2011年12月22日

濡れ仏

2011年11月24日(木)
「 信州ぐるっとウォーク 」のツアーのこの日、
出発地点が長野の善光寺でした。
出発迄の短い時間を利用して、
二ヘドンは、境内の見物に精を出します。

ちょっと興味深い仏像が屋根も無い所に
いらっしゃいました。
見た所、何処にでもある仏像みたいなのですが、
二ヘドンが興味を惹かれたのは、
その名前です。

「 濡れ仏 」。
二ヘドンのブログって、際疾い単語を多様するから、
大幅に勘違いして飛んで来る訪問者が多いのですが、
この「 濡れ仏 」も、きっと勘違いした人が来るでしょう。( 笑 )

この仏様は、享保7年( 1772年 )に完成した物だそうです。
高さ 2.7m。 
正式名称は「 延命地蔵菩薩坐像 」です。
法誉円信が広く施主を募って建てたそうです。
( この法誉円信が如何なる人物だったのかは、ちょっと資料が見当たりません。)

仏様の通り名が「 濡れ仏 」なのは、
「 八百屋お七の冥福を祈り恋人の吉三郎が造立した。」 と言う伝説に因むからです。

この濡れ仏から門前商店街に向かうと、「 駒返り橋 」の石碑が立っています。
説明版に拠ると、
「 建久8年 ( 1197年 ) 源頼朝が善光寺に参詣した折、 馬の蹄が石橋の穴に
  嵌まってしまい、馬を降りて徒歩で境内に入ったという伝承が残る。
  頼朝は火災で焼失した本堂の再建を行う等、善光寺に深い信仰を見せた。 」

善光寺って、面白いですよね。
同じ境内に、八百屋お七関連の物と、源頼朝関連の物が、両方存在しているのです。
全然時代の違う頼朝と八百屋お七が出会う場所。
それが長野善光寺なんです。

今、二ヘドンは善光寺さんのお導きで(?)、長野付いています。
12月25日(日)~26日(月)迄、「 信州ブロガーツアー 」で野沢温泉に行って来ます。
01月05日(木)からは息子ちゃんが高校の修学旅行で長野県志賀高原にスキーに
行きます。
最近は学校の修学旅行も多様化して来ましたが、
5日間スキーをする修学旅行も面白いですよね。
親子で信州に縁を結んだ今日この頃なのです。

また、来週以降、長野県の最新情報をレポート出来たらいいなと思います。
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長野県スキー場情報総合ポータルサイト
NAGANO SNOW LOVE. NET
http://www.snowlove.net/

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***** 「 濡れ仏 」 ・ 完 ******************  


Posted by ニヘドン at 22:31Comments(0)歴史散歩

2011年03月08日

杉田の梅林

2011年03月08日(火)
12年も磯子スポーツセンターに通っているのに、
今日初めて、スポーツセンター近くの梅の名所の妙法寺に行ってみました。

写真の梅の木は、妙法寺の境内に有るものでは
ありません。
お寺の脇に、広い空き地が有りまして、
カラスの天国みたいになっています。
そこに生えている梅の大木です。

妙法寺境内の梅は、まだ咲いてはいるものの、
盛りは過ぎたという感じでした。

妙法寺の門の脇に立てられていた説明書きから
転記します。

「 この辺り一体は地質が穀類や蔬菜類には
  適さないので、
  天正年間( 1573-1592 )
  領主・間宮信茂( まみや のぶしげ )が
  梅樹の植林を奨励し、その果実を売らせて
  生活の一助とさせました。

  梅樹は土地に合い繁茂し、元禄( 1688-1704 )の頃には
  3万株となり、寛政~享和 ( 1789-1804 )の頃には
  近隣の森、根岸、滝頭、富岡の村々も梅樹を植えたと伝えられています。
  
  明和~安永( 1764-1781 )の頃、杉田の梅は
  金沢探勝のルートとして加えられる様になり、
  文化~文政( 1804-1830 )の頃には、
  江戸近郊の名所として文人墨客が訪れ、
  佐藤一斉の『 杉田村観梅記 』、清水浜臣の『 杉田日記 』が
  出版されてからは一層有名になりました。    

Posted by ニヘドン at 21:25Comments(0)歴史散歩

2010年09月02日

赤坂豊川稲荷の「 お狐 」ワールド

最近、ちょくちょく
赤坂ガーデンシティの18階に有る
ベクトル・ラウンジに出掛けます。
この会場でブロガーズ・イベントが
頻繁に行なわれるからです。

このベクトル・ラウンジは、
2008年08月24日22:00に放送された
二宮和也主演のTBSドラマ
「 流星の絆 」 の撮影が行なわれた場所なのです。

転んでもタダでは起きない二へドンは、
どこかへ行ったら、絶対にその前後に
会場周辺を歩き回ります。
これで1回のお出掛けで、
ブログ記事が2本も3本も書けるからです。

今まで、とても気になっているものが有りました。
それが赤坂豊川稲荷です。
ベクトル・ラウンジに来るのは夜の事が多かったので
青山通りに面した稲荷の周囲の白い塀に、赤い細長い提灯が
ぐるりと下げられています。
隣は赤坂御用地( 江戸時代には紀州徳川家の下屋敷だったのを、
明治時代になって皇室に献上されたものです。)
ですから、きんきらのネオン等無く、提灯のぼわーんと赤く灯る色合いが
何ともオカルティックなのです。

隙間無くびっしりと並んだ桶型提灯が、得も言われぬ赤さを滲ませる怪しさに
妙に心を惹かれました。
でも、流石に夜に、女1人で肝試しをする気はなくて、いつか昼間に行ってやろうと
心に決めていたのでした。

さて、皆さんは提灯と云うと、ただ提灯としか思わないかもしれませんが、
買ったら一体幾らするのだと思いますか?
「 提灯工場 」 と云うサイトを覗いてみました。 http://www.chochin-kojo.com/
豊川稲荷の提灯のサイズが分からないのですが、小さいサイズで計算してみましょう。
9号長型の場合、 1個~9個の値段が ¥1,425.-。
200個からだと ¥741.-です。
赤坂豊川稲荷の塀の周囲の提灯は無数に有りますから、200個一気に大人買いだと
200×741=¥148,200.-。
おお! 何も考えずに提灯の横を通っても、そこにはただ提灯が有るだけですけれども、
こうして金額を計算してみると、そんな高価なディスプレイであるのだなあ・・・・・・・・・。
我が家のクリスマス・ツリーより高いぞ!

さて、この赤坂豊川稲荷は、愛知県豊川稲荷の別院です。
豊川稲荷と言えば、大岡越前が信仰した事で有名ですね。
稲荷の語源については、二へドンは
「 音楽は年を取らない 」http://nihedon.hama1.jp/e865192.html の記事において、
「 稲荷の語源は『 異也り 』 だ。」 と書きました。
ところが赤坂豊川稲荷の説明版に拠りますと、
「 稲荷の語源は『 稲成 ( イネナリ )』。 
  稲の育つ様子を表し、また神様が稲を荷っているところから稲荷。」とありました。
ちょっとこの当て嵌めは、余りにも優等生過ぎて、気に入らなかったので、
帰宅後インターネットで調べてみました。
すると、出て来るわ。 出て来るわ。 十中八九の解説が「 稲荷 = 稲成 」説でした。
えー!? 世間ではそういう事になっていたの!?

そこで二へドンはハッと気が付きました。
そうだった。 二へドンは裏神道のシンパだった・・・・・・・・。
裏神道とは、正統とは全く見做されない考え方、流儀の神道で、詳しくは
「 失われたキリストの聖十字架『 心御柱 』の謎 
  - 裏神道の総元締め『 八タ烏 』 がが明かす封印された第3の伊勢神宮と天照再臨 」
( ムー・スーパーミステリー・ブックス ) を読むと面白いと思います。

この本は、非常に分かりやすく、1つ1つの事例の検証を積み上げ、なかなか説得力の有る本です。
この本を読み終えたら、恐らく大方の人は、裏神道もさもありなんと思われる事でしょう。
この本の冒頭は、童謡「 とおりゃんせ 」の検証から始まります。
二へドン世代の人達は、子供の頃に誰でも歌った「 とおりゃんせ 」。
でも、本当の意味を知っているか? と始まります。
お寺は夕刻になると門を閉ざすのが一般的。 
それに比して神社には鳥居は有るが、門は無い。
伊勢神宮とか明治神宮の様に格式の高い神社なら、夜は門を閉ざして警備員も常駐しているが、
一般の神社は24時間通行は出来る。
しかも歌詞では「 この子の七つのお祝いに 」 と歌っている。
七五三の用事なら、庶民が行く普通の神社であろうに、何故「 通して下さい 」 と許可が要るのか?
しかも門番らしき者が 「 御用の無い者、通しゃせぬ 」 と返答します。
これ、一体、どこの何の神社よ!? と云う訳です。
この本はとってもエキサイティングなので、是非読む事をお勧めします。

大分、脱線していまいましたが、赤坂豊川稲荷に話を戻しましょう。
この豊川稲荷東京別院は、元々赤坂一ツ木の大岡邸に有った物を明治20年に現在地に奉還し、
愛知県豊川閣の直轄別院となり今日に至ったものです。
「 稲荷 」 と名が付いているものの、神社ではなく、曹洞宗の寺院なんです。
確かに、言われてみれば、建物はお寺だわ。
今まで知らなかったのだけれども、豊川稲荷横須賀別院も有るんですね。( 大滝町2丁目 )
今度機会が有ったらお参りしてみようと思います。

二へドンはこの日、正門からではなく、西側の通用門から入りました。
二へドンは神社仏閣に参る時は、わざわざ歩いても、表参道を通り、正面入り口から入る主義の
人なんですが、この日ばかりは113年間で1番暑い年ですから、身体を労わって、少しでも
歩く距離を節約して通用門から入りました。
通用門の前は駐車場になっており、端にへばり付く様に、古い2階建ての長屋の様な建物が在ります。
1番左端が公衆トイレで、その隣には小さな店が並んでおり、どの店も「 いなり寿司 」を
売っているようです。
残念ながら、二へドンはこの日はブログタイムズ2周年記念パーティのケータリング・ビュッフェで、
もう駄目! と云う程、お腹を膨らませてしまったので、この日のいなり寿司は断念しました。
あまり綺麗な建物ではないのですが、これが「 豊川文化会館 」 と云う名前だと知り、
ちょっとビックリ。

通用門から通路を辿り、1度本堂前に出ます。
お守りや御札の販売所を横目で見つつ、紅と白の鮮やかな幟( のぼり )がはためく「 千本幟 」
の方に引き寄せられて行きました。
外から見ると、この豊川稲荷の敷地は広大な様に見えます。
が、敷地内には、余りにも種々雑多な物が置かれているので、とても狭くて窮屈に感じます。
千本幟の一画は迷路の様になっており、「 大岡廟 」や「 奥の院 」も有ったらしいのですが、
しっかり見落としました。
この一画で1番大きな「 霊狐奉安之場 豊川だ釈尼真天の碑 」が有ります。
「 だきにてん 」は通常、茶吉尼天と漢字で表記するのですがここの碑には、
「 だ( 口偏に、托のつくりの部分 )釈尼真天 」 と彫られていました。
八角大理石の周囲が小さな歩道になっているので、一周してみます。

周囲には狐の置物が数十体も並んでいます。
昔はもっと沢山のお狐様が有った様ですが、今はお炊き上げで、地下に奉納するのだとか。
狐の顔がそれぞれ違っていて、1つ1つ見て行くと、とっても可愛いです。
口に巻物を咥えるもの、オオカミみたいな顔のもの、犬みたいに愛くるしいもの、
眉間に皺を寄せているもの・・・・・・・・。
二へドンが1番気に入ったのは、この子。


眉間に皺を寄せて、何か文句でも有りそうな・・・・・・。( 笑 )

残念ながら写真は撮って来なかったのですが、「 子授けキツネ ( 子抱ききつね )」もいます。
撫でながら祈願すると、子宝を授けてくれると言われている狐さんです。
これもまた、俗信かもしれませんが、神社仏閣では、よく神様のお使いをするものがいます。
豊川稲荷では狐狗狸( こっくり )が使いになるらしいと聞きました。
狐狗狸は低級な動物霊とされていて、この狐狗狸と豊川稲荷との関係も、「 裏 」的に調べて行くと
面白いのではないかなあー。

八角大理石の敷地の奥の右隅に、「 七福大明神 」と彫られた石が置かれてあります。
矢印に添って進んでみると、更に裏手に比較的新しく作られたであろう七福神の像が並んでいます。
貼り紙がしてありました。 「 お酒はかけないで下さい。 当山 」。 ははは。
神様が飲んだくれちゃうから?

七福神から、戻る時に、「 叶稲荷 」を見つけました。 
全ての悪縁を切る開運招福の導天様です。
あ、もう男とスッパリ縁が切れる様に真剣に拝んで来れば良かったよー。
この横におみくじが有ったので、100円を投入して引いてみました。
「 第九十四番 半吉 」 でした。 あんまり良くなかったけど、っま、凶よりマシかあ・・・・。

・ 事忌樽前語( ことはそんぜんのごをいむ )
     酒の上にて事を過す事あるべし又つつしみあるべし
・ 人防小輩交( ひとはしょうはいのまじわりをふせぐ )
     まじわりもつつしまざればわざはい起るべし
・ 幸乞陰公祐( さいわいにいんこうのたすけをこう )
     主人の奥方或伯母あね又は僧などの助けを得てぶなんなるべしとなり
・ 方免事敲駁( まさにことのこうこうをまぬがれよ )
     末には交わりもよくなりもののやかましきことものがれて心安しとなり

▲ このみくじにあたる人は、しじゆう仕合はあしからずといえども人ににくまるる事あるべし、
  とりわけ先輩の前にてことばをつつしむべし、いささかのことばの間違いより大なるわざはいと
  なる事あるべし、口はわざはいの門と心得てみだりに人の事など言うべからず

  これ、大当たりしちゃったから、嫌になっちゃう。 もういいよ、mixi なんて開けないから。

▲ 神仏を念ずべし

  へえ。 アラーの神でもよろしいんでおまか?

▲ よろこび事おそし

  ええ。ええ。何も期待なんかしていませんとも。

▲ 病人ながびく

  ぎょ・・・ぎょえー。二へドン、09月に入ってめちゃめちゃ体調崩しましたけどー!!
  まだ長引きますのかえ?

▲ 待人おそく来るべし

  お。 でも来ない訳ではないのですね。 では、待ちます。 待たせて頂きます。 新しい彼氏を。

▲ あらそい事かちがたし出家か女をたのみて吉

  出家? そんなお方が近所にいますかね?
  出戻りのお方はちらりほらり見受けられますが・・・・・・。

▲ のぞみ事かなう

  おお! 宝くじ大当たりをお願いします!!

▲ 失物でがたし、やうつり、ふしん、むこよめどり就職たび立半吉

  クレジットカードを失くしましたの! 夜、電話して止めてもらったのだけれども、特に
  他人に不正使用されてはいないみたいでした。

▲ 売買半吉

   あ、デジカメを、こちらの言い値で落札した今日この頃なんです。

全体的にこのおみくじは当たっていました。 よし「 私は貝になりたい 」路線で行こうと思います。
もう mixi なんて開けるもんか。
 
*****「 赤坂豊川稲荷の「 お狐 」ワールド」 ・ 完 ********

  


Posted by ニヘドン at 21:55Comments(0)歴史散歩

2010年01月30日

松江の「 青柳楼 」の大燈籠

2009年10月10日(土)

岡山駅から「特急やくも」に乗り、松江に着いた。
早速市内を散策。
10:55 白潟 ( しらかた )公園の宍道湖の湖岸側の突端に到着。
この公園に、一際目を惹く建造物が有る。
早速、それを目指す。
11:00 「 青柳楼の大燈籠 」だ。
以下、説明板に書かれていた文章を転記する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

この石燈籠は、もともと明治初期から松江の歓楽地として賑わった天満宮裏で最も大きな料亭の1つ「 青柳楼 」にあった。
現在の市立病院付近であるが、当時その辺は宍道湖の波打ち際であり、総来待石( そうきまちいし )・高さ6m余の大石燈籠は、入江の燈台の役目を果たしていたもので、松江の名物の1つとなっていた。
その後、宍道湖の埋め立てにより取り残されていたが、松江開府350年祭にちなんで昭和33年 現在地に移設された。
又、明治維新の時期、松江藩の危急を救ったと言われる侠女「 玄丹( げんたん )お加代が芸ぎとして勤めていたのが、青柳楼の隣にあった「 鳴玉楼 」( めいぎょくろう )だった事から、この石燈籠は「 お加代燈籠 」とも呼ばれている。
ーーーーーーーー 松江観光協会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大きな石燈籠は良いですね。
城下町の風情にぴったりですね。
ヨーロッパには中世の街並みを残している所が多いけれど、日本は壊滅的じゃないですか?
安っぽいテーマパークに成り下がっちゃってる所も有るし。
無駄なダムにお金を掛けるなら、いっその事、どこかに江戸の街並みを再現してしまえばいいと思うのですが…。
年度末に慌てて道路をほじくるなら、道路を松並木に変えた方がよっぽどマシだと思うのですが…。

そんな中で奈良 1,300年祭は非常に期待しています。
旧い物を懐古する良い機会と言う事でね。

***** 「 松江の「 青柳楼 」の大燈籠 」 ・ 完 ***********

この青柳楼の大燈篭の後、歩いていて見つけた喫茶店
「 昔ながらの珈琲店 RAGTIME 」の記事はこちらでお読み下さい。
→ http://yasunaolove.hama1.jp/e816419.html

もう1つお知らせ。
何と! 半年振りに「 いらっしゃいませ! ドンドン・ドラッグストア 」のブログを更新しました!!
「 飲むジューシーマンゴーの酢 」の記事を書いたのです。
こちらです。 → http://ishidakumicho.hama1.jp/e816461.html  


Posted by ニヘドン at 13:55Comments(0)歴史散歩

2009年10月11日

須衛都久( すえつぐ )神社の大鳥居

2009年10月10日(土)

JR松江駅で「 特急やくも 」を降り立ちました。
駅北口の周遊バス「 レイクライン 」に乗り、ふと気が向いた所で下りてみました。
そこは 「 須衛都久( すえつぐ )神社前 」と云う停留所でした。
宍道湖 ( しんじこ )に面した小さな神社ですが、何か心惹かれる物を感じたのです。

後で気がついてビックリしたのですが、この日の夜に「 リメンバーしまね 」事務局が用意してくれたホテルが、この神社の隣に立っていました!
しかもニヘドンの6階の客室の窓から、この神社の境内が眺められたのです。
何の因縁かねー。

宍道湖畔の遊歩道に、「 湖畔の私の一言案内板 」と云うのが立っています。
そこから須衛都久神社の由来を転記しておきます。
「 出雲風土記所載の須衛都久神社は『 権現さん 』と称えられている所から、この辺りを権現灘と言い、古くは築城の際、舟や筏津( いかだ )で運んだ石材を陸上げしたと伝え、又、水上からの参拝や郊外からの野菜等の行商の人達の船着場として賑わった所でもある。
現在は埋め立てられ、同神社境内の灯台の様な高石燈籠や、宍道湖ゆ向かった大鳥居が往時を偲ばせている。
松江市西茶町 永岡弘見( ながおか ひろみ )」

うん。参拝客が入る為の鳥居とは別に、宍道湖に向かった大鳥居が有るんです。
この記事に載せた写真が、その大鳥居です。
この鳥居の下は、高さ2メートル位の木が壁の様に生い茂っていて、猫の子も犬の子も通れません。
多分、ストーカーの違名を取るニヘドンすらも通れない筈です。
( 通ろうとも思いませんでしたが。)

昔は人もこの下を潜り抜けたのでしょうか?
それとも最初から神様だけが通る様に立てられたのでしょうか?
出雲は日本全国から神様が大集合する場所ですから、神様が通る場所が沢山有ります。
宍道湖に浮かぶ小さな嫁ヶ島も、真西に向いており、その先は出雲大社が有るので「 神様の参道 」と呼ばれています。
関東地方に居ると、神様はいつも、その場所に居ると思いがちです。
だから神様が神社の境内を出入りするって感覚は違和感有りますよね?
鳥居は参拝する人間が通る為の物だと、ずっと思っておりました。
今回、ニヘドンが参加した「 運気UP ! HAPPY ツアー 」で、今まで知らなかった多くの事を学びましたが、鳥居の潜り方も初めて知りました。
曰わく「 鳥居の真ん中は神様の通り道だから人間は端を歩け。
そして右側の端を歩く時には右足から。
左側の端を歩く時には左足から。」
ほっへー。そうなんだ。

皆さんも、今度神社を参拝する時には試してみて下さい。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

現在 2009年10月11日(日) 15:48 。
JR 松江駅のホームで特急やくも 24号を待っている所です。
果たしてニヘドンはこの後、どこまで流されて行くのでありましょうか?

***** 「 須衛都久( すえつぐ )神社の大鳥居 」 ・ 完 *****  


Posted by ニヘドン at 15:51Comments(0)歴史散歩

2009年09月06日

江戸六地蔵

2009年09月05日(土)

東京都現代美術館で
「 メアリー・ブレア展 」を
楽しんだニヘドンは、
( 「メアリー・ブレア展」の二へドンの感想は
  こちら → http://blog.livedoor.jp/taisakuiinkai/archives/51262916.html
「 折角 深川エリアまで来たのだから、
江戸深川資料館を見学して行こう! 」と思いました。
東京メトロ・清澄白河駅の出口横に有る
「 Rin's 」で昼食を取りました。
14:30 Rin's を出ました。
14:45 江戸深川資料館が有る筈の場所に来ました。
が、見つかりません。
あれー? ニヘドンは又 「 地図の読めない女 」になってしまったのでしょうか!?
鉄板で覆われているエリアの横を通る時に、見るとも無しに張り紙を見ました。
「 深川資料館 大規模改修の為 休館中 」
え"え"え"〜!?
折角来たのに〜。
「 メアリー・ブレア展 」のA4サイズを4枚くっつけた立派なチラシには、美術館周辺の観光イラストマップが付いていて、深川江戸資料館もしっかり出ています。
くすん。休館中って一言書いておいて欲しかったわ。
まあ、要するにあのマップを描いた人も載せた人も、深川江戸資料館に行った事も行く気も無いって事なんですよね。( いじける )

改修期間は 平成21年07月01日(水)〜平成22年07月末日 ( 予定 )です。

仕方が無いので、付近を徘徊します。
ストーカーの疑いを掛けられてもかめしまへん。
ニヘドンのボヘミア〜ンの血が騒ぎます。
ふらふらと歩き始めると、
14:50 霊岸寺に到着しました。
歩道に出ている看板に「 松平定信の墓 」と書かれています。
( へえ〜。松平定信のお墓が有るんだあ〜。)
中に入ってみると、歴史研究会ご一行様みたいな15人位のグループや、夫婦連れや、色々な人々で賑わっています。
お寺の境内はだだっ広くてがらーんとしています。
信心深い人々の信仰の場所と言うよりは、松平定信のお墓に惹かれてやって来た物見遊山の人々の為の観光スポットみたいです。
境内の右手には、立派な建物の幼稚園が有ります。
( うわあ〜。保育料高そう…。)
左手は墓苑になっています。
暑い日差しに晒されて、全体が白っぽく光っています。
日本昔話に出て来る様な山寺の雰囲気ではないです。
カラスや名前の分からない小鳥達の鳴き声が賑やかに響いています。

松平定信の墓は、鍵の下りた柵があり、遠くから眺められるだけです。
ニヘドンは寧ろ、手前に有る「 江戸六地蔵 」の1つに心惹かれました。
高さ 2.73m で横幅も有る、ガッシリとしたお地蔵さんです。
お地蔵さんと言うよりは、仏像とでも言いたい存在感です。
享保2年 ( 1717年 )頃の物で、制作者は神田鍋町の鋳物師、太田駿河守正儀。
「 江戸六地蔵 」の第5番と云う事です。

ニヘドンは日本の47都道府県を制覇し、各地のオカルティック・ポイントを好んで巡っている内に、何か「 感じる 」人に成長致しました。
で、その「 感じ 」で云うと、霊岸寺の本堂や松平定信のお墓よりも、お地蔵さんの方がよっぽど「 感じる 」ものがありました。
温ったかい。
このお地蔵さんならば、必ず衆生の民を救ってくれるはずです。
大仏張りの貫禄が有ります。
又、彼に会いに遊びに来たい感覚を覚えます。

説明文には、他の六地蔵の所在地も書かれていました。

・ 品川寺 品川区南品川3丁目
・ 太宗寺 新宿区新宿2丁目
・ 真性寺 豊島区巣鴨3丁目
・ 東禅寺 台東区東浅草2丁目
・ 永代寺 江東区 消滅

どれも見に行った事ありません。
と、云う事は、この霊岸寺のお地蔵さんが、二へドンが生まれて初めて出会った
「 江戸六地蔵 」の1つと云う事になる訳です。
不思議な縁を感じつつ、二へドンはこの後、清澄庭園を徘徊する。
清澄庭園放浪記は、後日、別の日記にアップする予定です。

 
***** 「 江戸六地蔵 」 ・ 完 *****************

  


Posted by ニヘドン at 21:08Comments(0)歴史散歩

2009年06月04日

東洋と西洋の宗教感

2009年06月03日(水)

写真は甲斐善光寺の境内に鎮座しているお地蔵さん。
なかなか良い表情だったのでパチリ!

甲斐の国で、同じ日に奇しくも東洋と西洋の宗教画を両方見る機会を得た。
ニヘドンは自分で自分の事を、フツーのニッポンジンよりは宗教心が有る方だと思っている。
( 特定の宗教には入信していないが…。
あ! 前島秀国氏の信者だと自分でブログに書いていたか……!?
おい、前島の秀さん、信者になっても何のご利益も無いぞ!?
え!? 信心が足らない!? )

山梨県甲府エリアへの日帰りバスツアーで、東洋と西洋の宗教画を見るとはどう言う事かをこれから書いて行こうと思う。

まず午前中に甲斐善光寺を参拝した。
ニヘドンは甲斐の国は私用や添乗の仕事で嫌と云う程、訪れている。
が、甲斐善光寺は今日、生まれて初めて参拝する。
布引観音とか、天橋立近くの籠( この ) 神社等々、オカルト的サブカルチャーが好きそうなマニアックな場所は日本津々浦々訪れているのだが…。

金堂の拝観料 500円を払って中に入ると、天井の 「 鳴き龍 」( なきりゅう ) を試す立ち位置の床に足跡のシールが貼られている。
そこから御戒檀巡りをするには右側に向かうが、反対側の左側も見て欲しい。
16幅の「 地獄極楽図 」が並んでいる。
義務教育が無かった時代、字の読めない人々にも、仏教の教え、特に死後の世界感を教え説く為に、この絵は描かれた。
高名な画家が描いた作品では無いし、美術的価値は無い。
けれども説得力あり過ぎ!!

ニヘドンは、境内に1軒だけ有る土産物屋の 「 かぶと屋 」で本を1冊購入した。
「 ものがたり 甲斐善光寺 」
戒光祥出版 / 吉原浩人・著
500円 ISBN4-900901-29-6
この本は甲斐善光寺が所蔵する仏像、絵、墓、石ひ 等を来歴や伝説を絡めて解説している91ページの小冊子である。
もし貴方が甲斐善光寺からの帰りに自分でハンドルを握らなくても済むのであれば、是非、読んでもらいたい。
帰りの車中で丸々読めてしまう分量だ。

しかして、この本の中で 「 地獄極楽図 」は一言も言及されていない。
それ位に歴史的価値の無いものなのか…?
(^_^;)

そこでニヘドンが観音様の様に 「 地獄極楽図 」に救いの手を差し伸べ、「 地獄極楽図 」の存在をあまねく世間に知らしめる―。

絵は先ず、現世で暮らす人々の姿から描き始める。
そして野辺送りの様子が描かれる。
野辺には5体程の亡きがらが置かれている。
それぞれ、死後経った日数が違うらしく朽ち果てる度合いが冷酷に描き分けられている。
しかし、どの亡きがらも、真っ黒な長い髪が大地に広がっている。
壮絶な絵だ。
人間の死にランクなぞ無いと思えて来る。
犬死になんてあり得ない。
死は等しく壮絶だと思う。

さんずの河原の絵が有る。
河原で幼な子達が小石を積み上げる。
1つ積んでは父の為……
2つ積んでは母の為…
3つ積んでは兄弟の為……。
しかし鬼達がやって来て金棒で積み石を崩してしまう。
幼な子達は泣きながら再び石を積み上げる。
何度積んでも崩され、何度積んでも崩される。
幼な子達は、再び人間として生まれ変われる事を願いながら石を積む以外に他する事が無い。
人間の主要成分はタンパク質だと思うが、タンパク質が何故ここまで深い絶望を感じなければならないのだ?
絵の左端には菩薩像が大きく描かれ、菩薩に救われた子供達が天に昇っていく。
1枚の絵に、絶望と、救いの両方が描かれている。 深い・・・・・・・。

後は、皆様、どこかで見た事のある地獄絵が並んでいきます。
閻魔大王の審査を受ける人々、針山地獄に刺さっている人、舌を抜かれる人、
鬼に喰われる人・・・・・・・・・・・。
亡者達の様子が陰惨極まりない姿で延々と続きます。
スプラッターなホラーの世界。
ホラー映画なんて見た事の無い人々は、こんな絵を見たらおしっこジャージャー出ちゃう程
恐れおののいたと思う。
こんなに目的にかなった絵は見た事が無い。

さて、甲斐善光寺を出た4時間半後、「 白金( しろがね )工房 」 という白金( はっきん )をメインに作っているアクセサリーメーカーを訪れた。
ここのミュージアム・コーナーで、カメオ作品のコレクションを見た。
世界一サイズのカメオなど、展示品は様々だったが、二へドンが1番心を惹かれたのが、
「 聖書物語 」というカメオ作品のシリーズだった。
カメオの作者は Hans Dieter Roth ( ハンス・ディーター・ロート )。
1948年ドイツのイーダーオーバーシュタインの生まれのカメオ作家。
「 聖書物語 」は、新約聖書のイエス・キリストの生涯を10枚以上のカメオ作品に彫り上げている。
受胎告知から磔刑後の復活まで。
1枚ずつカメオに描かれたキリスト教の世界を見て行く内に、甲斐善光寺の「 地獄極楽図 」を嫌でも連想した。
「 聖書物語 」に付けられた解説文には、「 当時ラテン語で書かれていた聖書を一般の人々に分からせる為に、聖書物語の絵は必要なものであった。 」とある。
仏教とキリスト教という異なる宗教だが、大衆に教義を教える為という同じ目的の為に作られた作品を同じ日に比較出来た事は稀に見る珍しい経験だったと思う。

カメオの聖書物語は、ほの蒼く光が下から浮かび上がって来るようなミステリアスな雰囲気。
作品からは全く 「 音 」がしない。
宗教画はよく、いかにも宗教音楽が聞こえて来そうなものが多いが、H.D.ロートの作品は全くの無音。
映画「 ダヴィンチ・コード 」を見た人も多いと思うが、ダヴィンチの描く「 最後の晩餐 」と全く違う 「 最後の晩餐 」も見る事が出来る。

「 聖書物語 」は、生者の生気が全く感じられない。
逆に 「 地獄極楽図 」は描かれているのは死者ばかりなのに、妙に生気に満ち溢れている絵だった。
実に面白い。

***** 「 東洋と西洋の宗教感 」 ・ 完 **************

下記の記事が完成しております。

2009.06.03 「 ロシア料理『 マトリョーシカ 』 のAランチ 」
           http://nihedon.hama1.jp/e105859.html
2009.06.03 「 日帰りバスツアーが当たった! 」
           http://nihedon.hama1.jp/e105788.html  


Posted by ニヘドン at 00:39Comments(0)歴史散歩

2008年11月19日

塩釜が誇る銘酒 「 浦霞 」の蔵元

2008年11月15日(土)

塩釜神社の末社である御釜神社を見物している時、地元のおばちゃんがお参りに来ていた。
ジップロックの袋にお賽銭用の小銭を入れて持っていた。
お参りは毎日欠かさないらしい。

彼女は、自分のお参りが済むと、神社の由来を書いた説明板を読んでいるニヘドンに声を掛けて来た。
「 観光の方ですか?」
そして、塩釜の人々がニヘドンに対して人懐っこい言葉を掛けて来たのと同じ様な会話を繰り返した後、観光案内をしてくれた。
その彼女が、この御釜神社のすぐ近くだから是非見て欲しいと強力に勧めて来たものが有る。

それが写真に写っている「 法蓮寺( ほうれんじ ) の向拝 ( こうはい ) 」。
向拝を平たく言うと、門の屋根。
( うぷぷ…。すごい端折り様だ。)

法蓮寺は、塩釜神社の神宮寺として室町時代に創建された歴史有るお寺さん。
ところが明治維新の廃仏毀釈によって廃寺の憂き目に遭う。
諸堂は取り壊され、仏像、仏具は分散、散逸した。
向拝部分を多賀城市の南宮( 慈雲寺 )が譲り受け、ずっと、そこに有った。
平成18年に法蓮寺の本堂を建て替える事になり、それを機に向拝が塩釜に戻って来る事になった。

塩釜での引き取り先を決めるのに、やはり塩釜で歴史のある銘酒「浦霞 」( うらかすみ ) の醸造元が選ばれたと云う事だ。
「 また、この塩竈に戻って来たんですよ。
  ただのお寺の屋根だって言われたらそれまでなんですけどね。
  また、塩竈に戻って来れた向拝を、是非見てやって下さいよ。 」
おばちゃんが熱く語る心の根元に、熱い信仰心が窺えた。
信心があるから、また戻って来た向拝が、いとおしくていとおしくてたまらないのだろう。

おばちゃんの言う通り、見に来た。
向拝の写真を撮り、向拝の前に設置された説明板を読んだ。
土曜日だったので、蔵元は営業をしていなかった。 窓も入り口もシャッターが閉まっていた。
突然、ガラガラ! と音がし、シャッターが開けられた。
出入り口から、作業服を着た男性が3人出て来た。
説明板を読んでいる二へドンを認めると、3人共頭を下げて、
「 こんにちは 」と言った。
びっくりした。
二へドンは蔵元の客ではなく、単なる通りすがりの観光客だという事は
見て分かったはずである。
なのに、「 こんにちは 」!?
二へドンが逆の立場だったら、同じ事が出来るだろうか?
二へドンだったら、「 け! ろくに歴史も分からない輩が、説明板読んでどうなる? 」と
意地悪な事を考えて、挨拶なんかしないと思う。

塩竈に来て、出会う人、出会う人に、人懐こい親切な言葉をかけてもらっているが、
ここでも又、同じ現象が起こってしまった。

塩竈、優し過ぎるぞ。 二へドンは涙もろいんだぞ。 勘弁してくれ。

***** 「 塩釜が誇る銘酒 「 浦霞 」の蔵元 」 ・ 完 ********
  


Posted by ニヘドン at 20:19Comments(0)歴史散歩