に、ちょろっと写る、街角の路地。 あるある。 あんな路地だらけなんだ、タイって国は。
タイ人の女性を隣に座らせてオープンカフェで時間を潰す白人達。
プーケットでは日常茶飯の光景だ。
いるいる。 あんなフランス人来てるよ。 ああ。 あんなドイツ人もいたいた。
うんうん。 あんなイギリス人も見た事あるよ。

スクリーンいっぱいから流れて来る「 リアルな重さ 」 に押しつぶされそうになって、
二へドンはタイの話を書かなければならないと痛切に感じた。
そうだよ。 私だって、「 見た事を書かなければ! 」。

と言う訳で、今日は昔語りをしたいと思う。 
それは母の兄弟の物語。

母は4人兄弟だった。
長男の伯父。 長女の澄子(すみこ)伯母、次女が二へドンの母・利子(としこ)、三女が三枝子(みえこ)だ。
家は、父方が13人兄弟だった事も有り、「 おばさん 」 と声を掛けると10人以上が振り向くので、
皆、下の名前で呼び合っていた。
二へドンも小さい頃から、年上の伯母を掴まえて「 澄子さん 」「 三枝子ちゃん 」と呼んでいた。
自分の母親ですら、「 利子ちゃん 」と呼んでいたからね。

伯父が嫁をもらった。 それが、「 バンコクの伯母さん 」だ。
バンコク在住15年になったら、もう「 バンコクの伯母さん 」意外に呼び名があるだろうか?
バンコクの伯母さんに取って、3人の小姑達は、一緒に暮していなくとも、目の上のたんこぶだった。
頻繁に集まる親戚一同の中で、「 バンコクのおばさん 」がストレスを溜めているのが、子供心に分かった。
澄子さんは、○○組の姐御みたいなタイプだった。
「 私の言う事は絶対にお聞き! 」 的な態度だった。
澄子さんは、自分が嫁ぎ先で、姑に虐められたので、その腹いせに、「 バンコクの伯母さん 」に辛く当たった。
三枝子ちゃんは、末っ子なので、幼い時より「 我が儘 」で通っていて、何でもズケズケ言うタイプだった。
間に挟まれて育った利子ちゃんは、大人しく、思った事も何も言わない人だった。
利子ちゃんの胸の想いの聞き役は専ら二へドンだった。

「 バンコクの伯母さん 」は当然、大人しくて文句を言わない利子ちゃんに好意を持った。
その長女である二へドンに優しく接してくれた。
バンコクの伯母の家に遊びに行くと、「 三枝子には内緒だよ 」と言いながら、タイの民族調のスカートなんぞをプレゼントしてくれた。 
利子ちゃんにも、「 これはパーティーで何度も着ちゃって、もう着て行かれないから 」 と言って、
美川健一のステージ衣装かと見紛うばかりのド派手なタイシルクのドレスやスーツをあげていた。
祖母がバンコクで倒れた時、二へドンと利子ちゃんが呼ばれたのも、語学の問題なのではなく、
澄子さんや三枝子ちゃんには頼りたくない、と言う伯母の反抗だったのだ。
( このエピソードについては、8月6日「 映画・闇の子供たち 」の中で触れています。)

長年、小姑軍団と戦ったので、伯母の「 気の強い 」部分が全面に押し出された。
澄子さんも、三枝子ちゃんも、その伯母の気の強さを嫌った。
( 自分たちの方がよっぽど気が強いのに・・・・・。)
母は、そんな姉妹達をなじるでもなく、伯母をかばう訳でもなく、典型的な日本人の対処の仕方をした。
分かり易く言うと 「 どっちつかず 」 の態度を見せていた。

人間の心や性格は複雑で、決して「 あの人はこういう人 」、「 この人はああいう人 」と決め付けられるものではないはず。
その人のどの部分が表面に出るかは、相手の出方しだいだと思う。
攻撃的な態度に出る人に対しては、心は開きにくいし、
いつもニコニコ接してくれる人に対しては、思わずこちらもにこやかな顔を見せるだろう。
相手の態度は、自分の鏡だとつくづく思う。
相手を嫌な奴だと思ったら、それは自分が相手の嫌な部分を引き出してしまっているはずなんだ。
  

Posted by ニヘドン at 08:11Comments(0)一族の歴史