2011年10月23日
全世界空手道選手権大会 2011
2011年10月23日(日)
東京体育館で行われた
全世界空手道選手権大会を見に来ました。
薬屋さんの販売プロモーション会場や、
イベントの宴し物とかでしか空手の演技を見た事が無かったので、
正式な空手の試合を生で見るのは生まれて初めての経験です。
横浜から行くと、千駄ヶ谷は新宿乗り換えが良いのか、
東京乗り換えが良いのか悩みましたが、
運良く湘南新宿ラインが直ぐに来たので新宿駅で中央線に乗り換えました。
やっぱりこれが大正解でした。
新宿駅からたった4分で千駄ヶ谷駅でした。
そして千駄ヶ谷駅の改札を出たら、目の前が東京体育館でした。
体育館前の広場は、フランス革命でバスチーユ広場に群集が集まっているかの様でした。
開場が09:00。
試合開始が10:00。
ニヘドンが千駄ヶ谷の駅に着いたのは10:05。
皆、てっきり体育館に入ってしまったかと思ったのに。
そそくさと窓口に行って入場券に引き換えます。
さあ、それからが大変でしたよ。
入場券を持った人達の長蛇の列が、
広場をうねうねうねうね…。
日光のいろは坂だって、こんなにカーブしていませんよ。
呆然と並んで、やっと中に入れました。
もう試合はとっくに始まっています。
最初から試合を見たい人は、もっと早く来ないと駄目だね。
ニヘドンの席は1番安い「 B席 自由席 」3,000円です。
3階席なので、肉眼では何も見えないかと思いました。
が1番上の中央寄りの席に座を占めたのですが、よく見えました。
東京ドームなんかよりよっぽどよく見えます。
流石、空手の選手は身体がデカイ!
( そ、そうか…? だからよく見えるのか? )
並んでいて流石に世界選手権だなぁと関心したのは、並んでいる人達の中に外国人が凄く多かった事です。
今や柔道も空手も、日本国内より海外の方が競技人口多くなっちゃったみたいだからねぇ…。
3階席迄階段を上がっている時、既に観客席から大歓声が聞こえて来て、やにわにニヘドンのエキサイト・ゲージも高まります。
主審のかけ声がいいよね。
実に体育会系で清々しいわ。
街中は全てああ言う風にして欲しいわ。
クラシック・コンサートの楽章の合間に
主審が出て来て、野太い声で「 続行します!」なんて
言ってくれたら萌えるわぁ!
空手の試合を見るのが初めてだから、
見るもの聞くもの初めてで面白いの!
引き分けになった時に延長戦をして、それでも引き分けになった時は体重測定をして、
10 kg 以上の体重差が認められた時には体重の少ない方が勝ちになるんですね。
10 kg 以上の体重差が認められない時には更に延長戦なんだあ。
ずっと試合を見ていると、引き分けが多く、結構頻繁に体重測定が行われています。
審判員達の交代も面白かった。
5人の黒ずくめの男達が横一例に並んで、ポーズ。
仮面ライダーのショッカー達かと思った。
電車の車掌の交代とかも、ああ言う風にやってもらいたいわぁ。( 笑 )
試合に太鼓が合図に使われるんだね。
赤い物が投げこまれるのも初めて知った。
選手達も実に様々な国から来ています。
ロシア、リトアニア、ハンガリー、日本、ルーマニア……。
最初の1時間だけでこうなのですから、
これからもっともっと多くの国の選手達が出て来る事でしょう。
ニヘドンの隣りの席にフランス語を喋るデブい初老のオバチャン2人が座りました。
物凄いテンション高くて、2人でフランス語で実況中継してます。
左隣りの日本人のお兄さんも熱くなっています。
「 ファイトだ! 」「 よし! 」
「 殺しに行け! 」
ええ! 殺人教唆ですかぁ? ( 笑 )
面白いわ。空手選手権は面白い。
これから機会を見つけて見に来たいですね。
ニヘドンは子供の頃、格闘技が嫌いでした。
プロレス全盛の時代であったにも関わらず、プロレスも嫌いでした。
「 野蛮 」「 暴力は良くない 」「 時代に逆行している 」。
でも今は全く逆ですね。
数年前に突然プロレスに目覚めてから,
パソコンによるバーチャルな世界が蔓延しているこの世の中だからこそ、
現実の肉体と肉体をぶつける格闘技は素晴らしい!
今日、空手の試合を自分の目で見て、再確認しました。
「 格闘技は面白い。」
今後も機会が有れば是非足を運びたい空手道選手権大会なのでした。
11:50 に男子四回戦が終了し、これから開会式が行われるらしい。
最後迄見ていたいけど、これから取材を1本やっつけなくちゃいけないんだよね。
残念 (>_<)
東京体育館で行われた
全世界空手道選手権大会を見に来ました。
薬屋さんの販売プロモーション会場や、
イベントの宴し物とかでしか空手の演技を見た事が無かったので、
正式な空手の試合を生で見るのは生まれて初めての経験です。
横浜から行くと、千駄ヶ谷は新宿乗り換えが良いのか、
東京乗り換えが良いのか悩みましたが、
運良く湘南新宿ラインが直ぐに来たので新宿駅で中央線に乗り換えました。
やっぱりこれが大正解でした。
新宿駅からたった4分で千駄ヶ谷駅でした。
そして千駄ヶ谷駅の改札を出たら、目の前が東京体育館でした。
体育館前の広場は、フランス革命でバスチーユ広場に群集が集まっているかの様でした。
開場が09:00。
試合開始が10:00。
ニヘドンが千駄ヶ谷の駅に着いたのは10:05。
皆、てっきり体育館に入ってしまったかと思ったのに。
そそくさと窓口に行って入場券に引き換えます。
さあ、それからが大変でしたよ。
入場券を持った人達の長蛇の列が、
広場をうねうねうねうね…。
日光のいろは坂だって、こんなにカーブしていませんよ。
呆然と並んで、やっと中に入れました。
もう試合はとっくに始まっています。
最初から試合を見たい人は、もっと早く来ないと駄目だね。
ニヘドンの席は1番安い「 B席 自由席 」3,000円です。
3階席なので、肉眼では何も見えないかと思いました。
が1番上の中央寄りの席に座を占めたのですが、よく見えました。
東京ドームなんかよりよっぽどよく見えます。
流石、空手の選手は身体がデカイ!
( そ、そうか…? だからよく見えるのか? )
並んでいて流石に世界選手権だなぁと関心したのは、並んでいる人達の中に外国人が凄く多かった事です。
今や柔道も空手も、日本国内より海外の方が競技人口多くなっちゃったみたいだからねぇ…。
3階席迄階段を上がっている時、既に観客席から大歓声が聞こえて来て、やにわにニヘドンのエキサイト・ゲージも高まります。
主審のかけ声がいいよね。
実に体育会系で清々しいわ。
街中は全てああ言う風にして欲しいわ。
クラシック・コンサートの楽章の合間に
主審が出て来て、野太い声で「 続行します!」なんて
言ってくれたら萌えるわぁ!
空手の試合を見るのが初めてだから、
見るもの聞くもの初めてで面白いの!
引き分けになった時に延長戦をして、それでも引き分けになった時は体重測定をして、
10 kg 以上の体重差が認められた時には体重の少ない方が勝ちになるんですね。
10 kg 以上の体重差が認められない時には更に延長戦なんだあ。
ずっと試合を見ていると、引き分けが多く、結構頻繁に体重測定が行われています。
審判員達の交代も面白かった。
5人の黒ずくめの男達が横一例に並んで、ポーズ。
仮面ライダーのショッカー達かと思った。
電車の車掌の交代とかも、ああ言う風にやってもらいたいわぁ。( 笑 )
試合に太鼓が合図に使われるんだね。
赤い物が投げこまれるのも初めて知った。
選手達も実に様々な国から来ています。
ロシア、リトアニア、ハンガリー、日本、ルーマニア……。
最初の1時間だけでこうなのですから、
これからもっともっと多くの国の選手達が出て来る事でしょう。
ニヘドンの隣りの席にフランス語を喋るデブい初老のオバチャン2人が座りました。
物凄いテンション高くて、2人でフランス語で実況中継してます。
左隣りの日本人のお兄さんも熱くなっています。
「 ファイトだ! 」「 よし! 」
「 殺しに行け! 」
ええ! 殺人教唆ですかぁ? ( 笑 )
面白いわ。空手選手権は面白い。
これから機会を見つけて見に来たいですね。
ニヘドンは子供の頃、格闘技が嫌いでした。
プロレス全盛の時代であったにも関わらず、プロレスも嫌いでした。
「 野蛮 」「 暴力は良くない 」「 時代に逆行している 」。
でも今は全く逆ですね。
数年前に突然プロレスに目覚めてから,
パソコンによるバーチャルな世界が蔓延しているこの世の中だからこそ、
現実の肉体と肉体をぶつける格闘技は素晴らしい!
今日、空手の試合を自分の目で見て、再確認しました。
「 格闘技は面白い。」
今後も機会が有れば是非足を運びたい空手道選手権大会なのでした。
11:50 に男子四回戦が終了し、これから開会式が行われるらしい。
最後迄見ていたいけど、これから取材を1本やっつけなくちゃいけないんだよね。
残念 (>_<)
2010年08月23日
スリーボンド「 体験セーリング 」
2010年08月22日(日)
ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで、スリーボンド社の「 体験セーリング 」の企画を知りました。
応募して参加が決定!
朝08:15 逗子に集合で寝坊して焦りましたが、何とか間に合いました。
この経緯はこちらの記事で
→ http://nihedon.hama1.jp/e865346.html
写真は、まだ帆を張る前のヨット。
「 Three Bond 」号。
お次の写真は帆を張った所。
おおお…。正しくヨットだあ〜。
今日、一緒に乗ってくれるのは、海帆ちゃんと、海帆ちゃんのパパ、そしてニヘドンです。
ニヘドンも同伴者を連れて行く人数枠が有ったのですが、高校生の息子ちゃんがオープンキャンパスに申し込んでしまい、オープンキャンパスに参加するのも夏休みの宿題の内の1つだったので断念。
先ずは逗子市役所前から迎えの車に乗りました。
ニヘドンはナショナル・ジオグラフィック・チャンネルから申し込んだので、ナショジの企画だとばかり思っていました。
だってヨットで太平洋横断! とか、如何にもナショジが好んで取り上げそうじゃないですか。
でも実は「 スリーボンド 」社の企画だったのです。
スリーボンドは工業用接着剤のメーカーで、本社が八王子に有ります。
創立当初は自動車エンジン用ガスケットを製造していたそうです。
現在、スリーボンド社はスポーツ分野ではF3とヨットの支援を行なっています。
送迎車には3人のスリーボンド社員が乗っていました。
皆さん、八王子からいらしたとか。
うわ…何時に起きたんだ?
車のナンバーも八王子でした。
では早速、何でもインタビューをしてみよう!のコーナーです。
「 日本のヨット人口は少ないのに、何でスリーボンドさんはヨットの支援を始めたのですか? 」
( ニヘドンの息子は、小学校4年生の頃、横浜市民ヨットスクールに入っており、1年間、OP 艇の訓練を受けていました。
だからニヘドンは毎回の送り迎えで、自分はヨットには乗らないものの、全く知らない人よりは、少しはヨット関係の知識が有る積もりです。)
「 ヨットは風の力だけで走るエコな乗り物だからです。」
前日の土曜日は、午前中は風が弱く、余りスピードは出なかったが午後は風も出て
参加者の皆が喜んだ話や、色々と話しが弾みました。
二へドンが1つ提案をしました。
「 私、音楽が好きでよくコンサートに行くんですけど、ギターを弾く人って、
爪にボンドを塗るの知ってますか?
ミュージシャンだったら、アマチュアを含めたら凄い人数になるので、
ボンドの市場拡大にいいんじゃないですか? 」
「 あ、僕、バンドやってたから分かる。 分かる。 ほら、ピックを使わないで、手弾きで弾く人って、
自分の指の爪を守る為に、ボンドを塗る人いるわ。 」
「 あ、いいねえ。 布袋ブランドで売り出そう! 布袋! 布袋!! 」
「 布袋なんですか? 布袋寅泰が好きなの? 」
「 あっはっはっはっは! 」
ヨットに乗る前から既に盛り上がってしまった私達。
管理棟が近付くと、「 鎧摺 」( あぶずり )と云う古い地名のバス停が有ります。
この難しい地名の由来は、源頼朝がここを馬で登った時に鎧が地に摺った事だそうです。
へー。 こんな所に頼朝が・・・。 鎌倉はすぐ先ですものね。
この付近から駐車場に入ろうとする車で大渋滞。 全然先に進まなくなりました。
「 慶應大学ヨット部だって。」 海帆ちゃんが言いました。
葉山新港に、慶應のヨット部のヨットが5艇海に浮かんでいました。
そうなんです。 葉山港と慶應ヨット部は歴史が古いみたいです。
管理棟に、2010年06月の朝日新聞の切抜きが貼られていました。
それを読むと、「 慶應大学水泳部が、ヨットを浮かべたのが日本のヨット発祥 」 と
書かれています。 でも、これちょっと違う!?
慶應大学三田ヨット部のホームページにはこう記載されています。
「 1932年02月17日慶應大学水泳部内のヨット同好者が、部内に慶應ヨットクラブを結成 」。
確かに、鎧摺には、「 日本ヨット発祥の地 」の碑が立っています。
一応、ヨットの帆の形をした発祥碑なのですが、如何せん地味。
多分、多くの人が、直ぐ側を通りながら気が付かずに素通りしているのではないでしょうか?
この碑の事をインターネットで調べていたら、こんな表記に遭遇しました。
「 横浜の居留地に住む外国人が、ヨットクラブを作ったのが最初。
当時の農商務司法大臣の金子堅太郎伯爵の子息が1882年( 明治15年 )に
ヨットを建造し、葉山で楽しんだのが日本人による最初のヨットである。」
でも、これも鵜呑みに出来ないなあ・・・・・・。
と言いますのも、二へドンの息子ちゃんは、1年間ヨット・クラブに所属していたでしょう。
ヨットって、目に見えない波のうねりや風の向きや強さを読む能力が要求されるから、
車の運転よりも難しいと思うのです。
1回や2回の帆走で、「 楽しめる 」のかなあ?
伯爵のご子息だから、居留地の外国人に高いコーチ料を払って、教えてもらったのかなあ?
もし、ただヨットに乗っているだけで、誰か他の人に操舵してもらったとしたら、
それって厳密な意味で「 日本人によるヨット発祥 」とは言えないのでは?
「 剣岳 - 点の記 」みたいにね、本当の1番乗りは誰なのかは、実際曖昧なんでしょうね。
やっぱり、「 記録に残った者勝ち 」になっちゃうのでしょうね。
だからこそ、二へドンは毎日自分の「 お気に入り 」について、ブログを書きまくっているのですよ。
もう1つ、スリーボンドの社員の方から美味しい情報を教えてもらいました。
あの、有名な「 LA MAREE DE CHAYA 」( ラ・マーレ・ド・茶屋 )です。
( 三浦郡葉山町堀内 )
フランス料理のレストランで、結婚式も出来るので、二へドンの再婚の時の候補に上げておきますね。
あんまり素敵な佇まいのお店だったので、家に帰ってからネットで検索してみました。
基本的に毎週土曜日は1階のカフェでジャズ・ライブが行なわれているようです。
カバーチャージ無料で、飲食代だけでOKと云う太っ腹企画。
08月29日(日)はゴダイゴのドラマーであるトミー・スナイダーのソロ・ライブが行なわれます。
ちょっと二へドン、このライブに潜入してみようかと、今スケジュールを調整中です。
さっきから道路が渋滞で車が動かなくなってしまたので、車を捨てて管理事務所の建物まで歩きます。
歩くと言っても、1~2分で着いちゃうんですけど。
平日はランチもやってますよ!!11:30~14:30。
ランチセットは、メインの料理、サラダ、スープ、デザート、コーヒーor 紅茶で¥1,300.-。
悪くないですよ。 今度絶対に行きま~す!!
管理棟の中で更衣室で着替えます。
二へドンは、ただ羽織物を脱いでコインロッカーに仕舞っただけです。
このコインロッカーは、100円が使用後に戻って来る親切設計。
なかなか広いのに、利用者が殆どいないのです。
ロビーで免責事項の書類にサインをして、いざ波止場へ!!
乗るのはThree Bond ( スリーボンド )号!!
ヨットは、通常、役割が2つ有ります。
・ ヘルムスマン ( スキッパーとも言う。) すきっ歯のスキッパー。 あ・・・何でも有りません・・。
・・・・・・・・ 舵とメインセイル( 1番大きいセイル )の調整をする人。
・ クルー ・・・・・・・・・・・・・ ナビゲーター役。 ジブセイルの操作とヨットのバランスを取る人。
いきなり素人だけをヨットに乗せても、ただプカプカ浮いているだけでしょうから、
ちゃんとベテランのヘルムスマンとクルーが一緒に乗ってくれます。
このヘルムスマンが、超。大物でした!!
今日のへルムスマンは北京オリンピックのヨットレースで 日本代表として7位に入賞した松永鉄矢さん。
オリンピックの時のクルーは上野太郎さん。
2008年01月には470級セーリング世界選手権で15位に入っています。
470級のレースは、テクニックが物を言うそうですよ。
ではでは、そのオリンピック代表級のテクニックを、二へドンが体験して参りますね!!
あまりの感動に頭クラクラ。 鼻血ブーブー。
だって、普通、オリンピック選手が操舵してくれるヨットに 乗れる人って、そうそういませんよ!!
ヨット部に所属している人だって、そうそういないと思いますよ!!
09:00 出発!!
結論から言って、オリンピック代表級のテクニックは凄かった!!
だってね、二へドンは慢性的な睡眠不足だし、この日、朝ごはんを食べていなかったの。
これって、船酔いして当たり前の状態じゃないですか!!
二へドンは今まで、釣り船からカーフェリーから太平洋を往復する大型客船から、様々な船に
乗って来ました。
船酔いの経験もいっぱい有ります。
だから逆に、船酔いになったからと言って、死んだ様にはなりません。
吐いた後、何事も無かったかの様な顔が出来ます。
でも、今日は体調はベストで無かったのに、1時間のセーリングの間、気分は上々。
命の洗濯が出来ました。
これは、ベテランのヘルムスマンが、全く無駄の無いセーリングをしてくれたお陰だと思います。
ただ、この日は風が強かったのが良かったと言われました。
風が無いと、逆に酔ってしまうらしいです。
ヨットが防波堤の外へ出るまで、海の中には魚の姿が一杯見られました。
素手で掴めそうです。
ああ、こんな景色を見るのは何年振りだろうか。
快適なセーリングに、うっとり酔い痴れながら、ではオリンピック代表選手の松永鉄矢に
独占インタビュー!!
Q : 何歳の時からヨットを始めたの?
A : 小学校2年生から乗せられていたなあ。
Q : お父さんかお母さんもヨットに乗ってたの?
A : 父は千葉大のヨット部でヨットをやっていた人です。
兄も子供の頃からヨットはやっていて、もうヨットをやるのが当たり前の家だった。
Q : 私の息子も1年間だけヨット・クラブに入っていたのだけれども、子供のヨットって、
親が少年野球の乗りなんですよね。 親が熱心でないと、なかなか続けられない。
A : そうそう。 みんな、親が夢中になっちゃってね。
Q : 今までの競技会で、どこが1番印象に残っていますか?
A : やっぱり地中海かな。 サルディニア島とか、マヨルカ島とか、日本人が居ない場所に
よく行きましたよ。 滅多に行けない場所に行かれるのは、凄く良い体験だと思う。
レースは、辺鄙な場所で行なわれる事が多いので。
Q : ヨットの練習は毎日するの?
A : いやあ、毎日って事は無いです。 流石にそれは無いですね。
今は、ヨットに乗る時はレースの時なので、乗らない時は全く乗らないし、
乗る時は、7ヶ月位乗り続ける時も有ります。
でも大体1年間の半分は乗っているかなあ・・・・・。
ヨットが走り始めて直ぐ、海岸付近で小学生達のヨットレースが行なわれていました。
懐かしいなあ。 二へドンの息子ちゃんがヨットクラブに入っていた時に乗っていたOP級のヨットだ。
OPとは英語のオプティミストの略号です。
全長2.31m 。 全幅1.13m。 一目見ただけで「 うわあ、小さい! 」と思えるミニサイズです。
原則15歳までの子供たちだけに乗る事が許されたヨットです。
二へドンはもう絶対にOP級には乗れないわ。だって二へドン、もう19歳だも~ん。 ( 爆 )
因みに二へドン達が、この日に乗ったヨットは、一般的にディンギーと呼ばれる物です。
ディンギーは、キャビンを持たない小型ボートの事ですが、
普通、風のみを動力とするセーリング・ディンギーを指します。
艇種は470とか、沢山有るので、二へドンにはどれがどれだかさっぱり分かりません。
青い空と青い海との境目の水平線をジーっと見て、海風に吹かれ、じりじりと紫外線に肌を
焼かれてヨットに揺られていると、自分が陸の上では何てちっぽけな心で生きていたのか
思い知らされました。
このままハワイ辺りまで行こうか!!
南伊豆臨海学園にも数回息子ちゃんとプログラムに参加しました。
夏に行くと、必ずカッター訓練をさせられるのよね。
古代ローマ時代のガレー船の奴隷になった様な気分で、鬼リーダーの掛け声で
しゃかりきにオールを漕ぐんだけど、大変。 気分はすっかり戸塚ヨットスクール。( 笑 )
でも、どんなに大変でも、その時もやっぱりハワイまで行こう!っていう気になった事を思い出しました。
そう。 海のスケールの大きさに包まれると、嫌でも冒険心が芽生えて来るのですよ。
海っていいよね。 これは海岸で芋洗いをしている内は、まだ分からない。
船でうーんと沖まで出て来ると、すごく良く分かる。
ああ、このまま1週間位、漂流しちゃっても、二へドンは大丈夫だぞ。
Uターンして、また陸地が近くなったら、伴走してくれたモーターボートに乗るか聞かれました。
「 うん!! 」
ヨットの隣にモーターボートを着けてくれたので、お引越し。
ヨットから、ポカリスエットの配給が有りました。
ひゅ~んと投げて寄越すので、ゴトっと大きな音を立てて船底に転がります。
手渡しじゃないんだ・・・・・・・・。
一応お姫様育ちの二へドンは、船乗りの荒くれ具合を目の当たりにしてビックリ。
ひゅ~ん。 ゴトゴト!! × 3人分。
モーターボートを運転していたのはダンディーな西村さん。
モーターボートとは言っても、運転席の後ろに、バイクの座席みたいな2人乗りの座席が有る、
アメンボみたいな細長いゴムボートみたいな船でした。
これが走り始めたら、二へドンは「 ひゃっほ~!!!! 」。
危ない。 危ない。 二へドンって、モーターボートのスピードで人が変わるタイプだったんだ。
「 湘南レディース隊長 」 を襲名しちゃいそうな危ないハイな気分でした。
あっと言う間に波止場に戻って来ました。
10:00きっかりに上陸。
残念。 もっともっと乗っていたかったよー。
決めました。 宝くじに当たったら、二へドンはヨットを買います。
本当にヨットは最高じゃん!!
家に帰って、二へドンは息子に訊きました。
「 ねえねえ、何で君はヨットを続けなかったんだっけ? 」
「 日能研に通い始めたからだよ。 毎週日曜日にテストが有るから、ヨットに行かれなくなったんだ。」
「 あちゃー。 あんな役にも立たなかった日能研なんか行かなければ良かったね。」
「 また、そういう事言うー。 日能研だって、少しは役立ったんだよ、俺的には。」
「 あら、そう? そう言って頂けると、お金を出した身としては嬉しいですけれど。」
しかし二へドンはハッキリと悟った。
子供には日能研よりヨットの方が大切である。
日本の場合、ヨットの競技人口が少ないので、レースに出て入賞する確率はとても高い。
いつだったか、女性のヨットレースに3組しか出場しない物があったと聞いた。
うわあ、全員入賞やあ。
ヨットはいいですよー。 大地震が来て大津波に襲われたら、家族にヨットを操作出来る人がいたら
ヨットに乗って助かるじゃないですか。
津波に呑まれるから死んじゃうんであって、津波の天辺に乗っかってれば助かる訳ですよ!???
冗談はさておき、実は二へドンは15年前、ある事をしようと思った事が有ります。
でも当時は子供が小さかったので、2週間も家を空ける事が出来なくて断念していました。
実は、そのパンフレットが、葉山新港の管理事務所に置かれてあったのです。
決めました! 今年こそ申し込みます!!
それが何かは、正式に申し込みが受理されてから、「 ドンドン日記 」にて発表したいと思います。
( ラ・マーレ・ド・茶屋でのウェディングでは有りませんよ。 あ、そういう事にしておこうかな?
現在、新郎を大募集中!! )
そしてこの後、車で鎌倉の由比ガ浜へ送ってもらうので有りました。
由比ガ浜で二へドンがした事はこちら → http://nihedon.hama1.jp/e865398.html
***** 「 スリーボンド「 体験セーリング 」 」 ・ 完 *************
ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで、スリーボンド社の「 体験セーリング 」の企画を知りました。
応募して参加が決定!
朝08:15 逗子に集合で寝坊して焦りましたが、何とか間に合いました。
この経緯はこちらの記事で
→ http://nihedon.hama1.jp/e865346.html
写真は、まだ帆を張る前のヨット。
「 Three Bond 」号。
お次の写真は帆を張った所。
おおお…。正しくヨットだあ〜。
今日、一緒に乗ってくれるのは、海帆ちゃんと、海帆ちゃんのパパ、そしてニヘドンです。
ニヘドンも同伴者を連れて行く人数枠が有ったのですが、高校生の息子ちゃんがオープンキャンパスに申し込んでしまい、オープンキャンパスに参加するのも夏休みの宿題の内の1つだったので断念。
先ずは逗子市役所前から迎えの車に乗りました。
ニヘドンはナショナル・ジオグラフィック・チャンネルから申し込んだので、ナショジの企画だとばかり思っていました。
だってヨットで太平洋横断! とか、如何にもナショジが好んで取り上げそうじゃないですか。
でも実は「 スリーボンド 」社の企画だったのです。
スリーボンドは工業用接着剤のメーカーで、本社が八王子に有ります。
創立当初は自動車エンジン用ガスケットを製造していたそうです。
現在、スリーボンド社はスポーツ分野ではF3とヨットの支援を行なっています。
送迎車には3人のスリーボンド社員が乗っていました。
皆さん、八王子からいらしたとか。
うわ…何時に起きたんだ?
車のナンバーも八王子でした。
では早速、何でもインタビューをしてみよう!のコーナーです。
「 日本のヨット人口は少ないのに、何でスリーボンドさんはヨットの支援を始めたのですか? 」
( ニヘドンの息子は、小学校4年生の頃、横浜市民ヨットスクールに入っており、1年間、OP 艇の訓練を受けていました。
だからニヘドンは毎回の送り迎えで、自分はヨットには乗らないものの、全く知らない人よりは、少しはヨット関係の知識が有る積もりです。)
「 ヨットは風の力だけで走るエコな乗り物だからです。」
前日の土曜日は、午前中は風が弱く、余りスピードは出なかったが午後は風も出て
参加者の皆が喜んだ話や、色々と話しが弾みました。
二へドンが1つ提案をしました。
「 私、音楽が好きでよくコンサートに行くんですけど、ギターを弾く人って、
爪にボンドを塗るの知ってますか?
ミュージシャンだったら、アマチュアを含めたら凄い人数になるので、
ボンドの市場拡大にいいんじゃないですか? 」
「 あ、僕、バンドやってたから分かる。 分かる。 ほら、ピックを使わないで、手弾きで弾く人って、
自分の指の爪を守る為に、ボンドを塗る人いるわ。 」
「 あ、いいねえ。 布袋ブランドで売り出そう! 布袋! 布袋!! 」
「 布袋なんですか? 布袋寅泰が好きなの? 」
「 あっはっはっはっは! 」
ヨットに乗る前から既に盛り上がってしまった私達。
管理棟が近付くと、「 鎧摺 」( あぶずり )と云う古い地名のバス停が有ります。
この難しい地名の由来は、源頼朝がここを馬で登った時に鎧が地に摺った事だそうです。
へー。 こんな所に頼朝が・・・。 鎌倉はすぐ先ですものね。
この付近から駐車場に入ろうとする車で大渋滞。 全然先に進まなくなりました。
「 慶應大学ヨット部だって。」 海帆ちゃんが言いました。
葉山新港に、慶應のヨット部のヨットが5艇海に浮かんでいました。
そうなんです。 葉山港と慶應ヨット部は歴史が古いみたいです。
管理棟に、2010年06月の朝日新聞の切抜きが貼られていました。
それを読むと、「 慶應大学水泳部が、ヨットを浮かべたのが日本のヨット発祥 」 と
書かれています。 でも、これちょっと違う!?
慶應大学三田ヨット部のホームページにはこう記載されています。
「 1932年02月17日慶應大学水泳部内のヨット同好者が、部内に慶應ヨットクラブを結成 」。
確かに、鎧摺には、「 日本ヨット発祥の地 」の碑が立っています。
一応、ヨットの帆の形をした発祥碑なのですが、如何せん地味。
多分、多くの人が、直ぐ側を通りながら気が付かずに素通りしているのではないでしょうか?
この碑の事をインターネットで調べていたら、こんな表記に遭遇しました。
「 横浜の居留地に住む外国人が、ヨットクラブを作ったのが最初。
当時の農商務司法大臣の金子堅太郎伯爵の子息が1882年( 明治15年 )に
ヨットを建造し、葉山で楽しんだのが日本人による最初のヨットである。」
でも、これも鵜呑みに出来ないなあ・・・・・・。
と言いますのも、二へドンの息子ちゃんは、1年間ヨット・クラブに所属していたでしょう。
ヨットって、目に見えない波のうねりや風の向きや強さを読む能力が要求されるから、
車の運転よりも難しいと思うのです。
1回や2回の帆走で、「 楽しめる 」のかなあ?
伯爵のご子息だから、居留地の外国人に高いコーチ料を払って、教えてもらったのかなあ?
もし、ただヨットに乗っているだけで、誰か他の人に操舵してもらったとしたら、
それって厳密な意味で「 日本人によるヨット発祥 」とは言えないのでは?
「 剣岳 - 点の記 」みたいにね、本当の1番乗りは誰なのかは、実際曖昧なんでしょうね。
やっぱり、「 記録に残った者勝ち 」になっちゃうのでしょうね。
だからこそ、二へドンは毎日自分の「 お気に入り 」について、ブログを書きまくっているのですよ。
もう1つ、スリーボンドの社員の方から美味しい情報を教えてもらいました。
あの、有名な「 LA MAREE DE CHAYA 」( ラ・マーレ・ド・茶屋 )です。
( 三浦郡葉山町堀内 )
フランス料理のレストランで、結婚式も出来るので、二へドンの再婚の時の候補に上げておきますね。
あんまり素敵な佇まいのお店だったので、家に帰ってからネットで検索してみました。
基本的に毎週土曜日は1階のカフェでジャズ・ライブが行なわれているようです。
カバーチャージ無料で、飲食代だけでOKと云う太っ腹企画。
08月29日(日)はゴダイゴのドラマーであるトミー・スナイダーのソロ・ライブが行なわれます。
ちょっと二へドン、このライブに潜入してみようかと、今スケジュールを調整中です。
さっきから道路が渋滞で車が動かなくなってしまたので、車を捨てて管理事務所の建物まで歩きます。
歩くと言っても、1~2分で着いちゃうんですけど。
平日はランチもやってますよ!!11:30~14:30。
ランチセットは、メインの料理、サラダ、スープ、デザート、コーヒーor 紅茶で¥1,300.-。
悪くないですよ。 今度絶対に行きま~す!!
管理棟の中で更衣室で着替えます。
二へドンは、ただ羽織物を脱いでコインロッカーに仕舞っただけです。
このコインロッカーは、100円が使用後に戻って来る親切設計。
なかなか広いのに、利用者が殆どいないのです。
ロビーで免責事項の書類にサインをして、いざ波止場へ!!
乗るのはThree Bond ( スリーボンド )号!!
ヨットは、通常、役割が2つ有ります。
・ ヘルムスマン ( スキッパーとも言う。) すきっ歯のスキッパー。 あ・・・何でも有りません・・。
・・・・・・・・ 舵とメインセイル( 1番大きいセイル )の調整をする人。
・ クルー ・・・・・・・・・・・・・ ナビゲーター役。 ジブセイルの操作とヨットのバランスを取る人。
いきなり素人だけをヨットに乗せても、ただプカプカ浮いているだけでしょうから、
ちゃんとベテランのヘルムスマンとクルーが一緒に乗ってくれます。
このヘルムスマンが、超。大物でした!!
今日のへルムスマンは北京オリンピックのヨットレースで 日本代表として7位に入賞した松永鉄矢さん。
オリンピックの時のクルーは上野太郎さん。
2008年01月には470級セーリング世界選手権で15位に入っています。
470級のレースは、テクニックが物を言うそうですよ。
ではでは、そのオリンピック代表級のテクニックを、二へドンが体験して参りますね!!
あまりの感動に頭クラクラ。 鼻血ブーブー。
だって、普通、オリンピック選手が操舵してくれるヨットに 乗れる人って、そうそういませんよ!!
ヨット部に所属している人だって、そうそういないと思いますよ!!
09:00 出発!!
結論から言って、オリンピック代表級のテクニックは凄かった!!
だってね、二へドンは慢性的な睡眠不足だし、この日、朝ごはんを食べていなかったの。
これって、船酔いして当たり前の状態じゃないですか!!
二へドンは今まで、釣り船からカーフェリーから太平洋を往復する大型客船から、様々な船に
乗って来ました。
船酔いの経験もいっぱい有ります。
だから逆に、船酔いになったからと言って、死んだ様にはなりません。
吐いた後、何事も無かったかの様な顔が出来ます。
でも、今日は体調はベストで無かったのに、1時間のセーリングの間、気分は上々。
命の洗濯が出来ました。
これは、ベテランのヘルムスマンが、全く無駄の無いセーリングをしてくれたお陰だと思います。
ただ、この日は風が強かったのが良かったと言われました。
風が無いと、逆に酔ってしまうらしいです。
ヨットが防波堤の外へ出るまで、海の中には魚の姿が一杯見られました。
素手で掴めそうです。
ああ、こんな景色を見るのは何年振りだろうか。
快適なセーリングに、うっとり酔い痴れながら、ではオリンピック代表選手の松永鉄矢に
独占インタビュー!!
Q : 何歳の時からヨットを始めたの?
A : 小学校2年生から乗せられていたなあ。
Q : お父さんかお母さんもヨットに乗ってたの?
A : 父は千葉大のヨット部でヨットをやっていた人です。
兄も子供の頃からヨットはやっていて、もうヨットをやるのが当たり前の家だった。
Q : 私の息子も1年間だけヨット・クラブに入っていたのだけれども、子供のヨットって、
親が少年野球の乗りなんですよね。 親が熱心でないと、なかなか続けられない。
A : そうそう。 みんな、親が夢中になっちゃってね。
Q : 今までの競技会で、どこが1番印象に残っていますか?
A : やっぱり地中海かな。 サルディニア島とか、マヨルカ島とか、日本人が居ない場所に
よく行きましたよ。 滅多に行けない場所に行かれるのは、凄く良い体験だと思う。
レースは、辺鄙な場所で行なわれる事が多いので。
Q : ヨットの練習は毎日するの?
A : いやあ、毎日って事は無いです。 流石にそれは無いですね。
今は、ヨットに乗る時はレースの時なので、乗らない時は全く乗らないし、
乗る時は、7ヶ月位乗り続ける時も有ります。
でも大体1年間の半分は乗っているかなあ・・・・・。
ヨットが走り始めて直ぐ、海岸付近で小学生達のヨットレースが行なわれていました。
懐かしいなあ。 二へドンの息子ちゃんがヨットクラブに入っていた時に乗っていたOP級のヨットだ。
OPとは英語のオプティミストの略号です。
全長2.31m 。 全幅1.13m。 一目見ただけで「 うわあ、小さい! 」と思えるミニサイズです。
原則15歳までの子供たちだけに乗る事が許されたヨットです。
二へドンはもう絶対にOP級には乗れないわ。だって二へドン、もう19歳だも~ん。 ( 爆 )
因みに二へドン達が、この日に乗ったヨットは、一般的にディンギーと呼ばれる物です。
ディンギーは、キャビンを持たない小型ボートの事ですが、
普通、風のみを動力とするセーリング・ディンギーを指します。
艇種は470とか、沢山有るので、二へドンにはどれがどれだかさっぱり分かりません。
青い空と青い海との境目の水平線をジーっと見て、海風に吹かれ、じりじりと紫外線に肌を
焼かれてヨットに揺られていると、自分が陸の上では何てちっぽけな心で生きていたのか
思い知らされました。
このままハワイ辺りまで行こうか!!
南伊豆臨海学園にも数回息子ちゃんとプログラムに参加しました。
夏に行くと、必ずカッター訓練をさせられるのよね。
古代ローマ時代のガレー船の奴隷になった様な気分で、鬼リーダーの掛け声で
しゃかりきにオールを漕ぐんだけど、大変。 気分はすっかり戸塚ヨットスクール。( 笑 )
でも、どんなに大変でも、その時もやっぱりハワイまで行こう!っていう気になった事を思い出しました。
そう。 海のスケールの大きさに包まれると、嫌でも冒険心が芽生えて来るのですよ。
海っていいよね。 これは海岸で芋洗いをしている内は、まだ分からない。
船でうーんと沖まで出て来ると、すごく良く分かる。
ああ、このまま1週間位、漂流しちゃっても、二へドンは大丈夫だぞ。
Uターンして、また陸地が近くなったら、伴走してくれたモーターボートに乗るか聞かれました。
「 うん!! 」
ヨットの隣にモーターボートを着けてくれたので、お引越し。
ヨットから、ポカリスエットの配給が有りました。
ひゅ~んと投げて寄越すので、ゴトっと大きな音を立てて船底に転がります。
手渡しじゃないんだ・・・・・・・・。
一応お姫様育ちの二へドンは、船乗りの荒くれ具合を目の当たりにしてビックリ。
ひゅ~ん。 ゴトゴト!! × 3人分。
モーターボートを運転していたのはダンディーな西村さん。
モーターボートとは言っても、運転席の後ろに、バイクの座席みたいな2人乗りの座席が有る、
アメンボみたいな細長いゴムボートみたいな船でした。
これが走り始めたら、二へドンは「 ひゃっほ~!!!! 」。
危ない。 危ない。 二へドンって、モーターボートのスピードで人が変わるタイプだったんだ。
「 湘南レディース隊長 」 を襲名しちゃいそうな危ないハイな気分でした。
あっと言う間に波止場に戻って来ました。
10:00きっかりに上陸。
残念。 もっともっと乗っていたかったよー。
決めました。 宝くじに当たったら、二へドンはヨットを買います。
本当にヨットは最高じゃん!!
家に帰って、二へドンは息子に訊きました。
「 ねえねえ、何で君はヨットを続けなかったんだっけ? 」
「 日能研に通い始めたからだよ。 毎週日曜日にテストが有るから、ヨットに行かれなくなったんだ。」
「 あちゃー。 あんな役にも立たなかった日能研なんか行かなければ良かったね。」
「 また、そういう事言うー。 日能研だって、少しは役立ったんだよ、俺的には。」
「 あら、そう? そう言って頂けると、お金を出した身としては嬉しいですけれど。」
しかし二へドンはハッキリと悟った。
子供には日能研よりヨットの方が大切である。
日本の場合、ヨットの競技人口が少ないので、レースに出て入賞する確率はとても高い。
いつだったか、女性のヨットレースに3組しか出場しない物があったと聞いた。
うわあ、全員入賞やあ。
ヨットはいいですよー。 大地震が来て大津波に襲われたら、家族にヨットを操作出来る人がいたら
ヨットに乗って助かるじゃないですか。
津波に呑まれるから死んじゃうんであって、津波の天辺に乗っかってれば助かる訳ですよ!???
冗談はさておき、実は二へドンは15年前、ある事をしようと思った事が有ります。
でも当時は子供が小さかったので、2週間も家を空ける事が出来なくて断念していました。
実は、そのパンフレットが、葉山新港の管理事務所に置かれてあったのです。
決めました! 今年こそ申し込みます!!
それが何かは、正式に申し込みが受理されてから、「 ドンドン日記 」にて発表したいと思います。
( ラ・マーレ・ド・茶屋でのウェディングでは有りませんよ。 あ、そういう事にしておこうかな?
現在、新郎を大募集中!! )
そしてこの後、車で鎌倉の由比ガ浜へ送ってもらうので有りました。
由比ガ浜で二へドンがした事はこちら → http://nihedon.hama1.jp/e865398.html
***** 「 スリーボンド「 体験セーリング 」 」 ・ 完 *************
2008年09月02日
インディアカ
2008年09月02日(火)
皆さんは、「 インディアカ 」を知っていますか?
写真の赤い羽根を、手のひらで打って行なうスポーツです。
白い部分を手のひらで打ちます。
ニヘドンが通っている体操教室の火曜日クラスは、「 ヘルシースポーツ 」と言う名前が付けられています。
90分の時間の前半をストレッチやエアロビクス、後半の30分を、色々な球技などで楽しみます。
今日は「 インディアカ 」でした。
ニヘドン、これ大好きなんです。
だって、インディアカを取り入れているスポーツセンターでしか行なう事が出来ないんですよ。
ニヘドンは子供の頃、学校の体育の時間でインディアカなんて、やった事も無いし、大人になってからも、他でやった事がありません。
珍しい事が大好きなニヘドンの野次馬根性を満足させてくれる種目です。
ルールは基本的には、バレーボールと似ています。
4対4 でプレイします。 世界ルールは5対5みたいですけど。
ニヘドン達は、「 楽しく 」がルールなので、4人対5人とか、とてもアバウトにやっています。
コートもバドミントンコートを使っています。
インディアカボールと呼ばれる羽根だけが道具です。
このインディアカボールは高さが約25センチ、重さが約50gです。
このインディアカボールはネット通販では1つ¥2,520.-で販売されていました。
でも買った所で、仲間がいなければ楽しくないのよ。
やっぱりスポーツセンターで大勢でワイワイキャーキャーやりたいのよね。
因みに、「 審判台 」は、1台 ¥32,487.-でございました。
結構いい値段するんですね。
ニヘドン達が如何に適当にプレイをしているかというと、
体操教室の独自ルールがあるのです。
サーブは、ライン関係無し。 自分のサーブが相手方のコートに入る所から打つ。
これがルールです。( 笑 )
だから、飛力の無い人は、ネットの30センチ前からサーブを打ってもOK !!
何回打ってもOK。 味方内で、10回ラリーをしてから、相手方のコートに行ってもOK。
地球に優しい・・・あ、違うわ。 素人に優しいルールなんです。
日本インディアカ協会という組織もありまして、この協会は、
「 インディアカボールを、道具を使わずに直接手で打つから、年齢を問わず、怪我も少なくプレイ出来る。」
とPRしておりますが、いや、そんな簡単なものではないですよ。
私達はなまじ、学校の体育の時間にバレーボールなんぞをやってしまうので、
どうしても上から下向きに叩きつける動作をしてしまうのです。
インディアカの場合は、インディアカボールの白い部分を、下から上に叩き上げる事によって、
滞空時間を稼げるのですが、それを身体が覚えるまでに、かなり時間がかかります。
日本インディアカ協会のホームページによると、日本には現在100万人のインディアカ愛好家がいるそうです。
この中には、ニヘドン達も入っているのかな?
では、最後のまとめに、軽く 「 インディアカの歴史 」なんぞを一くさりやっておきましょうか。
インディアカは、旧西ドイツで考案されたスポーツで、1930年代末に、
ドイツのケルンのスポーツシューレ( スポーツ学校 )で行なわれていたそうです。
スポーツ教師のカールハンス・クローン ( Karlhans Krohn )氏が1936年に
ブラジルの伝統的なゲーム ペテカ ( Peteca )をドイツに持ち帰り、
その用具に改良を加え、インディアカを考案したそうです。
インディアカとは、「 インディアン 」 と 「 ペテカ 」の合成語です。
秋になると、各スポーツセンターを会場に、参加型の秋のスポーツイベントが
あちこちで開催されるので、皆さんも1度はやてみると楽しいですよ!
良かったら、ニヘドンと対決しますか? ( 笑 )
***** 「 インディアカ 」 ・ 完 ******************
皆さんは、「 インディアカ 」を知っていますか?
写真の赤い羽根を、手のひらで打って行なうスポーツです。
白い部分を手のひらで打ちます。
ニヘドンが通っている体操教室の火曜日クラスは、「 ヘルシースポーツ 」と言う名前が付けられています。
90分の時間の前半をストレッチやエアロビクス、後半の30分を、色々な球技などで楽しみます。
今日は「 インディアカ 」でした。
ニヘドン、これ大好きなんです。
だって、インディアカを取り入れているスポーツセンターでしか行なう事が出来ないんですよ。
ニヘドンは子供の頃、学校の体育の時間でインディアカなんて、やった事も無いし、大人になってからも、他でやった事がありません。
珍しい事が大好きなニヘドンの野次馬根性を満足させてくれる種目です。
ルールは基本的には、バレーボールと似ています。
4対4 でプレイします。 世界ルールは5対5みたいですけど。
ニヘドン達は、「 楽しく 」がルールなので、4人対5人とか、とてもアバウトにやっています。
コートもバドミントンコートを使っています。
インディアカボールと呼ばれる羽根だけが道具です。
このインディアカボールは高さが約25センチ、重さが約50gです。
このインディアカボールはネット通販では1つ¥2,520.-で販売されていました。
でも買った所で、仲間がいなければ楽しくないのよ。
やっぱりスポーツセンターで大勢でワイワイキャーキャーやりたいのよね。
因みに、「 審判台 」は、1台 ¥32,487.-でございました。
結構いい値段するんですね。
ニヘドン達が如何に適当にプレイをしているかというと、
体操教室の独自ルールがあるのです。
サーブは、ライン関係無し。 自分のサーブが相手方のコートに入る所から打つ。
これがルールです。( 笑 )
だから、飛力の無い人は、ネットの30センチ前からサーブを打ってもOK !!
何回打ってもOK。 味方内で、10回ラリーをしてから、相手方のコートに行ってもOK。
地球に優しい・・・あ、違うわ。 素人に優しいルールなんです。
日本インディアカ協会という組織もありまして、この協会は、
「 インディアカボールを、道具を使わずに直接手で打つから、年齢を問わず、怪我も少なくプレイ出来る。」
とPRしておりますが、いや、そんな簡単なものではないですよ。
私達はなまじ、学校の体育の時間にバレーボールなんぞをやってしまうので、
どうしても上から下向きに叩きつける動作をしてしまうのです。
インディアカの場合は、インディアカボールの白い部分を、下から上に叩き上げる事によって、
滞空時間を稼げるのですが、それを身体が覚えるまでに、かなり時間がかかります。
日本インディアカ協会のホームページによると、日本には現在100万人のインディアカ愛好家がいるそうです。
この中には、ニヘドン達も入っているのかな?
では、最後のまとめに、軽く 「 インディアカの歴史 」なんぞを一くさりやっておきましょうか。
インディアカは、旧西ドイツで考案されたスポーツで、1930年代末に、
ドイツのケルンのスポーツシューレ( スポーツ学校 )で行なわれていたそうです。
スポーツ教師のカールハンス・クローン ( Karlhans Krohn )氏が1936年に
ブラジルの伝統的なゲーム ペテカ ( Peteca )をドイツに持ち帰り、
その用具に改良を加え、インディアカを考案したそうです。
インディアカとは、「 インディアン 」 と 「 ペテカ 」の合成語です。
秋になると、各スポーツセンターを会場に、参加型の秋のスポーツイベントが
あちこちで開催されるので、皆さんも1度はやてみると楽しいですよ!
良かったら、ニヘドンと対決しますか? ( 笑 )
***** 「 インディアカ 」 ・ 完 ******************
2008年08月29日
シネマビクス
2008年08月29日(金)
いやあ〜。
久々に磯子スポーツセンターで体操教室でございます。
実は今だから言うけど、8月上旬はニヘドン、体調不良が最悪だったんです。
今日医者に行くか、明日医者に行くかってタイミングを推し量っていて、ある晩、どうにもならなくなって、夜中までに唇が白くなったら救急車を呼ぼうと思った位。
自分の身体の具合を見ながら、万が一に備えて、息子宛てにニヘドンのブログのIDやパスワードをメモにリストアップしてたりしました。
体調が戻った今となってはお笑いなんですが…。
そんな調子で体操教室は2週間休んでしまい、ニヘドンが教室に行かれる状態になったら、今度は教室がお盆休みに入ってしまい、何だかんだで1ヶ月振りの復帰ですよ。
受講料が勿体無かったけど、「 お迎え 」を覚悟する程、酷い状態だったのだから仕方が無いわね。
さて、久しぶりの体操教室で、珍しく遅刻もせず参加する事が出来ました。
先生が最初に仰いました。
「 今日はシネマビクスをやっていきます。」
え!? シネマビクスって何?
新しいシネコンの名前?
教室では、ストレッチ、エアロビクス、リズム体操、ヨガ、筋肉トレーニング、バレエ、等様々なプログラムを先生が組み合わせて90分の指導をして下さいます。
ニヘドンみたいに、何でも色んな事を少しずつやりたい人には薔薇色のプログラムなのである。
しかし、先生の仰っしゃる「 シネマビクス 」なんて今まで聞いた事が無いわ。
アクアビクスならやった事がありますよ。
プールの水中でエアロビクスをやるとアクアビクスなのです。
マタニティビクスと言うのも聞いた事があるなあ。
妊婦のウェイトコントロールと安産の為のソフト・エアロビクスの事なんです。
これは大きな興味を持ってはいましたが、妊娠5ヶ月までツアコンの仕事を続け、妊娠6ヶ月で不正出血の為安静入院をさせられたニヘドンには、体験する機会は得られなかったの。
聞く所によると、「 太鼓ビクス 」なるものも有るらしいですね。
太鼓叩きながらエアロビクス? ( 笑 )
で、先生の説明が有りました。
「 映画音楽を聞きながらエアロビクスをやっていきます。皆さんがご存知の曲も有ると思いますので、楽しんでやっていきましょう。」
ニヘドン、ウハウハ笑ってしまったわ。
先生、ニヘドンが映画好きって知ってて、わざわざシネマビクスにしたのー!?
いや、偶然なんでしょうが、初めて聞く言葉に驚いたの何のって!!
シネマビクス!
いいねー。
もうニヘドンは一生これだけやっていたいよ。
アップテンポの映画音楽をかけながらのエアロビクス!
心無しか、いつもより身体が軽く感じられる。
ウハウハ。
ニヘドンは火曜日と金曜日の2回、教室に登録しています。それぞれ担当のインストラクターの先生が違って、金曜日の先生の方が振り付けやリズムが複雑なんですよ。
今日の「 シネマビクス 」で使われた曲は、全部ニヘドンが聞いた事有る曲ばっかりだったのです。でも、そこはほれ、オバサンの哀しい性で、曲のタイトルが突差に思い出せないの!
「 知ってるよ。知ってるんだよ、この曲。えっと、タイトルは何だっけ。何だっけ? 」
曲のタイトルを思い出そうとすると、複雑な振り付けについていけない。
複雑な振りに集中すると、音楽の聞き方が甘くなり、もう2度と何の曲だか分からなくなる。
コンサートと違ってプログラム無いからなあー。DJ が必要じゃん。
最初、「 シネマビクス 」と言うなら、正面にスクリーン設置して映像も流してよ! と思いましたが、そんな事をしたら、脳が空中分解してしまいそうです。
けど気に入ったよ。
シネマビクス!!
ニヘドンこれからはシネマビクス普及委員会を始めるから。
今日はスパイ映画特集です。とか、自分で構成しちゃうから!
目指せ、シネマビクス・インストラクター!! ( 爆 )
教室の後、TSUTAYA に行ってみました。
運動会用のCDや、エアロビクス用のCDのコーナーに、シネマビクスのCDが有るかと期待したのですが、「 シネマビクス 」と言う言葉は発見出来ませんでした。
今後、研究して行きたい分野です。
来週からは教室を休まない様に頑張ろう!
***** 「 シネマビクス 」 ・ 完 ******************
いやあ〜。
久々に磯子スポーツセンターで体操教室でございます。
実は今だから言うけど、8月上旬はニヘドン、体調不良が最悪だったんです。
今日医者に行くか、明日医者に行くかってタイミングを推し量っていて、ある晩、どうにもならなくなって、夜中までに唇が白くなったら救急車を呼ぼうと思った位。
自分の身体の具合を見ながら、万が一に備えて、息子宛てにニヘドンのブログのIDやパスワードをメモにリストアップしてたりしました。
体調が戻った今となってはお笑いなんですが…。
そんな調子で体操教室は2週間休んでしまい、ニヘドンが教室に行かれる状態になったら、今度は教室がお盆休みに入ってしまい、何だかんだで1ヶ月振りの復帰ですよ。
受講料が勿体無かったけど、「 お迎え 」を覚悟する程、酷い状態だったのだから仕方が無いわね。
さて、久しぶりの体操教室で、珍しく遅刻もせず参加する事が出来ました。
先生が最初に仰いました。
「 今日はシネマビクスをやっていきます。」
え!? シネマビクスって何?
新しいシネコンの名前?
教室では、ストレッチ、エアロビクス、リズム体操、ヨガ、筋肉トレーニング、バレエ、等様々なプログラムを先生が組み合わせて90分の指導をして下さいます。
ニヘドンみたいに、何でも色んな事を少しずつやりたい人には薔薇色のプログラムなのである。
しかし、先生の仰っしゃる「 シネマビクス 」なんて今まで聞いた事が無いわ。
アクアビクスならやった事がありますよ。
プールの水中でエアロビクスをやるとアクアビクスなのです。
マタニティビクスと言うのも聞いた事があるなあ。
妊婦のウェイトコントロールと安産の為のソフト・エアロビクスの事なんです。
これは大きな興味を持ってはいましたが、妊娠5ヶ月までツアコンの仕事を続け、妊娠6ヶ月で不正出血の為安静入院をさせられたニヘドンには、体験する機会は得られなかったの。
聞く所によると、「 太鼓ビクス 」なるものも有るらしいですね。
太鼓叩きながらエアロビクス? ( 笑 )
で、先生の説明が有りました。
「 映画音楽を聞きながらエアロビクスをやっていきます。皆さんがご存知の曲も有ると思いますので、楽しんでやっていきましょう。」
ニヘドン、ウハウハ笑ってしまったわ。
先生、ニヘドンが映画好きって知ってて、わざわざシネマビクスにしたのー!?
いや、偶然なんでしょうが、初めて聞く言葉に驚いたの何のって!!
シネマビクス!
いいねー。
もうニヘドンは一生これだけやっていたいよ。
アップテンポの映画音楽をかけながらのエアロビクス!
心無しか、いつもより身体が軽く感じられる。
ウハウハ。
ニヘドンは火曜日と金曜日の2回、教室に登録しています。それぞれ担当のインストラクターの先生が違って、金曜日の先生の方が振り付けやリズムが複雑なんですよ。
今日の「 シネマビクス 」で使われた曲は、全部ニヘドンが聞いた事有る曲ばっかりだったのです。でも、そこはほれ、オバサンの哀しい性で、曲のタイトルが突差に思い出せないの!
「 知ってるよ。知ってるんだよ、この曲。えっと、タイトルは何だっけ。何だっけ? 」
曲のタイトルを思い出そうとすると、複雑な振り付けについていけない。
複雑な振りに集中すると、音楽の聞き方が甘くなり、もう2度と何の曲だか分からなくなる。
コンサートと違ってプログラム無いからなあー。DJ が必要じゃん。
最初、「 シネマビクス 」と言うなら、正面にスクリーン設置して映像も流してよ! と思いましたが、そんな事をしたら、脳が空中分解してしまいそうです。
けど気に入ったよ。
シネマビクス!!
ニヘドンこれからはシネマビクス普及委員会を始めるから。
今日はスパイ映画特集です。とか、自分で構成しちゃうから!
目指せ、シネマビクス・インストラクター!! ( 爆 )
教室の後、TSUTAYA に行ってみました。
運動会用のCDや、エアロビクス用のCDのコーナーに、シネマビクスのCDが有るかと期待したのですが、「 シネマビクス 」と言う言葉は発見出来ませんでした。
今後、研究して行きたい分野です。
来週からは教室を休まない様に頑張ろう!
***** 「 シネマビクス 」 ・ 完 ******************