2014年03月08日

三島由紀夫・著「 音楽 」

2011年の庭の桜
写真は2011年04月07日に撮影した
我が家の庭の桜。
東北大震災と言う、未曾有の災害を体験して
1ヶ月後の写真です。
あの時は、やるせない虚無感に襲われ、
「 人間なんて、どうせいつかは
死んでしまうんだ。」と言う思いで
庭の桜も掛け替えの無い存在の様に見えました。

今日は、三島由紀夫の「 音楽 」と言う小説を
読んだ感想を書き記そうと思うのですが、
三島文学に、この震災後の桜の画像が、
しっくりくる様な気がして選んでみました。

題名 : 「 音楽 」
著者 : 三島由紀夫
出版社 : 新潮文庫
価格 : 320円

**************************

三島由紀夫と言えば、二へドンが幼少の頃、自決する際のニュース映像を
リアルタイムでTVで見ていたという、衝撃体験を持っています。
二へドンが小さい子供の頃の衝撃ニュースを3つ挙げろと言われたら、
☆ 三島由紀夫 安田講堂篭城事件
☆ 浅間山荘事件
☆ 大久保清事件
ですね。
 
そんな世相の中、三島由紀夫が安田講堂の塔を背景に、何やら演説をしているニュース映像を
何度もTVで見る羽目になりました。
二へドン「 あの、おじちゃんは何をしているの? 」
父親 「 あの人は死んじゃったんだよ。」
二へドン 「 ふーん。」
分かった様な分からなかった様な曖昧な印象を持ちつつ、
報道j陣が我先に建物の中になだれ込んで行く映像を見たものです。

当時、二へドンの家には小学館の文学全集が全巻揃っていました。
少しずつ読んでいたのですが、三島由紀夫の「 潮騒 」も載っていました。
けれども、裸の女の人のイラストが描かれていて、それを見た時に
「 あ、これは子供が読んではいけない小説だ。」と思って、パッと本を閉じてしまいました。
それ以来、何だか殺伐とした雰囲気を醸し出していたニュース映像と合わせて、
二へドンは三島由紀夫の小説を封印してしまった感が有ります。

ただ、三島は、昭和を代表する文化人の1人だったので、多くの人が三島について語っていました。
二へドンは、そういう論評を通して、三島由紀夫の作品や、彼の考え方や、人となりを知りました。

先月、神田神保町を歩いた時、古書店の文庫本100円コーナーに、
この三島由紀夫の「 音楽 」を見つけたのです。
「 へー。 こんなタイトルの作品も有ったんだ。 」
もう、即買いです。
そして読んでみました。
面白かったです。

精神分析医の汐見が、不感症の治療に訪れた麗子を治療して行く様を表した中篇小説です。
まるで、汐見が刑事で、麗子を不感症に陥れている原因が犯人の様に追い詰めて行く様子は
サスペンス小説を読んでいるかの様で楽しく、あっと言う間に200ページ程の小説を読み切ってしまいました。

タイトルの「 音楽 」とは、耳で聴く音楽の事ではなく、エクスタシーの事であるのですが、
結局、最後に麗子は不感症を克服し、健康な青年江上隆一と結婚し、ハッピーエンドになります。
この小説は、三島文学の中でも、余り重要視されていない作品だと思われますが、
二へドンは凄く気に入ったので、もっと多くの人に読んでもらいたいと思います。

この作中で二へドンの目を惹いたのが、スタンダールの小説「 アルマンス 」について語る部分が
出て来る事です。
三島由紀夫を読む前に、たまたまスタンダールの著作をまとめて読んでいたので、ビックリしました。
恐らく、三島の「 音楽 」を読んで、スタンダールの「 アルマンス 」 を読んだ人はそう多くはいないと想像します。
二へドンが読んだスタンダール作品の中でもレアな作品を、三島作品の中でレアな「 音楽 」で語っていると言うレア中のレアな偶然に驚かされました。

この件は、新潮文庫の117ページ後半に出て来ます。 以下、引用。
「 先生、 スタンダールの『 アルマンス 』 を読みましたか?」
恥ずかしながら、私には文学的教養が不足している。 スタンダールで知っているのは「 赤と黒 」
と、 「 パルムの僧院 」ぐらいで、「 アルマンス 」という小説はきいたこともないのである。
「 いや、読んでいません」
「 内容については御存知でしょう」
「 いや ・・・ 何も 」
「 知らないふりをなさってるんじゃないですか 」
「 いや、 私の自慢できる美点はね、決して知ったかぶりはしないということなんです 」
「 じゃ、 本当に知らないんですね 」
「 ええ 」
「 不勉強だなア 」 と花井は薄い唇を歪めて笑った。
「 折角 あの主人公のオクターヴが、ラストで自殺するのは、正当かどうかについて、
  先生の意見を伺いたかったのに 」
のちに私は「 アルマンス 」を読み、 その主人公のオクターヴが不能者であって、結末で英雄的な
自殺を遂げる物語を知ったが・・・・・・・・・・

**************************************

二へドンが「 アルマンス 」を読んだ時は、オクターヴの不能の事は余り意識されず、
折角相思相愛の若いカップルが、なかなか結ばれないのにイライラしながら読みました。
二へドンは、10代の頃より、本を読んで心に残る部分が有ると、
必ず手帳に書き写す癖が有ります。
PCの時代になっても、その癖は消えず、今だに手帳に書き留めています。
「 アルマンス 」も、手帳に書き留めたものがあるので、ここに転記しておきますね。

第17章 P.389 下段 
「 人間は苦しみでは死なないものだ。 さもなければ、この瞬間、彼は死んでしまっていただろう。 」

第19章 P.395 上段
「 ところで彼の気ちがいじみた点だが、たとえ彼が狂人だったとしたところで、 
  アルマンスはそれ故にこそ、 ますます彼を熱愛するだけのことだった。
  《 あの人には、いまに私が真心をこめて尽くしてあげることが必要になるかもしれない。
    その時は きっとお役に立って見せるわ 》 と、
  そう思いながら、彼女は眼に涙を浮かべた。 」

*************************************

このアルマンスの思考回路は、二へドンと同じだたので、本当に驚く程共感出来たのです。
現代の人間の多くは、もう「 愛 」や「 恋 」を馬鹿にしちゃってる人が多い様に思われます。
だから、「 アルマンス 」や 「 音楽 」を読んで、
100%共感出来る人は、いないのではないかな?

世の中に起こる事件だって、色恋沙汰が原因のケースはほとんど死滅したじゃない?
昔は、江戸時代でも、八百屋お七の様に、恋の恨みつらみの事件が珍しくなかったと思うのね。
最近は、 柏の無差別殺人の竹井聖寿容疑者や名古屋の暴走事件の大野木亮太容疑者の様に
社会に対する曖昧な不安を抱え、自分に注目してもらいたいと言う幼時的な理由での犯行が多い様な気がします。

「 音楽 」の中に、三島が現代の病巣を予言しているかの様な件が有るので、転記しておきますね。
汐見医師が、麗子の兄が浅草の山谷に居る事を突き止め、麗子の心の病の原因を取り除く為に
麗子達4人で山谷に潜入する場面です。

P.184 「 それというのも、社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の
       無意識の部分のように、おもてむきの社会では決して口に出されることのない
       欲望が大っぴらに表明され、法律や社会規範にとらわれない
       人間のもっとも奔放な夢が、あらわな顔をさし出しているからだ。 
       そして同時に、そこにはあらゆる種類の社会的不適応が堆積している筈であり、
       それも社会人の夢のなかに、あらゆる退行現象が巣喰っているのと
       同じことなのである。」

現代の社会に巣喰う病巣を読み解くキーワードが、三島の作品の中に散見される事に興味は尽きません。
「 欲望 」「 夢 」 「 社会的不適応 」「 退行現象 」。
それは正しく「 働かない 」「 父親が生活費を持って来る 」「 認められたい 」現代の容疑者達の
キーワードですよね。

この様に、三島由紀夫の「 音楽 」は、中篇小説ながら、様々な切り口で読む事が出来る
面白い小説です。
この小説を読む事」を機に、三島由紀夫再発見のきっかけになってくれたら嬉しいと思います。

***** 「 三島由紀夫・著「 音楽 」 」 ・ 完 *****  
タグ :三島由紀夫


Posted by ニヘドン at 16:59Comments(0)読書

2011年05月11日

「 牡羊座 」

2011年05月11日(水)
今日から横浜駅東口地下街
PORTA のポイントが10倍になります。
うふふふ。こういう時には本屋さんへ行って、本を買うのです。
丸善に行きました。

今日のお目当ては今野敏( こんの びん )の
小説です。
来月JT 主催のトークショーが有り、
5人の作家がそれぞれの嗜好品について
語ると言う企画に申し込みをしました。
ところが、その5人の作家の作品を何も
読んでいなかったので、
取り敢えず今野敏から読んでみようと
思ったのです。  

Posted by ニヘドン at 22:31Comments(0)読書

2011年04月21日

文豪トルストイに誉められたニヘドン。

写真は、我が家のムスカリの花。
この花は凄いですよ! 
息子ちゃんが小学校の授業で植えたのを家に持ち帰ったものです、
え!? 小学校!?
息子ちゃんは今、高校生。
ちょっと、ちょっと。 もう何年間花を咲かせ続けているの?
因みに球根はずっと植えっ放しです。
「 後は野となれ山となれ 」園芸法で
育てた植物は逞しいよ。( 笑 )

******************

2011年04月20日(水)
今ニヘドンはロシアの有名な作家チェーホフの作品を読むのに夢中です。
先日「 かわいい 」( 旧邦題は「 かわいい女 」)を読みまして、主人公オリガちゃんがニヘドンに 100 % 酷似しているのに驚きました。

このチェーホフの新訳に挑んだ沼野充義の解説によると、
「 ロシアでは作品が発表された当初から、特に女性の読者から強い憤慨や批判の声があがった。
『 女性に対する侮蔑的な嘲笑 」と受け止められたのである。それもそのはず、ここに描かれたヒロインは、ころころ愛情の対象を替え、そのたびに相手の言うことをわかりもしないで受け売りし、およそ自分の考えというものを持たない滑稽な存在である。」

う〜ん。 100%、オリガちゃんと同じタイプのニヘドンとしては複雑な心境ですねぇ。
すると、チェーホフの作品に批判の声をあげた人々は、ニヘドンの存在や生きざまにすらも批判をすると言う訳ですかな?
まあ、確かに過去には嫉妬に駈られたカバさんから痛烈な批判を浴びた事が有りますが…。

困っちゃうよね〜。
自分に正直に生きているだけで、「 女性に対する侮蔑だ! 」なんて非難されちゃうなんて。

「 ころころ愛情の対象を替える 」のは、男の方にこそ見られる現象ではありませんか?
カサノバとかさ。
男の場合は本能とか言って大目に見てもらえて、女性だと堕落した女なんだ?
もうニヘドンは右手の人差し指と左手の人差し指をチョンチョン合わせてイジイジするしか無いですよ〜。

「 自分の考えというものを持たない 」に関して言えば、世界各国の中で、日本人が典型的に自分の考えを持っていないじゃありませんか?
今回の原発1号機の騒ぎで、日本人の考え無しの有り様が如実に露呈されてしまいましたよね。
「 踊る阿呆に、見る阿呆 」ならぬ、
「 原発作る阿呆に、原発見て見ぬ振りする阿呆 」じゃないですか。
今の日本人は東電を叩く事に必死だけれども、広島・長崎の悲しい過去を抱えていながら、いつの間にか国内に原発施設を許してしまった一般市民にも、責任の一端は有ると思います。
東電も、考え無し。
原発施設なんか作っちゃって、何だかちょっと心配だよね、と思いつつ、反対運動するのも面倒臭いから、そのまま原発を野放しにして来た一般市民も、まるで考え無し。

そう言えば、日本人は、何かブームが起こると全国民が、そのブームにわっと走り、あっと言う間に次のブームに鞍替えして来たじゃありませんか。
パンダにエリマキトカゲにタマちゃんに紅茶きのこに、ぶら下がり健康法!?
何だ。日本人全員総オリガちゃん現象なんじゃない。

さてさて、人間の意見というものは実に様々でして、このオリガちゃんを
大絶賛した人物がいます。
驚く無かれ、かの文豪レフ・トルストイさんです。
訳者の沼野充義の解説を再び引用してみましょう。

新訳 チェーホフ 短篇集 ( 集英社 )
P.35 より
「 それに対して、いや、このオーレンカこそ女性の理想だ、素晴らしい、と
  絶賛した男たちもいた。  
  その代表がかの文豪、レフ・トルストイであり、彼は旧約聖書の故事を
  引きながら、チェーホフはこの女性を呪おうと思って書き始めながら、
  当初の意図に反して祝福してしまった、なぜなら、自分の存在のすべてを
  捧げて人を愛することができる『 かわいい女 』は、滑稽であるどころか、
  神聖であり、このような無私の行為こそが、人間をもっとも神に近づけるの
  だから、とまで説いている( この辺の事情については、原卓也氏の名著
  『 オーレニカは可愛い女か - ロシア文学のヒロインたち 』[ 集英社 ]
  1981年に詳しい。 」

いや~ん! トルストイさんったら、褒め過ぎ~!!
オリガちゃん( オーレンカ、 或いは オーレニカ と同じ )と100%同じ
タイプの二へドンと致しましては、これは
トルストイが二へドンを褒めたのと同じ事だと受け留めてよろしいんですよね?
ね? ね? ね?
嫌だわ。 二へドンったら、トルストイ説によると、もっとも神に近い存在なんだわ。
えへん。 皆の衆、これから二へドンを見かけたら、お賽銭を投げるように。
何しろ、「 もっとも神に近い 」んですからね。

さあ、トルストイ応援団長が応援してくれるから、
二へドンはこれからも「 追っかけ 」に邁進して行きますわよー!!
( チェーホフの著作を読むのが一段落したら、今度はトルストイ全集でも
  読んでみようーっと。)

*****「 文豪トルストイに誉められたニヘドン。」 ・ 完 *****  


Posted by ニヘドン at 18:18Comments(0)読書

2011年03月17日

新訳「 奥さんは小犬を連れて 」

ずっと読みたい。 読みたい。と思っていた本は沢山有ります。
その内の1冊が、アントン・チェーホフの「 奥さんは小犬を連れて 」です。
実は、このチェーホフの有名な短編小説は今までは
「 犬を連れた奥さん 」と云う題名で出版されていました。

「 新訳 チェーホフ短編集 」という本が2010年に集英社から
出版されました。
今回、二へドンはこの新しい翻訳判で読んでみたのです。
訳者は沼野充実義( ぬまの みつよし )氏です。
本の中には、各短編の後に、沼野充義氏による目から鱗的な解説も
つけられ、今までチェーホフの名前は聞いた事が有るけれども、
作品には触れた事が無いという人には格好のチェーホフ入門テキストに
なると思います。

この本に納められているチェーホフの短編は13編。
タイトルを列挙すると
「 かわいい 」「 ジーノチカ 」「 いたずら 」
「 中二階にある家 ある画家の話 」「 おおきなかぶ 」「 ワーニカ 」
「 牡蠣 」「 おでこの白い犬 」「 役人の死 」「 せつない 」
「 ねむい 」「 ロスチャイルドのバイオリン 」「 奥さんは小犬を連れて 」です。

二へドンが「 奥さんは小犬を連れて 」を読みたいと思ったきっかけは、
映画「 愛を読む人 」に出て来たからです。

映画のレビューはこちらでお読み下さい。
「 愛を読むひと - 前半 」 http://nihedon.hama1.jp/e109161.html
「 愛を読むひと - 後半 」 http://nihedon.hama1.jp/e115244.html

主人公ハンナは文盲でしたが、ナチスの戦犯として刑務所に入れられた時に
チェーホフの「 犬を連れた奥さん 」を手に取り、
音声と文字を照らし合わせる作業をしながら、自分で文字を読める様に
なって行きます。
この、ハンナの成長のきっかけとなった、とても大事な存在が
この「 犬を連れた奥さん 」だったのです。
映画を観た人の大半が、映画のラストで疑問を感じたと思います。
「 どうしてハンナは自殺しちゃったの? 」
映画作品の中では答えは提示されていません。
映画を観た人が、各自で心の中で反芻して答えを出すべきものなのでしょう。

だから、二へドンは、「 愛を読むひと 」のレビューを書いた時に、
恐らく致命的な間違いをしでかしたのだと思います。
「 犬を連れた奥さん 」を読んでもいないのに、映画のコメントをしてしまった!

今回、この「 奥さんは小犬を連れて 」を読んで衝撃でした。
この本を読んだ後で、もう1度「 愛を読むひと 」を観たら、
全然違う感想になったかもしれません。
「 愛を読む人」は、多くの日本人が観た映画ですが、
もし。映画は観たけど、チェーホフは読んでいないという方、
今直ぐ、本屋さんに走って下さい!!  

Posted by ニヘドン at 13:16Comments(0)読書

2011年03月15日

「 少女が知ってはいけないこと 」

今週は、普段ニヘドンが行なっている様々な活動の大半が、東日本大震災の影響で中止になってしまいましたので、本ばかり読んでいます。
連日の地震報道に、直接的な被害を受けていない私達も、じわじわと心が蝕まれて行く感じですね。
少し、地震以外の話題をお届けしますね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



実に面白い本に出会ってしまいました!
たまたま本屋さんで見つけたのです。
目次を見て、即買い決定!!

題名 : 少女が知ってはいけないこと
著者 : 片木智年
( かたぎ ともとし )
発行所 : PHPエディターズ・グループ
発売元 : PHP研究所
定価 : 本体 1,600円( 税別 )

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ニヘドンは10年程、小学校で絵本の読み聞かせをして来ました。
すると、民話、伝承、おとぎ話の類いを、どの様に解釈するべきなのか途方に暮れる事が、よく有ります。

この本は、そんな風に書籍の森の中で迷子になった時に、頼もしい道案内をしてくれます。
ニヘドンが今まで知らなかった事柄が盛り沢山!
それらを平易な文章で、実に分かり易く説明してくれています。
1番驚いたのは、聖書が改訂された時、或いは新しく改訳された時に、意図的に改竄されていたと言う事実です。

実はニヘドンはクリスチャンでは有りませんが、幼稚園がカトリック系でした。
埼玉県草加市の「 ひかり幼稚園 」でしたが。
殊更に宗教教育が行われた訳では有りませんでしたが、2年間通園する間には、やはり何らかの刷り込みが有ったのでしょうね。
ブッダやマホメットよりは、イエス・キリストに対するシンパシーが1番強いですね。
卒園する時に園長先生から新約聖書を1冊手渡され、
「 小学校に行っても、神の子イエス様と共に歩む光の子でいなさい。」と言われました。
ところが、普通の公立小学校の給食の前に1人で「 アーメン 」と呟く勇気は持ち合わせていなかったので、自分は背信者なのだと云う意識が、ずっと心の奥底に貼り付いている様でしたが…。

そんなニヘドンは、やはり幼稚園時代の刷り込みによってだと思うのですが、聖書は永遠に不変の真実の書だと云う認識が有ったのです。
大人の冷めた目で、ちょっと考えれば、2,000年の間にローマ・カトリック教会に取って都合の良い改竄、解釈が為されるのは当然の流れだと気付く筈ですよね。
思い込みって恐ろしいわぁ…。

この本の中では、どの版の何処の箇所が、どの様に書き替えられているのか、具体的に引用文を並べて、違いがよく分かる様に説明されて行きます。
日本語だけではなく、フランス語版や英語版での露骨な表現についても指摘が為されます。
片木センセったら、一体何百冊の本を読んだのよ〜。
ビックリ!

他にも目からウロコの指摘のオンパレードです。
例えば、序文の
「 はじめに ― 禁じられた知と女性の罪 」では、こんな一文が。( 3 p)
『 女性の文化的地位向上に伴って、「 心 」の問題として文化的「 恋愛 」が発明されます。」

え!? 恋愛って発明品なの!?
そんな風に恋愛を論じる人を今まで知らなかったので、ビックリです。
これから片木智年氏の著作を集中的に当たってみようかなと思う次第です。

各章の大見出しを転記してみましょう。

第1章 エデンの園で起こったこと
    ー 禁じる父と解き放つ蛇
第2章 おとぎ話に現れる女性の罪
    ー 嫉妬・好奇心・虚栄
第3章 「 心 」と呼ばれた少女の神婚
    ー 「 エロスとプシュケ 」
第4章 心と愛
    ー 「 エロスとプシュケ 」 から 『 美女よ野獣 』へ
第5章 ディズニー版『 美女と野獣 』
第6章 産みの苦しみと児殺し
第7章 異類との婚姻

凄いでしょう?
片木智年氏が引き合いに出して論じているのは、
旧約聖書から、ローマ時代以前からの伝承「 エロスとプシュケ 」から
ディズニー迄!!
そして第6章では、日本の妖怪「 こなき爺 」にまで及んでしまうのです!
何なの? この知識の守備の範囲の広い事! 広い事!!
誰が読んでも、どんな趣味を持つ人画読んでも、
どこかで、自分の興味を持てる話題が出て来る事、請け合いです!

二へドンは、本を読んでいて、興味を引いた部分のページの上端を折り込む
のですが、この本はやたらめったら下り込んでしまいました。
もう古本屋には売れないわね。
興味を引く箇所のオンパレードなのですが、タイムリーな部分を1つ
ご紹介しましょう。
2011年03月12日(土)にディズニー・アニメ
「 塔の上のラプンツェル 」が公開されましたので、
ラプンツェルについて書かれた部分を引用してみましょう。

二へドン、この話はグリム童話として有名なので、てっきりドイツの
おとぎ話だと思っていたのですが、片木智年氏はこう著します。

「 同じモチーフは、よく知られた民話・伝承の中では、
  『 眠れる美女 』や「 ラプンチェル 」系統の話に、
  運命の知る保護者と禁忌という姿をとって現れます。
  グリムの『 ラプンチェル 』の下敷きとなったフランスの話では、
  娘が12歳になったとき、妖精の育て親は入り口のない塔の上に
  閉じ込めます。娘の運命を知っていたからだとされます。
  ところがその日はやってきます。
  塔の上で歌う美女とその歌声に見せられた王子が、妖精の声色をまねて、
  まんまと塔の上に上ります。
  妖精以外、誰に会うこともなく育った娘は『 自分が何をしているか
  わからないままに 』 結婚のセレモニーをすべて、終えてしまいます。
  やがて、娘は子を宿し、見知らぬ病のような状態になるのですが、
  王子の方は『 それが何なのかはわかったものの、悲しませたくなくて
  娘に教えなかった 」 という筋書きです。

  このもともとは17世紀フランスで民話をもとに書かれたテキストを、
  グリムがドイツ語で発表しました。
  『 ラプンチェル 』の物語として世界中の子どもが愛する話になったのです。
  そのためには、子どもというよりも話を聞かせる大人に気に入られることが
  条件に  


Posted by ニヘドン at 18:19Comments(0)読書

2010年11月22日

「 象の消滅 」

写真はタイで母が買って来てくれた NaRaYa のコットン・バッグのプリント柄を写メしてみました。

* * * * * * * * * * * *

「作品集 パン屋再襲撃」
(文春文庫) 村上春樹・著

うーむ。不思議な話である。
象が消えた。
象は自分の死期を知り、静かに死に場所へ赴くと言うから、何処か人目に付かない所に行ったんじゃない?
いやいや、町の象舎から消えたんですよ。
ずっと象の世話をしていた飼育係の老人も一緒に消えてしまったのですよ。
象の足につながれていた鉄の枷は、まるで象がすっぽりと足を抜きとったみたいに鍵のかかったまま残されていたのです。
散々、謎だけぷんぷん撒き散らしておいて、結局この謎は解決されません。
え〜!?
謎は謎のまま残され、小説は終わるのです。
え〜!? 気持ち悪い!!
折角テストを受けたのに、答案用紙を採点してもらえなかった様な気持ちの悪さが残ります。
せめて合計点だけでも教えて?

宇宙人が象に不思議な光線を浴びせて縮ませて、UFOで連れ去ったと言うナンセンスでも良いから、何か結論付けようよ!
こういう読後感の気持ちの悪い小説も珍しいよなあ…。

「 僕 」は、この象の失踪事件に興味を持っていて、新聞記事のスクラップまでしている。
仕事で知り合った女性と飲みな行き、この象の失踪事件を熱く語る。
再び彼女を誘おうとして、結局誘わなかった。
くううう…。
歯痒い! 男の癖に、どうして当たって砕けないのか!?
苛苛苛苛…。

「 象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持ちになる。」
(`o´)
象は関係無いよ!
象の所為にするなよ。
ストレスの溜まる短編小説だ。
このストーリーって、今をときめく草食男子達は、共感出来たりしちゃうの?
ニヘドンの考え方から、20億光年位、離れた小説でした。
やれやれ。(・ω・;)

***** 「 象の消滅 」 ・ 完 *****  


Posted by ニヘドン at 15:42Comments(0)読書

2010年06月18日

ドストエフスキー「 白痴 」はブログ文学だ!?


写真はドストエフスキー。
2010年06月15日(火)

「 完 」
正に 「 完 」。
完全燃焼 ー !!

いやあ〜。何度途中で挫折するかと思った事か。

毎晩、湯船に浸かりながら、
糠床に漬かりながら( 嘘、嘘 ! )
1ページずつ、少しずつ少しずつ読み進めて行った事か。
日数が空いてしまうと、また数ページ戻って読んだりもして、
ゴールに辿り着けるとは、二へドン自身が信じていませんでした。

読めたねー。 読みきったねー。 充足感!!
この小説を読み進めている間に二へドンが強く感じた事。
それは、「 白痴 は、ブログ文学だ!」 と言う事なんです。
たまたまドストエフスキーが生きている間にはインターネットが無かっただけ。
もし、ドストエフスキーが、インターネットのある時代に生まれていたら、
彼は絶対にブロガーになっていたと思うのです。
だって、彼は、ただの「 物語 」を語ってはいないのです。
「 小説 」 という場を借りて、自分の意見を長々と披瀝しているのです。
小説の場をインターネットに置き換えて見れば、一目瞭然です。
ドストエフスキーは、別に主人公のムイシュキン公爵とナスターシャの事を書きたかった
のではなくて、事件に対する自分の感想や、社会に対する自分の意見を書きたかった
のです。

近頃の小説は、ストーリーを展開させる事ばかりですよね。
薄い本が増えたのは、そういう理由だと思います。
100年前の小説は皆、ぶ厚かった。
何故ならストーリー展開 プラス 作者の「 ブログ記事 」 が加味されていたから。
ヴィクトル・ユゴーの「 ラ・ミゼラブル 」は、ジャン・バルジャンの話だと、大抵の日本人は
思っているけれども、実はあの小説は壮大な都市建設の論文なのだと唱える学者の本を
チラッと読んだ事が有ります。
「 白痴 」 を読んで、ブログ文学の臭いを強く感じ取った二へドンは、
この「 ラ・ミゼラブル イコール 都市建設論文 」 も、さも有りなんと感じられます。

二へドンは、ティーンエイジャーの時から、ドストエフスキーが好きだと他言して来ました。
じゃあ、さぞかしドストエフスキーを読破したのでしょうねえ、なんて言わないで下さい。
「 罪と罰 」 1冊読んだ切りだったのです。
中学生の時に読んだ「 罪と罰 」 が余りにも強烈だったので、他の作品を読もうなんて
気持ちは無くなってしまいました。
二へドンに取っては、「 ドストエフスキー イコール 罪と罰 」 で充分だったのです。
だから今回読んだ「 白痴 」はドス先生の作品の中で2番目に読んだ本と言う訳です。

深く後悔の念に苛まれたのは、
「 何故、この作品を、もっと若い頃に読んでおかなかったんだ!? 」 という事です。
二へドンが高校生の時に、この「 白痴 」 を読んだら、どんな感想を持ったのでしょうか?
人間と言うのは面白いもので、「 三つ子の魂百まで 」 が真実の反面、
ガラリと変わる部分も有るのです。
この、「 変わらない部分 」 と 「 変わる部分 」 がアメーバの様に蠢きながら、
じゃあ今後、自分はどうなって行くのかは、全く先が読めない。

多分、30年前の自分だったら、この小説は、全く理解不能だったのではないかしら?
うーん。 30年前の自分の脳を再構築出来ない・・・・・・・・・。
恐らく、登場人物の誰をも理解出来なかったかもしれないし、理解出来た振りをしたかも
しれない・・・・・・・。
理解出来た振りをした場合、どんな感想で自分を騙したのか、それを知りたいな。( 笑 )

今は、この「 白痴 」の登場人物1人1人に、凄い親近感を持てます。
ドストエフスキーが、作中人物に与えた性格や、言動は、実に普遍的で生き生きとしています。
二へドンは苦も無く、作中人物にそっくりな人間を、この現実世界から探し出す事が
出来ますよ。
そして、作中人物の全ての人が、クセが有ろうと無かろうと、病気であろうとなかろうと、
全て愛おしく感じられるのです。
一体ドストエフスキーと言う人は、社会に嫌悪感を抱いていたものの、人間を非常に愛して
いたのではないかと思う程、人物描写に愛が感じられる筆致です。

物語の冒頭は、11月下旬のペテルブルグ・ワルシャワ鉄道の3等車の中から始まります。
病気療養の為、4年間スイスに滞在していた主人公レフ・ムイシュキン公爵と、後に彼の
恋敵になるラゴージン、ムイシュキン公爵の友人となり、最後まであれこれ世話を焼いた
レーペジェフの3人が乗り合わせ、会話をする所から始まるのです。
二へドンは高校の頃、世界各地を旅行するのが夢で、シベリア鉄道に乗るのも素敵だと
思っていました。 海外旅行ツアーのカタログを毎日眺めて過ごしていました。
そんな二へドンは、この列車の中のシーンはゾクゾクします!
多分、他の人が読んだら、面白くも無いシーンだと思われるでしょうね。
二へドンがモスクワからレニングラード( 当時の名称 )まで夜行列車に乗った時の
実体験をベースに、この列車内の様子を思い描くと、車輪がレールの継ぎ目で立てる
音が耳に聞こえ、ロシアの大地の変化に乏しい景色が目に浮かぶ様です。
だらだらと丘が連なり、中途半端な林が散在し、空はどんよりと曇り、
同じ広大でも、アメリカの広大さとは、まるで違う景色は、始めてそれを見る者には
得も言われぬ感慨を与えてくれます。
  

Posted by ニヘドン at 01:43Comments(0)読書

2010年05月21日

「 49 アンコールワットの月 」



写真のイラストは、「 クラフト・エヴィング商会 」

2010年05月20日(木)

ニヘドンは毎晩、息子ちゃんに読み聞かせをしている。
こう言うと誤解をする人がいる。
「 字を読めるのだから、自分で読ませなさい。」
違うんだよ。
読み聞かせは、勉強とか情報を得る為にするものではないのだ。

読み聞かせとは、「 時間の共有 」に他ならない。
スーパーでもネット通販でも売っていない貴重な「 時間 」を共有する。
読み聞かせは、母の愛の発露に他ならない。
二へドンが大好きな活字の海の中に、愛する息子ちゃんと無理心中するのだ。
( 変な喩えですけど。 笑。 )
読むものは全くジャンルを問わない。
絵本、青少年向けのライトノベル、文庫本、雑誌・・・・・手当たり次第に読む。
息子ちゃんも、もう高校生なので、新聞記事を読んだりもする。

この日は読売新聞に2008年に連載されていた
「 叙情と闘争 辻井喬 + 堤清二回顧録 」 
2008年12月27日(土曜日)の連載分
「 49 アンコールワットの月 」 だ。
以前は二へドンが読み手で、息子ちゃんが聴き手だったが、
最近は息子ちゃんがミュージカルに出演したり、演劇部に所属したり、
はたまた声優の仕事をしてみたいらしいので、
音読を息子ちゃんにさせる事にしている。
でも、二へドンだって小学校での読み聞かせボランティアの為に日頃から音読は
続けていなければならぬ。
そこで、「 。読み 」 をする事にした。
句点の所で、次の人にバトンタッチして、順々に読んで行く方式だ。
これだと緊張感を持って読んだり聞いたり出来る。

親としても、息子がどれだけ漢字を読めるのか把握出来るので面白い。
驚くべき事に、意外と正しく読んでくれる。
今日は、「 蜥蜴( とかげ ) 」 を 「 こうもり 」 と間違えた位だった。

詩人・辻井喬( 本名・堤清二 )の詩を二へドンは今までに読んだ事が無い。
が、この読売新聞での連載で、とても興味を持ったので、いつか彼の詩作品を
読んでみたいと思っている。
まだ、ドストエフスキーとロマン・ロランの宿題を終えていないので、辻井喬に到達
するのはかなり先の事になると思うが・・・・・。

辻井喬の文章は独特の夜の雰囲気に満ちている。
彼の文章の背後には夜の静寂が広がっている。
そして生活臭が無い。
音楽家であれ、画家であれ、作家であれ、何であれ、クリエイティブな仕事をする人達は
五感を縦横無尽に駆使して作品を産み上げると思う。
「 作り上げる 」なんて平凡な言葉では言い表し切れない、産みの苦しみが有る筈なので、
「 産み上げる 」なんていう言葉を捏造してみた。
辻井喬の文章には、五感の中の、特に聴覚が研ぎ澄まされていると感じる。

音楽愛好家の二へドンにとって、こういう音楽に充ちた文章を書く人は好もしい。
この日の新聞5段に亘る連載1回分の分量な中から「 音 」に関する記述を
ピックアップしてみる。

「 時々遠くで銃声が聞こえ 」 「 森の音が聞こえてきた 」 
「 蝙蝠( こうもり )が音もなく舞った 」 「 啼き声がした。 大蜥蜴( とかげ )だった 」
「 その声が鎮まると、森のざわめきが聞こえてきた 」
「 若い女性の歌声が聞こえてきた 」
「 西洋の音楽のリズムではない歌を歌ってくれた 」
「 おそらく、このあたりに伝わっている民謡のようなものだろう 」
「 小さな竹を刳り抜いたような笛を取り上げて彼女の歌に合わせた 」
「 日本の歌のように小節を利かせるのではない、ごく自然な発声が
  彼女の美しさを魅惑的にしていた 」
「 通奏低音のように響いていた 」 ← この主語は「 罪 」! 

どうです。 この音楽に充ちた感覚。
この 「 アンコールワットの月 」は、堤清二が1991年にアンコールワットを
訪問した時のエピソードを綴っている。
アンコールワットを訪れ、その体験記を書いた人は大勢いるが、大半が視覚的な
アプローチだったと思う。
ここまで聴覚をフル回転させてアンコールワットを描写した人を他に知らない。

堤清二と言えば、セゾングループ帝国に生まれ落ちた経済人の筈だが、
この感性をどこから得たのだろうか?
詩人は貧乏というのは誤った先入観だったのか?
そう言えばメンデルスゾーンも裕福な銀行家の生まれだったな。
天は二物を与えちゃうのか。 悔しいなあ・・・・・・・。

  

Posted by ニヘドン at 02:16Comments(0)読書

2010年05月11日

「 The Right Track 」

アグネス・チャンが Twitter で放った一言で、書き込みが殺到しているそうですね。

http://getnews.jp/archives/58642

国連機関である「 ユニセフ 」と、
民間機関である「 日ユニセフ協会 」は
協力関係が有ろうとも、
どう考えても組織的には別なのです。
なのにアグネスが
「 同じところですよ。
日本ユニセフもユニセフも同じところですよ 」と書いてしまったのね。

んー。 あのお馬鹿なニヘドンが、毎日毎日ブログで
無知さらけ出しているのと違って、
アグネスは1994年にスタンフォード大學で教育学の Ph.D. を取得してるでしょ。
そのキャリアを持ってして、この発言は余りにもお粗末だわよね。
アグネスと言えば、ソマリランドに出かけて行って、危険なソマリアに行って来たと
書かれた事も、取り沙汰されてしまったしね。
何か、日本ユニセフ絡みの事では、言葉が全然足りて無いんですよ。
日本ユニセフが、いくら国連機関では無いとは言え、
一応「 日本ユニセフの親善大使 」 と言う肩書きで活動をする以上、
「 公人 」 としての振る舞いは求められて然るべきでしょう。
もっともっと言葉を使う時には繊細な配慮が必要ですよね。
あえて、説明をしないと言う態度は、
「 結果的に誤解をする人がいたら、そっちの方が好都合だわ。」なんて、
未必の故意の臭いを感じてしまうのは、ニヘドンだけでしょうか。

ニヘドンはアグネスは嫌いではないです。
今、Twitter で行なわれているアグネスの個人攻撃に加担するつもりは毛頭無いです。
でも、日本ユニセフ絡みの言動は、非難されても仕方が無いと思いますよ。

ニヘドンの家に
 「 The Right Track 
   Essays by Agnes Chan 未来を生きる人々へ 」という
英語学習者向けの書籍が有ったので、今回の日本ユニセフ騒動で思い出したので
取り上げてみました。

この本は、アグネス・チャンが昔 Asahi Weekly に連載していた記事の中から、
大學における90分の授業で毎回1つのユニットが読み終わるように組まれた書籍です。
12のエッセイが掲載されています。( 1999年 ~ 2003年掲載分 )
本文の朗読CDが付いていて、単語 Notes や、理解度をテストする Exercisesも
ついていて、なかなか為になる内容です。

この本の中では、各ユニットが600語程度の英文が掲載されています。
それぞれの冒頭に、簡単な導入部分が日本語で書かれています。
Unit 4にはこんな記述が有ります。
「 日本ユニセフ協会の親善大使として、世界中の恵まれない子供たちのために
  精力的な活動を続けるアグネス。 」
う~ん・・・・・・・・。 どこにでも親善大使の看板を掲げるんだなあ・・・・・・・・。
だったら、説明もきちんとして欲しいよね。

この本の最後にはアグネス・チャンのプロフィールが英文で記載されています。
中に気になる一文を発見!
「 In 1998, she was appointed the first ambassador for the committee of
UNICEF in Japan . 」
うむむむむ。 UNICEF だけ大文字で書いたら、こりゃまた早とちりな人は
UNICEF の親善大使だと思っちゃいはしませんか?
まるで、ユニセフの日本事務所の親善大使だという誤解を招きかねない表現ですよ。
「 財団法人日本ユニセフ協会 」 の英文の名称は、
「 the Japan Committee for UNICEFF 」 なのだから、
何故、正式な英文の名称を使わなかったのでしょうか?
これが、英語の学習者用の書籍に掲載されているというのが、
ニヘドンは1番腹が立ちました。
「 人を舐めとんのかい!? 」

アグネス・チャンは、香港出身ですから、「 白髪三千丈 」 的な中国に昔から有る
誇張表現として違和感無く、つい言ってしまうのかもしれませんが、
受け手は日本人ですから、やっぱり、もうちょっと考えて欲しいですよね。
「 国際派 」 を謳っている割には、意外にコミュニケーション能力が無いのかしら?

今回の炎上事件で、ニヘドンは嫌でも、あれは何年前の話でしたっけね?
「 アグネス論争 」 を思い出してしまいました。
TV局に子連れ出勤したアグネスの行動から端を発して、
「 アグネス・チャン & 上野千鶴子 」 vs 「 林真理子 & 中野翠 」の論争が
巻き起こり、何故だか知らないが、世間一般の人々をも巻き込んでの大論争に
なりましたっけね。
当時はニヘドンはまだ、子供を産んでおらず、アグネスの子連れ出勤に共感は
出来なかったのですが、そうかと言って、林真理子側にも共感は出来ず、
曖昧な笑みを浮かべながら、どっちつかずの態度で、この論争をやり過ごしたのでした。

何でアグネスだと論争になるのでしょうか?
年齢詐称や学歴詐称に比べたら、まだ罪は無いと思われるのですが・・・・・。

「 誤解の無い様に伝える 」 って事がネット時代には殊更に大事なんだと思います。
Twitter は文字数が少な過ぎだと思います。
元々、瞬間、瞬間に消え行く状況や感情を呟くのが Twitter の面白さじゃないですか。
著名人が、自分の活動や考え方を披瀝する場にするのは危険だと思います。
きちんと誤解の無い様に伝える為には、有る程度の文章量が無いと無理ですよ。

ニヘドンはブログの文章量が多いと、よく人から言われてしまうのですが、
やはり 「 ちゃんと伝えたい 」と思うと、長くなってしまうのですよ。
今回のアグネス騒動は、ブロガーとして大変参考になりました。
皆さんも、単なるアグネスの個人攻撃で終わるのではなくて、
何か自分で得る物が有れば、それはそれで、有意義だったのではないかと思います。





  

Posted by ニヘドン at 22:44Comments(0)読書

2010年03月09日

「 セレンディップの奇跡 」

講談社文庫
「 フィルム 」
小山薫堂( こやま くんどう ) ・ 著
第9話 「 セレンディップの奇跡 」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

うーん。これは駄目だろう。
小山薫堂君、これは駄目だろう。

*****************************

主人公は自分の事務所を構えるカメラマンの堀井豊( ほりい ゆたか )。
付き合って8年になる彼女の乃梨子( のりこ )と堀井の41歳の誕生日を麻布のレストランで
祝う筈だった。 堀井が家を出ようとした時に乃梨子から電話が入る。
「 別れてほしいの。」
一方的に電話は切れる。
5分後、堀井は乃梨子に電話をするが繋がらない。
取り敢えず、自宅で1人でいたくなかったので、外へ出る。
バス停で老婆に話しかけられ、2人は色々と話をし、一緒のバスに乗る。
老婆はビデオカメラであちこち撮影をし、堀井にもレンズを向ける。
老婆がバスを下りようとした時、発作を起こし、堀井も一緒にバスを下りる羽目になった。
回復した老婆は、花屋に戻る。 堀井にネリネの花をくれた。
堀井は1人で歩き出す。 すると路上にはいつくばっている少女を見つける。
コンタクトレンズを落としたというので、堀井が見つけてあげる。
少女は親が近所でワインバーをやっているのでワインをおごると言う。
堀井は騙される覚悟で少女の後を尾いて行く。
着いた店は「 ビストロ・セレンディップ 」。

*******************************


ここまでは良い。 ここまでは、いつもの小山薫堂の世界だ。
フラれた中年男に対する、慈愛の眼差しで柔らかく描写されている。
小山薫堂ワールドに居心地の良さを感じる読者なら、じんじんきちゃいますよ。
でもこの後の展開が二へドンをがっかりさせた。

*******************************

全てが「 ヤラセ 」だったのだ。
そもそも乃梨子の「 別れる 」発言が嘘。
ビストロのオーナーは堀井の高校の同級生だった平田明( ひらた あきら )。
バス停の老婆は乃梨子の叔母。
コンタクトレンズを落とし、堀井を店に連れて来たのは、平田の娘の美香。
結局、後から乃梨子も店にやって来て、皆で堀井の誕生日を祝いましたとさ。

********************************


どうですよ、これ!?
人の心を弄ぶ様な事をして、いけしゃあしゃあと、「 お誕生日おめでとう!」なんて言える?
言われて嬉しい?
エイプリル・フールのたわいも無いジョークと違うじゃないですか。
大事な人にこそ、こんな事をしてはいけません。
自分の楽しい計画の為なら、少し位、びっくりさせてやって当然。
ネタばらしをしたら、自分は許されて当然。
こんな風に思う相手と、結婚したいですか?
二へドンはお断りです。
こんな、自分の書いたシナリオ通り、世の中が進むと思っている女王様とは付き合えません。

二へドンは出来ない。 愛していない相手には出来るかもしれないけれども、
愛している人には絶対こんな事は出来ない。
二へドンは、よく若い人たちから、結婚生活を長く続けるコツなんぞを訊かれる事が有ります。
何しろもう結婚して20年経つからね。
後5年で銀婚式だよ!!
最初から相性の良い相手だったというのが大きいと思うけれども、
1番の理由は、「 お互いに絶対に嘘をつかない 」と云う事かな?
よく二へドンの生活を見て、「 よくご主人、平気だね。そんなに家を空けて。」と人は言います。
それは、この20年間、二へドンが夫に対して1度も嘘を言った事が無いからこそ許してもらえるのでは?
二へドンが誰を追っかけていて、誰に心をときめかしているか、
今日道ですれ違ったイケメンが如何に素敵だったかとか、とにかく全部自己申告だもん。
絶対に嘘をつかないし、相手を騙さないし、相手を出し抜かない。
この蓄積の20年間の信頼は大きいよ。 

相手を騙そう。騙せる。と思えるのは、相手を見下しているからこそ、出来る訳でしょう?
私 = 騙す人 = 立場が上。 
あなた = 騙される人 = 立場が下。 って事でしょう?
対等の立場でいられなかったら、カップルは不成立じゃない?
ま、相手をブランドバッグと同じに見るなら、仮面夫婦としてやっていけるのかもしれないけど。

この短編集「 フィルム 」に収められている10編の短編を、今までいい感じに読み進めて来て、
第9話で、小山薫堂に、卓袱台ひっくり返されちゃった感じ。
何だかなあ・・・。
でも振り返ってみれば、どの短編にも、キャリアの有る、高びーな女性が多く描かれていたなあ。
オペラ「 ラ・ボエーム 」のミミの様な薄幸の女性は出てこないもんなあ。
小山薫堂って、人の心を大事にしない、高びーな女が好きなのかな?
二へドンは感心しないなあ・・・・・・・。
タイトル変えた方がいいんじゃない? 「 セレンディップの詐欺師 」。

***** 「  セレンディップの奇跡 」 ・ 完 ************  


Posted by ニヘドン at 00:16Comments(0)読書

2010年03月06日

ニヘドン文庫の新着図書

ニヘドンは蔵書を山の様に持っている。
本は捨てられない。
男を捨てても、本は捨てられない。
書籍を捨てる人の気が知れない。
亡くなった母は生前、余りの蔵書の重みに耐えかねて床が抜けると本気で信じていた。

実際、書籍の重みで床が抜けたニュースも報道されているし、ある古本屋の書棚が崩れ、たまたま居た女の子が植物人間になってしまった痛ましい事件も起こっている。
でもやっぱり本は手放せない。

そんなニヘドンが、思い立ったらネットで24時間いつでも本を注文出来る便利な世の中になったものだから、いい気になって注文しまくっている。
いや、それでいいのだ。馬鹿ボンボン♪
もう人生も後半戦になってくると、今読んでおかなければ、あの世からお迎えが来てしまうじゃないか!

てな訳で読みまくるのだ!!

今日、Amazon.com から届いた箱の中に入っていたものは、
・ 大野英士( おおの ひでし ) 先生の
「 ユイスマンスとオカルティズム 」
・ 大山甲日( おおやま こうじつ )氏の
「 大ザッパ論 2 」

2冊共、600ページを越すボリュームで、押し花を作る時に重宝するわん♪

後、ちょいと前に同じく Amazon.com で買った
・ ロマン・ローランの「 ジャン・クリストフ 」全4巻
・ ロマン・ロランの「 ベートーヴェンの生涯 」

今、入浴タイムはドストエフスキーの 「 白痴 」を少しずつ読み進めていて、第3編の9章まで来ましたよ!!ページ数で言うと、474ページ目です。
やはり「 ちりも積もれば山となる 」のだ。
ニヘドンは速読は出来ない。
いや、速読をしたいとも思わない。
ニヘドンは文字は一言一句、噛みしめる様に読むのが好きだ。
だからニヘドンに取って、読書とは時間を浪費する人生最大の贅沢なのだ。

よく映画を見、よくコンサートに行き、よく外食し、よく本を読み、よくブログを書く。
うひょ〜。フルコースな人生で、我が人生に悔い無し。


最初、「 白痴 」を読み始めた時に、読破するのに2年位掛かるかと思ったが、結構順調だった。
この調子で「 ユイスマンスとオカルティズム 」614ページと「 大ザッパ論 2 」666ページを読んで行きたいなあ。

「 ユイスマンスとオカルティズム 」に関しては、
2010年02月06日に「 雑音音楽と悪魔主義 」という記事で紹介しているので
復習するべし。 → http://nihedon.hama1.jp/e818116.html
著者の大野英士先生は、あの津波警報が出た02月28日(日)に、
横浜の赤レンガ倉庫で、自著の販売を行なっていたとか。
もし横浜も津波で浸水していたら、赤レンガ倉庫一帯は、最も危険な地域。
大野先生危機一髪だったのだ!!

「 大ザッパ論 2 」購入に至っては、或る不思議な巡り合わせが有る。
二へドンはよく、突然オヤジギャグがひらめく人なのだが、
有る朝、神から啓示が下った。
フランク・ザッパは大雑把!!

そこで、この事を mixi で、つぶやいてみた。
すると!
事もあろうか、ノイズ・ミュージシャンの伊藤まく氏からレスがついた。
曰く 「 『 大ザッパ論 』 という大著がありますよ。」
二へドンは早速 Amazon.com で探してみた。
本当だあ・・・・・・。 有るよ。 
ここで二へドンは不思議な運命を感じた。
何故、突然、ヴァイオリニストの石田泰尚様の追っかけをしている二へドンの脳裏に
フランク・ザッパの名前がひらめいてしまったのか?
そして、それに対して、「 大ザッパ論 」という書籍が有る事を、伊藤まく氏が教えてくれたのか?

二へドンは思った。 これから二へドンが進む道は、フランク・ザッパしかないだろう!!
2010年はショパン・イヤーだ。 05月のラ・フォルジュルネも、テーマはショパンだ。
天邪鬼の二へドンの心がむくむくと動いた。
うっへっへっへ・・・・。 世間がショパンで沸き立つならば、二へドンはフランク・ザッパで攻めてやる!!

何故「 大ザッパ論 2 」 かと云うと、Amazon.com に在庫が有るのが 2巻目だけだったからだ。
2巻を読破する間に1巻を入手できるようにしたいと思う。

そうそう、「 ユイスマンスとオカルティズム 」も、「 大ザッパ論2」も、巻末に索引のコーナーが有る。
「 大ザッパ論 2 」を手に取って、パラパラを踊っていたら・・・・・ ち、違うね。( 汗 )
パラパラと捲っていたら、「 ヤードバーズ 」という言葉が目に飛び込んで来た。
もう、笑うしか無い。
「 偶然 」なんて、無いと痛感した。 
「 偶然 」なんて、偶然を装った必然なのだと思った。
人間の脳は、自分に取って都合の良い情報ばかりを無意識に選び取っていると思った。
あの膨大な索引の中から、いの一番に「 ヤードバーズ 」という言葉を見つける二へドンは
本当に LED ZEPPELIN がDNAにまで刷り込まれているのだなあ。。。。。。。。



***** 「 ニヘドン文庫の新着図書 」 ・ 完 ****************

[ お知らせ ]
amazon.co.jp に二へドンのプロフィール・ページを作りました。
そこに早速大野英士先生の「 ユイスマンスとオカルティズム 」のブックレビューを書きました。
レビューは amazon のサイトで探してみて下さい。

  


Posted by ニヘドン at 22:52Comments(0)読書

2010年03月03日

「 鎌倉の午後三時 」

写真は、今日書く小説とは直接関係有りません。
小説のタイトルに合わせて鎌倉で撮った写真を使ってみました。
鶴岡八幡宮の舞殿に供えられたお供え。
撮影日 : 2008年10月30日

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

講談社文庫
「 フィルム 」
小山薫堂・著

第8話 「 鎌倉の午後三時 」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

以前勤めていた会社をリストラされて、3ヵ月前からタクシー運転手に転身した細山田( ほそやまだ )の心情を綴ったささやかな1日。
誰もが生きている日常の1コマにスポットを当てて、何とも言えぬ、いい感じのドラマに塗り替えるのが、小山薫堂マジック。
スカーレット・オハラやマリー・アントワネットの様な波瀾万丈の人生でなくとも、誰の人生でもドラマが有るんだよ、と言われているみたい。

ニヘドンがよく見知っている鎌倉の海岸が舞台なのも、「 日常性 」に拍車を掛けます。
細山田は東京の青山一丁目から鎌倉まで、初老の男を乗せます。
道中、色々な話で盛り上がり、すっかり気を許した細山田は鎌倉に到着した後、喉が乾いたと言う客の為に自動販売機にドリンクを買いに行きます。
ここから江ノ島まで友人を乗せて行くと言う言葉を信じて。
細山田がタクシーに戻ると、老人は消えていました。
15分後、細山田は、これは乗り逃げに遭ったと悟ります。

細山田はショックから1人で材木座海岸に行く。
春先の海岸は人影も疎ら。  

Posted by ニヘドン at 19:16Comments(0)読書

2009年08月09日

さしすせその仕事

「 ドンドン日記 」 記事 第1356号

今日は二へドンが興味を持った本について書きます。
まだ入手していない本なので、写真のアップは入手してからのお楽しみーって事で。
08月07日に 「 ドンドン日記 」の総アクセス数が 600,000を超えましたー!
これを機に、初心に還ってグルメ記事を充実させて行きたいな!っと。
( 音楽だってある意味、美味しいでしょ!? ← 無理やり!? )

本のタイトルは「 さしすせその仕事 」。
サブタイトルが「 本物の調味料を作る本物の人 」
著者は木村聡さん。
「 さしすせそ 」というのは、女の子ならお母さんに教えてもらったよね?
ええー!? 知らないとお嫁に行けなくなりそうだから、こっそりと教えてあげます。

さ ・・・・・・・・・ 砂糖
し ・・・・・・・・・ 塩
す ・・・・・・・・・ 酢
せ ・・・・・・・・・ 醤油
そ ・・・・・・・・・ 味噌


なんですよ!

二へドンは、グルメ記事を沢山書いているでしょ。
そうするとね、ただ一言 「 美味しいicon06」では済まされなくなっているのですよ。
レシピを公開していない高級レストランのメニューを自分の下で味わって、
使っている素材や調味料を言い当てる位の実力派になりたいのですよ。
その為の基礎知識を得るには、良い教科書になるかな?と期待大の本なのです。

考えてみると、二へドンは今までにも、さりげなく調味料と付き合って来ました。
二へドンの経験の 「 さしすせそ 」を書いてみようかな。

さ ・・・・・・・・・・ 沖縄でさとうきびを搾る所を見た。
           横浜には「 砂糖のふるさと 」という施設が有ります。
           二へドンはまだ行った事が無いので、今度行ってみよう!
し ・・・・・・・・・・ 「 三浦ふれあいの村 」で海水を煮詰めて塩を作る体験を
           ちょっとだけした事が有るのです。
す ・・・・・・・・・ 酢そのものは作った事は無いけれど、酢の中にハーブを入れて
           オリジナル・ビネガーを作ってまーす。
           お中元に飲むお酢を毎年贈ってくれる人がいるので、お酢も飲んでまーす。
せ ・・・・・・・・・ 小学校2年生の時、遠足で千葉県野田市の醤油工場( キッコーマン )を
           見学した時の事を鮮明に覚えています。
           お土産にお醤油のミニ・ボトルをもらった事が子供心に大変に嬉しかった!
そ ・・・・・・・・・ 息子が毎年 「 能登こども体験村 」に2週間の長期滞在をしていた時、
           大豆を挽く所から味噌作りをしていました。
           その味噌は毎年冬場になると、各参加者達へ送ってもらえたのです。
           やっぱりお手製は美味しいのよ!!

「 さしすせその仕事 」の本の中には、お取り寄せに便利なメーカーリストも掲載されているそうなので、
これも役に立ちそうですねー。
後、二へドンが期待しているのが、美しい写真の数々。
畑や農作物の写真を眺めているだけで、癒しの効果が有りそう。
この本は写真集としても良いのではないかと思っています。
では、本を入手したら、また改めて感想を書きますね。  

Posted by ニヘドン at 02:19Comments(0)読書

2009年08月08日

「 三つ子の船の物語 」

2009年08月07日(金)

横浜開国博 Y- 150 のヒルサイドエリアで
「 太平洋 波の力 プロジェクト 」のイベントが有った。
演し物は神奈川区民ミュージカル出演者達による「 ちょこっとミュージカル 」だった。
「 太平洋 波の力 プロジェクト 」のリーダーは、作家の新田純子( にった じゅんこ )氏。

何故、新田純子氏のプロジェクトに神奈川区民ミュージカルが関わるかと云うと、
神奈川区民ミュージカル 2007 の演し物は、新田純子氏の著作 「 九転十起の男 浅野総一郎の青春 」をベースに作られたからだ。
新田純子氏の浅野総一郎に関する著作は、映画化もされた。
・ 「 九転十起の男・1 青春篇 」
・ 「 九転十起の男・2 浅野総一郎・激動の壮年期 」
・ 「 九転十起の男 ・3 グッドバイ 」
この映画を作った市川徹監督に、神奈川区民ミュージカル 2007 のプレ・イベントを浅野が作った浅野学園の講堂で行なった時にゲスト出演してもらった。
この時の募集記事はこちら → http://nihedon.hama1.jp/e15401.html
その時の彼の話では、映画は当初 109 シネマズ川崎で数日間のみの上映予定だったそうだ。
それが蓋を開けてみたら、ちょろちょろちょろちょろお客が入り、109シネマズ川崎ではロングラン興行になってしまった。
109シネマズみなとみらいでも、短い期間ではあったが上映された。
客層の大半は中高年だったらしいが、浅野総一郎の生き様に熱い共感が持てると思う人々が少なからずいる。
その共感を呼び起こす浅野総一郎の人生を書籍に書き著した新田純子氏と、映画化した市川徹監督に敬意を表する。

ヒルサイドエリアのステージでは、神奈川区民ミュージカルの出演者達が2回の公演を行なった。
ステージの最後はワークショップを観客にも体験してもらおうと云う趣向だったが、2回目の時、MC役の佳山みな嬢の陰謀によりニヘドンがステージに引っ張り上げられた。
(^。^;)
佳山みな嬢の次なる陰謀のターゲットは新田純子氏だった。
( * _ * )

作家の新田純子氏と、怪しい女ブロガー・ニヘドンが、子供達と一緒に歌い踊る摩訶不思議なステージ!
見逃した人々…… 残念だったね。( 笑 )

さて、新田純子氏は、今回の「 太平洋 波の力 プロジェクト 」において、
「 三つ子の船の物語 旅客船日本丸の巻 」
と云う漫画仕立ての小冊子を発行した。
「 横浜開港150年記念出版 」と云う事で残念ながら市販はされていない。
ヒルサイドエリアの神奈川区民ミュージカルの出演者達には、新田純子氏からこの小冊子が1冊ずつプレゼントされた。
( 新田先生、いつもお心遣い有難うございます。)
ニヘドンも早速読んでみたのだ。
28ページの物なので、ニヘドンでも1日で全部読み切れた!
感慨深かった。
ニヘドンが平成元年に総務庁( 現在の内閣府 )主催の青年交流事業「 世界青年の船 」に参加し、にっぽん丸( 前身は「 ぶらじる丸 」)に乗ってハワイ、メキシコ、パナマ運河、エクアドル、ベネズエラと巡ってまた太平洋を渡って帰って来た思い出で胸が一杯になった。
船こそ違えど、同じ「 にっぽん丸 」と云う名前だ。
たまたま最近、何かの雑誌に船旅のPR記事が載っていた。
どなたが書いていたかお名前を失念したが、こんな風な事が書かれていた。
「 旅は人を鍛える。
船旅は人を変えてしまう。」
同感!! 120%納得!
こればっかりはねぇ、体験した人でなければ分かり得ないと思う。
1泊や2泊のミニ・クルーズじゃ駄目なのだ。
太平洋を往復してご覧なはれ。
来る日も来る日も島影1つ見えない大洋の船旅をしていると、ちっぽけな人間がどれだけノイローゼ状態になるか!
ハワイが近付いて来て、小さな岩の上にアホウ鳥が止まっているのを見た時、甲板に突っ伏してどれだけ号泣したか!?
コロンブスが新大陸発見の旅に出た時、乗組員達がどれだけ殺気立ったか、身を持ってニヘドンは痛い程よく分かった。

新田純子氏の小冊子は、船旅経験者のニヘドンですら知らなかった事がてんこ盛り。
横浜市民は勿論、「 世界青年の船 」に参加する人々にも是非読んで欲しいと思う。
近代化を目指した日本に取って、船がどう云う意味合いを持っていたのか、理解をした上で、またと無い船旅の機会を満喫して欲しい。

この小冊子についてのお問い合わせは直接、新田純子先生まで。
kjunko@mbn.nifty.com

尚、「 太平洋 波の力 プロジェクト 」では、2009年09月13日(日)に
海洋冒険家の堀江謙一氏の講演会を予定しています。
座席数が160席と限られていますので、座席を確保されたい方は、
kjunko@mbn.nifty.com までどうぞ。

堀江謙一氏講演会 
テーマ : 波の力での太平洋横断体験 海への挑戦
日時  : 2009年09月13日(日)
       13:00 ~ 15:00
会場  : 横浜開国祭 Y-150 ヒルサイドエリア「 つながりの森 」
       つながりのステージ
       行き方 → http://event.yokohama150.org/access/index.html
料金  : 講演会は無料ですが、ヒルサイドエリアへの入場料 ¥600.-が掛かります。

屋外のステージに屋根が差し掛けてあるスペースなので、事前申し込みが無くても、
立ち見でも聴講可能です。 が、暑い日に屋根の無い所で立ちんぼは辛いかもです!!

***** 「 三つ子の船の物語 」 ・ 完 **************


[ お知らせ ]
livedoor blog にちょっと夏向きの記事を書きました。
「 お婆さんはどこから!? 」 是非お読み下さい。
 http://blog.livedoor.jp/taisakuiinkai/archives/51247528.html  


Posted by ニヘドン at 14:27Comments(0)読書

2009年02月24日

コミック「 聖徳太子 」by 池田理代子

2009年02月24日(火)

「 ドライアイ・キャンペーン 」報道向け発表会見で生の池田理代子さんを拝見して大興奮したニヘドンでありました。
その興奮状態をずるずる引き摺って帰宅すると、ニヘドンは驚愕しました。
コミック「 聖徳太子 ・ 7 」が我が家の床に転がっていたのです。
何と言う偶然!
全部で7巻有る内の、最終巻だけが、我が家に転がっていたのです。
多分、執事のセバスチャンがBOOK OFF で買って来たものだと思われます。
作者は勿論、池田理代子さんですよ!!
日本の古代史のロマンと、少女漫画の絵柄って、すごくマッチしてますよね。
山岸涼子の「 日出る処の天子 」
大和和紀の「 浅き夢見し 」
岡野玲子の「 陰陽師 」
この3作品が、二へドンが大好きな日本の古代ロマン・コミックです。

*********************************

『 聖徳太子 』 第7巻 「 暁闇(ぎょうあん)のかがり火燃ゆ 」
作・画 池田理代子( いけだ りよこ )
創隆社         ¥1,200.-( 本体 ¥1,165.-)
平成06年11月10日 初版第1刷発行
ISBN4-88176-086-6

*********************************

学校の教科書には、歴史上の人物の、良い面しか書いてないでしょ?
必ず、聖徳太子立像の写真か、お札に載ってたのと同じ肖像画の写真が載っていて、
「 17条の憲法 」 と 「 冠位十二階の制度 」、「 遣隋使 」、「 仏教を広めた 」
と、彼の功績がリストアップされているに過ぎませんよね。

小さなエピソードを連ねて、聖徳太子の人生をコミックで再構築されると、
あれ程に有名な歴史上の人物が、功績に見合う程の幸福を味わっていない事に
この世の無常感をひしひしと感じてしまいます。

二へドンは今年に入ってから、吉川英治の「 三国志 」を読み始めました。
今日から2巻目に入ったのです。
今年に読んだ本に出て来る人々・・・・・・
聖徳太子、ヴィヴァルディ、劉備元徳、関羽、張飛、等など・・・・・・・。
21世紀にまで名前が伝わって、その偉業も知られているのだけれども、
彼らに共通しているのは、
辛かったね・・・・・。 孤独だったね・・・・・・。( 泣 )
あと数人だけ理解者なり、スポンサーがいたら、もうちょっと楽だったかもしれないね。

特に、全然、時代も国も違う、聖徳太子とヴィヴァルディの共通点は面白いと感じます。
2人共、能力に恵まれ、自分の理想を高く掲げて、それを実現させる為に
バリバリ行動したのに、野心を煙たく感じた貴族連中から邪魔をされる。
もし、二へドンが2人の内のどちらかだったら、こう叫びたいですよ。
「 同情するなら金をくれ! しかも生きている内に!! 」 ははは・・・・・。

  

Posted by ニヘドン at 00:41Comments(2)読書

2009年02月23日

「 伝記 世界の作曲家1.ビバルディ 」

2009年02月22日(日)

横浜中央図書館へ行きました。
来週、「 はまっ子 ふれあいスクール 」で読み聞かせをするので、読む本を探しに行ったのです。
たまたま手に取った絵本が気に入ったので、即、決定しました。
そのまま帰るのも何なので、ぶらぶら書架を端からずっと眺めて行きました。
「 おや、こんな本がある〜。」
手に取ったのが、写真の本です。

伝記 世界の作曲家 1. 
バロック音楽を代表するイタリアの作曲家 「 ビバルディ 」
パム・ブラウン 著 、 橘高 弓枝 ( きったか ゆみえ ) 訳
偕成社 定価 2,000円 + 税
ISBN4-03-542210-X

二へドンは児童書を読むのが大好きです。
まあ、絵本の読み聞かせボランティアをしているから、
いつも絵本を読んでいる内に、子供の本の世界に引き摺り込まれた、
と云うのもあるし、自分が子供の頃に読めなかった本を、
今取り返して読もうと云う気持ちも有るからです。
二へドンが小さい頃は、徒歩圏に公立の図書館が無かったんです。
借りる本は、小学校の図書室だけ。
非常に限られた本にしか触れられなかった訳ですよ。

今、住んでいる横浜は、さすが政令指定都市というか、
文化の香り高い港町というか、文化施設に事欠かないんですよね。
「 ああ・・・・・二へドンがこういう本を小さい頃に読んでいたら、
  アタシの人生、もうちょっとマシになっていたかも・・・・・。 」なんて思いながら
児童書を読む訳です。

もう1つ児童書を読む理由がありました。
「 本を読んだぞ! 」という満足感がとても得られるのです。
二へドンは本を読むスピードが、とても遅いのです。
遅く読むのが好きなんです。 一言一句を噛み締める様に読むのが好きなんです。
速読なんて、とんでもありません!!
内容を理解するだけ、情報を入手するだけが読書ではありませんよ!
一言一句噛み締めて反芻するのが二へドンの読書スタイルなんですよ。
読書が趣味であるならば、牛の歩みの様にスローな読書の仕方をしたって、
誰にも文句はつけられないべ?

大人の本 = 文字のサイズが小さく、ページ数が多い本は、まず1ヶ月以内には
読めません。 
朝から晩まで読書をしていられるご身分なら、もっと短期間で読めるかもしれません。
しかし、仕事やブログ書きや、習い事の合間を縫って読書をするのですから、
気の遠くなる様な日数がかかります。
子供の本 = 文字のサイズが大きく、ページ数が少ない本は、
比較的早く読み終わる事が出来ます。
すると、「 うおおお! 1冊読み終わったぞー! 」という満足感が高いんですねー。

現にこの本は全部で160ページ程の本なのですが、
借りて来たその日に読み終わる事が出来ました。
おおおおお、快挙だ! 快挙ですよ!!
子供向けの本なのに、内容は濃くて、ほとんど2ぺージおきに写真が出て来ます。
ふんだんな写真が、ヴィヴァルディ( 二へドンはヴのカタカナを使う表記が好きなので、
こちらを使いますね。)本人の人生だけではなく、
ヴィヴァルディが生きた時代背景なども、凄く良く分かります。

1992年にイギリスで出版された作曲家の伝記シリーズなんですが、
大人が読んでも面白いです。
と云うか、石田様を追っかけてクラシック音楽を聴くのであれば、
知っていなければならない事がきちんと説明されているので、
読んで頭に入れておかなければならないと思いますよ。

特に二へドンは、今月、ヴィヴァルディの「 春 」の演奏会に参加しているので、
ヴィヴァルディが他人だと思えなくなっていた(?)ので、
読んでしまいました。

読んだ結果、分かった事。
「 何だ。 二へドンはヴィヴァルディの事、何も知らなかったんじゃん。 」
何も知らずに、「 四季 」だけ聴いて、知っているつもりになっていたんですよ!

二へドンが今まで知らなくてビックリした事をメインに、
「ヴィヴァルディの人生」 ダイジェスト版をお届けします。

1678年03月04日、イタリアのヴェネツィアに生まれる。
明日の命さえ危ぶまれる程の病弱な子供だった。
その病弱ぶりを生涯引き摺り、何かにつけて理由にする。
「 だって、身体が弱いんだもーん。」

父親は理髪店を経営していたが、ヴァイオリンの名手だった為
理髪業を辞め、サン・マルコ大青銅のヴァイオリン奏者になる。
当時のヴェネツィアはローマ教皇と対立、スペインやオスマン帝国とも敵対。
人材や資金を失い斜陽の道を辿る。
でも、そこはラテンな人々だから、べネツィア文化は豪華絢爛に花開く時期。

ヴィヴァルディは6人兄弟の長男坊。
でも父親の音楽の才能を受け継いだのは長男坊だけ。
ヴィヴァルディはヴァイオリンの才能を発揮して13才で父親の代役をするようになる。
ヴィヴァルディは音楽の才能は有ったが、床屋のせがれにしか過ぎなかったので
両親の意向で15歳で剃髪式を受ける。
当時の司祭が頭のてっぺんだけ剃って青くなってる絵をどこかで見た事あるでしょ?
言うなれば「 人工てっぺん禿げ 」。
ヴィヴァルディの奴、カツラの下は人工てっぺん禿げだったのか?


  

Posted by ニヘドン at 01:53Comments(0)読書

2009年01月05日

「東京タワー」 by 江國香織

2009年01月05日(月)

もう過ぎてしまったのですが、2008年12月23日(火)は、東京タワーの50歳のお誕生日でした。
東京タワー君、おめでとうございます!

ニヘドンが生まれた時には、もう既に東京タワーは存在していた訳で、生まれた当時、池袋に住んでいたニヘドンの家からも東京タワーは見えた筈なんです。覚えてないけど。(笑 )
あの時代、高層ビルなんて殆ど無くて、大きくなってから浜松町の貿易センタービルの展望台に上がって絶叫した覚えが有る位。

本当は23日の東京タワー君のお誕生日に東京タワーまでお祝いに馳せ参じたかったのですが、
スケジュール的に実現出来ませんでした。
そこで、東京タワー生誕50周年を記念する意味で、江國香織の書いた小説「 東京タワー 」を読んでみました。
実はこの小説は約1年程前、 「 同じ本を2冊買ってしまったので、読むか? 」と聞かれ、
「 あ、読むー。 」と答えて受け取ったものだったのです。
受け取って早速読み始めたものの、江國香織の小説を読むのは全く初めてで彼女の文体に慣れていなかったせいか、
とっても、とっても読みにくく、段々読むスピードが遅くなり、ずっと鞄の中に入れっぱなしになっていたのでした。
それを、東京タワー君の50歳のお誕生日に弾みをつけて、一気に読んでしまえた訳です。

後半になったら、江國香織の文体に慣れて来たのか、読み進める事が出来ました。
そして、今日めでたく、最後まで読み切る事が出来ました。
おめでとう。 ぱちぱちぱちぱち。

荒筋 : 大学生の透(とおる)は、高校生の頃に出会った人妻(母親の友人)、
      詩史(しふみ)と付き合っている。
      透の親友の耕二(こうじ)は、同じ年頃の彼女、由利(ゆり)がいながら、
      人妻、喜美子(きみこ)とも付き合い、
      昔付き合っていた人妻の娘に付きまとわれるというややこしい話し。
      結局、耕二は、喜美子に捨てられ、由利にも振られてしまうのさ。

最初は、すんなりと江國香織の世界に溶け込めなかったのです。
全部読み終わった今、それはなんでなのか考えてみました。
透も耕二も、大学生の癖に、お金持ちすぎ。
大体、透なんて、東京タワーが見える家に住んでるよ!!
確かに、二へドンの近所の人も、最初は横浜に住んでいたけれども、
子供2人が東京タワー近くの学校に合格したので、通うのが楽な様に、
学校の近くにセカンド・ハウスを買いました。って云うリッチなファミリーでした。

年上の女と遊びであれ、本気であれ、付き合う人も多いでしょう。
二へドンの知っている人の中にも、女性の方が10歳以上年上というカップルは珍しくありません。
今日び、小説の中の出来事は全部、現実の世界で起きているから、
別に江國香織が、突拍子も無い嘘の世界を書いているという訳でもありません。

二へドンが高校生の頃、太宰治に傾倒し、太宰治全集を読みきりました。
あれは、人生稀にみる快挙でしたね。
旧約聖書と新約聖書も読みきり、コーランで挫折し、千夜一夜物語で挫折し、
アンジェリクは、図書館で借りていたら、誰かが返却をしなくて、返却をされるのを待っていたら
読めなくなってしまった。
( あの時代は、PC検索なんて無い時代だったから、他の図書館から回してくれるなんて出来なかったのよ。)
で、太宰治を読み切って30年経った今から思うと、ああいう私小説は、文学とは言えないでしょう。
二へドンに取って、文学とはドストエフスキーだけだから。
でも、太宰治は、ドストエフスキーという文豪の作品から見たら、矮小な星屑もどきの作品群なんですが、
でも二へドンに全集を全て読み切らせる力を与えてくれましたよね。

太宰治と江國香織の作品には大きな違いが有ると思います。
太宰治には、何かが有って、江國香織には何かが無い。
良く言えば、江國香織の作品は無色透明。 
あるフランス人が、日本人女性を指して、こう言ったとか。
「 日本女性はニオイがしないから物足らない。 」
つまり日本人は無臭を好むが、ニオイも個性として必要とする人間がいるという事ですね。
人の好みは好き好きだから、別に二へドンは江國香織をこき下ろすつもりは毛頭無いけれども、
あまりにも無色透明な部分が面白くなかったのだと思います。

そして、小説の世界に二へドンが入り込もうとするのを阻んだのは、詩史という登場人物の存在だったと思います。
二へドンは、ヴァーチャルな恋愛を沢山するけれども、
二へドンが好きになる相手には、ある共通項が有るのです。
それは、「 仕事が出来る 」事。
二へドンの言う「 仕事 」というのは、ただ単に会社に行ってお給料をもらう事ではありません。
他の人にはできない、スペシャルな働きが出来る、職人的な技をさします。
つまり「 必殺仕事人 」。 ホワイトカラーである必要は全くありません。
「 ワ-ルド・オブ・ライズ 」 のレオナルド・デカプリオみたいな仕事は最高ですねえ。
芸術家もエクセレントですねえ。 船乗りもいいねえ。 宮大工、痺れる~。

男の価値は、( まあ女もだけれども )どれだけの仕事をしたかで決まると信じています。
二へドンの価値観を全ての人に押し付ける気は無いけれども、
仕事が出来ない男は、永遠に二へドンの恋愛対象にはならないのです。
世間の一般の女性達は、結婚相手に3Kを求めますよね。
でも二へドンにとって、3つの条件は恋愛には無意味です。
身長は低くてもOK. 背が高くて仕事が出来ない男は「 でくのぼう 」と二へドンの辞書には書いてある。
二へドンは、牛若丸の様に小さくても、頭が切れる行動派が好き。
学歴なんて、愚の骨頂。 有名大学出て、社会の役に立たない男共を沢山知っているもの。
学歴も低くて、本当に頭が悪いんじゃどうしようもないんだけれどね。
給料なんて、これまた意味無し。
毎月毎月、お給料は運んで来るけれど、面白みの無い、セックスレスの夫って、一緒に暮す意味有るの?
島田洋八の奥さんが、時々TVに出て、旦那さんの話をするけれども、
何故、一時期売れなくなった時でも彼に着いて行ったのか?という問いに
「 だって、面白いから。」と答えたのは良く知られたエピソードですよね。
確か奥さんの実家が、二へドンが住んでいる区と同じで、ラーメン屋さんではなかったでしたっけ?
違いましたかね?

二へドンとこの奥さんは、考え方が非常に似ているのですねえ。
安定収入のつまらない男より、その日暮らしでも面白い男が好きなんですよ。

二へドンのこの価値観を持ってみると、詩史という女は、まだ何も仕事をしていない大学生の透と
付き合っている。 
大人の女が若い男をペットとして飼うなら、まだ話も理解し易いのですが、
真剣に心を求める相手として、余りにも未熟では無いですか?
二へドンに取って、仕事をしていない大学生は恋愛の対象外ですからねえ。
これが、音楽家の卵とか、画家の卵とか、小説家の卵とかであって、
大学生でも作品を作っていて、その作品が二へドンの気に入った上でであったら、
可能性は無きにしも非ずなんですが・・・・・・。

詩史は、結婚して、理解の有る旦那がいて、自分でもセレクトショップを経営しています。
結婚も仕事も持っている大人の女が、ガキんちょに走るかね?
「 東京タワー 」には、この肝心の部分の描写がゴソっと抜け落ちちゃっているのです。
詩史と透の出会いと、男女の関係になった過程が、荒筋程度で流されているので、
感情移入もへったくれも無い訳なんですよ。

感情移入出来ないまま、「 詩史と透が付き合っているのは大前提だから 」 というスタンスで
物語を語られてしまうと、うーん・・・・・・小説の醍醐味が無いぢゃん。

後半は、俄然面白くなって来ます。
美味しい所取りの耕二君が、窮地に陥ってしまいますからね。
でも、人妻・喜美子が耕二に泣きながら電話をして来た理由が最後まで判明しないのは、
探偵が犯人を突き止めないまま終わってしまった推理小説みたいで、気持ちが悪いです。
小説が終わる時に、これから詩史と透はどうなるのか、邪悪な心を持った耕二がこの後どう出るのか
予測をさせずにブッツリと終わったのも、映画「 パイレーツ・オブ・カリビアン 」の第2話が、
いかにも「 次に続く~ 」 という終わり方で終わったのと同じく、ムッと来ましたよ。
やっぱり、小説でも映画でも、読み手、観客に納得させなきゃ、満足度も低くなるよね。

ただ、後半は、二へドンが納得の出来る描写が多くなって来て、すごく楽しめました。
1番「 そうそうそうそう!!! 」 と共感出来たのが、由利が透にパンケーキのお店で
絶縁宣言をする所です。

347ページの由利の台詞を引用しますね。
「 電車の中で脚ひらいて坐るし、忙しくてなかなか会えなかったりするし、女の子のこと
  かわいきゃいいって思ってるオジサンみたいなとこもあるけど、でも好きだったのに。
  襟の大きいシャツとか着て、ちょっとホスト入ってるみたいなカッコだって、
  お友達はへんって言ったけど、私は好きだった。 だって耕二くんやさしかったし・・・・。」
この由利の台詞を、石田様を思い浮かべながら読むと、まるで二へドンが石田~リンに向かって
しゃべっているみたいで、超可笑しかったです。 うぷぷぷぷ・・・・・。

そして由利が最後に爆弾を投下します。 「 でももうやだ 」
どうです? 女の人なら、1度や2度、男に向かって、この言葉を口にしませんでしたか?
「 でももうやだ 」 
平仮名6文字で凄い破壊力有るでしょ?
くどくどくどくど、御託を並べるよりも、強烈なパンチですよ。 たった1言で。
「 でももうやだ 」 うははははは・・・・・・・。

二へドンは、最初、江國香織の文章に馴染めなかったのに、今では、彼女の次の作品を
読んでも良いなと思えたのは、この 「 でももうやだ 」 の1言が有ったからなんです。
この 「 でももうやだ 」の気持ちが分かる人は、「 女心検定 」に合格出来ますよ。
だって、「 でももうやだ 」なんだから。
一般的に男は、特にカッコつけの男は、こういう時に自分を正当化する事を、つべこべ言うものですよね。
女の子は1言。 「 でももうやだ 」。 いや、最高っすよ。 これ。 にんまり。

あと、二へドンが笑いを禁じ得なかったのが、喜美子が泣きながら耕二に
「 会いたい 」と電話をした時に耕二は会いに行かなかったのです。
その2日後に喜美子が電話で「 あなたの顔は2度と見たくない。」と言うのです。
そして別れた後、耕二の方が喜美子に未練タラタラになっちゃって、
喜美子のフラメンコの発表会に発作的に行ってしまうのですが、
そこで客席にいるはずの無い喜美子を見てしまうのです。

320ページ~321ページのこの箇所を引用します。
「 耕二はそこにつっ立って、喜美子をみつめた。 まじろぎもしなかった。
  喜美子があんなふうに平気な顔で、笑ったり喋ったりしていることが奇妙に思えた。
  喜美子を連れ去りたいと思った。
  いつもの場所に、アパートでもしけたラブホテルでもいいから、喜美子が素顔を
  さらけだす場所に、喜美子を連れ去りたいと思った。
  どのくらいの時間、そうして眺めていたのだろう。 1、2分、あるいはもっと短かったの
  かもしれない、そして、喜美子が耕二を見た。
  喜美子の表情をよぎったのは、驚きではなく怒りだった。 ほとんど憎悪といってよいほどの、
  揺るぎない怒りだった。
  それから、喜美子は何もなかったように談笑を続けた。耕二をちらりとも見なかった。
  完全に黙殺した。 」

そして、打ちのめされた耕二は、その後も喜美子の事をうじうじ考えながら、こう思うのです。
323ページからの引用です。
「 自分でも自惚れていると思うが、耕二は、喜美子が自分を無視するとは思っても
  みなかった。 いつだって喜美子の方が過剰だった。 それをうとましく思っていた。 」

皆さんは、こういう経験有りますか?
無視した方ですか? 無視された方ですか?
二へドンはもう笑い過ぎて、お腹が痛いです。
この喜美子って、二へドンの事ですか?
この作品は平成13年12月にマガジンハウスから刊行されているので、
二へドンを見ていて書いた訳は無いのですが、「 どっぺるげんがあああ!! 」的な
驚きでした。
二へドンの場合、つい先月の事なんですが、
前に二へドンが電話をした時に、「 迷惑なんです!」 と宣まった男と、
映画館の客席で出くわしてしまったんですよ。

二へドンが先に2列目の真中に座っていました。
1列目の真中は車椅子用のスペースだったので、客席に入って来た人は、
必ず二へドンの視界に入るシチュエーションだったのですね。
その男が最初にシアターに入って来た時に、二へドンのお目目レーダーが奴を捕獲。
奴は二へドンの左側を通って後ろの席へ。 で、二へドンの取った態度は無視。
上映開始前に、奴は今度は二へドンの右側の通路を通って外へ出て行きました。
二へドン・レーダーは、奴の背中が強張っているのをキャッチ。
でも奴は、こちらの様子を窺いたくて仕方がないのが手に取るように分かりました。
で、二へドンが取った態度は無視。 だって、スコーンを食べていたんだもん。
奴は、何かを買いに行ったんだか、トイレに行ったんだか、又戻って来ました。
二へドンの前を通って、右側の通路を通って、自分の席に戻って行きました。
二へドンの目の前を通ったんだから、「 あ!」 みたいなリアクションを取ってあげれば
良かったのかもしれないけれど、二へドンの取った態度は無視。
だって、コーヒー飲んでいたんだもーん。

休憩時間に、( オペラ映画だから休憩時間が有る。) 奴は又、右側の通路を下りて来て、
二へドンの前を通りました。 で、二へドンは又、喜美子状態。 無視。
だって、ノートを鞄にしまっていたんだもーん。

その後、二へドンもお手洗いに向かいました。
トイレに向かう曲がり角で、トイレから出て来た奴と鉢合わせ。
すれ違う時に奴はむっとしていたけれど、喜美子さんは無視。
だって、そういう事もあろうかと予測して、顔を直接見なくて良いように携帯メールを
見ながら歩いていたんだもーん。
あんな肩が触れる程、狭い通路ですれ違っておいて、無視も無いもんだけど。
だって、二へドンは喜美子さんなんだもーん。

二へドンが席に戻る時、奴の席を確認しました。 
エグゼクティブ・シートで踏ん反りかえっていました。
最初、二へドンがチケットを引き換えた時、窓口のお姉さんにエグゼクティブシートを
勧められたんだよね。 OKしてたら、奴のお隣で映画鑑賞だったかも!?

上映が終わり、奴はまた右側の通路を下りて来て、二へドンの前を通りました。
二へドンが徹底的に無視を決め込んだからでしょうか。
奴は二へドンに気付かれるのも厭わない様に首を捻じ曲げて二へドンの方を見ました。
二へドンは、奴をレーダーで捕獲はしていたけれども、喜美子さんだから無視。
だって、ブランケットはたたまなければならないし、コートも着なければならないし、
落し物は無いか確認しなければならないし、( この間映画館でシュシュ落としたし。)
ノートは鞄にしまって、3つも4つも持ち歩いている頭陀袋を腕にかけなければならないし、
映画の後って、二へドンは結構忙しいのよ。

もたもたしていたら、シアターを出たのは二へドンが1番最後でした。
二へドンはそのままトイレに行って、インフルエンザ対策に手を洗剤で丹念に洗い、
うがいなんぞして、ボサボサの髪にブラシを当てるのに時間をかけ、のんびりトイレを出ました。
そして、ロビーで映画のチラシをかき集め、売店を冷やかして、
やっとの事で無人になって静まり返っていたロビーを出ました。

上映後、優に15分は経過していたでしょうかね?
もう奴には出くわさないだろうと思い、外に出る自動ドアに向かった所、
「 !! 」
奴が外の植え込みの前に立っていました!! 
「 何やってんの? あいつ!? 」
もう二へドンがいるの分かってるんだから、とっとと帰れば良いのに。

幸いな事に、二へドンが自動ドアを潜った時には、奴は携帯でお話し中だったので、
そのまま奴の視界の中を横切ってエスカレーターに乗って駅へ向かいましたわ。

奴は、耕二だったのでしょうか?
奴は二へドンが自分を無視するとは思ってもみなかったのでしょうか?
いつだって、二へドンが過剰だったのは自覚してました。
それを相手がうとましく思っていたのも知っていました。
でも、好きなんだもーん!!
もう自分を相手にしてくれない人が8回も二へドンの視界に入ったこの日は
すっごい幸福でした。
好きなのに、黙殺!? うん。

事実は小説よりも奇なり・・・・・・・なんですよ。
二へドン劇場 第2章に続く・・・・・・・・・。

BOOK DATA : 「 東京タワー 」 
            著者 : 江國香織 ( えくに かおり )
            出版 : 新潮文庫
            価格 : 本体 ¥590.- ( 税別 )
            ISBN4-10-133921-X


***** 「「東京タワー」 by 江國香織 」 ・ 完 *********


  


Posted by ニヘドン at 13:59Comments(2)読書

2008年09月07日

「世界の終わり、あるいは始まり」

2008年09月07日(日)

9月に入り、「 ドンドン日記 」の記事を1日に2本あげる様に頑張って書いて来た。
昨日で挫折してしまった。 
昨日は記事を1本しか上げられなかった。
昨日は本牧( ほんもく )でバイトの日だった。バイト先には片道1時間程バスに乗る。
だから往復2時間、携帯からメール投稿するには最適なのである。
言うなれば、横浜市営バスはニヘドンの書斎と言う訳だ。
ところでニヘドンは昨日、バスの中で1文字も記事の入力をしなかった。
石田様とラブラブしていたからでは無い。
眠ってしまったからでも無い。
本を読んでしまったのである。
ニヘドンは、いつも鞄の中に読書用の書籍を入れている。
しかし、それは、あくまでも緊急用なのである。
ニヘドンに取っては、ブログの記事書きが1日の最優先課題なので、
暇さえ有れば、外出先では携帯に入力している。
お出かけ時間が長い時は、バッテリーが上がってしまう。
それがニヘドンに取っての緊急事態なのである。
携帯が使えない事態に陥ると、徐に本を開く。

最近は、家でこまめに携帯の充電をするので、あまり緊急事態にならない。
が!
「 世界の終わり、あるいは始まり 」は、読み進めて行く内に、
何が何でも終わりを知りたくて、ウズウズして、とうとうブログを脇に押しやって読んでしまった。

時は約1ヶ月前に遡る。
M譲と一緒に食事をした。
二へ 「 よく本、読んでるよね。 今は、何を読んでるのー?」
M嬢 「 さっき丁度読み終わったんだけど、これ、読んだ事あります? 
     歌野晶午( うたの しょうご )なんですけど。 」
二へ 「 へ? そんな人知らない。 読んだ事無いー。 」
M嬢 「 最後、怒りますよ。 こんな終わり方かよ! って感じで。」
二へ 「 へえ・・・・。 」 ← 既に好奇心がムクムク頭をもたげている。
M嬢 「 読んでみます? 」
二へ 「 うんうん。 読む読む。」
M嬢 「 怒らないで下さいよ。 最後を読んで怒って本を捨てないで下さいよ。
     ちゃんと返して下さいね。 」

と言う訳で読み始めたのです。
M嬢が怒る内容って!? ドキドキ・・・・・・・。

文庫本の裏表紙に書いてある宣伝文句を転記しておきます。
「 東京近郊で連続する誘拐殺人事件。
  誘拐された子供はみな、身代金の受け渡しの前に銃で殺害されており、
  その残虐な手口で世間を騒がせていた。
  そんな中、富樫修は小学6年生の息子・雄介の部屋から
  被害者の父親の名刺を発見してしまう。
  息子が誘拐事件に関わりを持っているのではないか?
  恐るべき疑惑は、やがて確信へと変わり・・・・・・。
  既存のミステリの枠を超越した、崩壊と再生を描く衝撃の問題作。 
  解説 : 笠井 潔 」  

Posted by ニヘドン at 00:56Comments(2)読書

2008年09月05日

O型自分の説明書〜ニヘドンの場合・その2

□ 「 おおらか 」なのか 「 おおざっぱ 」なのか。
おおらかだから、細かいことは気にしない。
おおざっぱだから、細かいことがめんどくさい。

うんうん。
楽しい事は全然めんどくさくないけど、
楽しくない事は途中で平気で投げ出すかな。
子供には、いつも「 男は最後までやり遂げろ!」と言っている。
母を反面教師として、人生を正しく道を踏み外さず生きて行って欲しい。
・・・・・・・・・・あ、駄目だ。 息子もO型人間だった!!

□ でも、紙一重で「おおざっぱ」。

いや、やっぱり 「 おおらか 」なんですよ。
母親に持つなら、おおらかママだよねー。
神経質で、いつもガミガミ子供を追い詰めるママより、よっぽどいいと思うよー。

しかし、我が家は凄い事になっている。
O型のおおらかママに、O型の大雑把息子。
2人はナイスな遊び仲間さ。

□ どっちでも結論は一緒。 細かいことはどーでもいい。

そうそう。 楽しければ、それで、いい。
ご飯が美味しければ、それで、いい。
同じ電車賃を払うなら、自分が乗った車両にイケメンがいたら、超ラッキー!!

□ くせに、変なとここだわって細かい。
  だから、「 そんなのどーでもいいじゃん 」って言われるけど、
  「 どーでもよくないからこだわってんだ! 一緒にこだわろうぜっ」と思う。

そうなの。そうなの。 こだわりは強いの。
「 世間体 」 と 「 自分のこだわり 」を量りに掛けると、
「 自分のこだわり 」を絶対に優先。

ニヘドンのこだわり 
その1. 映画は絶対に予告編から見るべし。途中から入場なんて、有りえない!
      途中からなんて、絶対駄目。
      そんなのまるで、前戯の無い○△□みたいで、ニヘドンは許しません!!
その2. 映画はエンドロールの最後の最後まで、会場の明かりが点くまで、座っている。
      「おい、ニヘドンの前で立つな、この映画鑑賞道の素人め!」 と心の中で叫ぶ。
その3. ヴァイオリニストは石田泰尚様icon06

みんなも一緒にこだわろうぜ! みんなも一緒にこだわろうぜ! みんなも一緒にこだわろうぜ!
これ、大事だから。 今度、テストに出すから。 みんなも一緒にこだわろうぜ!

□ 初めての場所に行くとき、「 地図をみない 」という無謀なチャレンジをする。

これ本当にそうなんです!!
  

Posted by ニヘドン at 02:04Comments(0)読書

2008年09月02日

O型自分の説明書 〜 ニヘドンの場合 その1

2008年09月02日(火)

昨年、「 B型自分の説明書 」が出版され話題になった。
買った人の横から覗き読みをしたら、余りの面白さに、
「 うぎゃあ〜!」
「 そうそうそうなんだよ!」
「 うっへっへっへっ!」
「 どぎゃーん。大当たりぢゃんかあ〜!」
「 うっそぉ〜! そぉなのお〜!? 」

と、まあ、とんでもない大騒ぎになってしまった。
その後、「 A型自分の説明書 」 が出版され、「 AB型自分の説明書 」が出た。

「 おい! O型が1番最後って、どういう事だ!! 」
O型のニヘドンとしては、全く納得がいかなかった。
O型はなあ、日本人の中では2番目に人数の多い血液型なんだぞ!
1番最後!?
それって、わざわざ本を読まなくても、O型は「 単純馬鹿 」に決まっているからか?
分かりきっている血液型の本は売れないから出版しないのか!?
ニヘドンは、いじけた。

そしてやっと先月、「 O型自分の説明書 」 が出版された。
ネット本屋で発注した本が、今日メール便で届いた。

ん? そんなに待ち焦がれた本だったのなら、何故発売前に予約を入れなかったのかって?
おっほっほっほ。 そこは、ほれ、まあ何と言うか、そのー・・・・・・・
O型って、こんなもんよ!!
てな訳で、世間より、約1ヶ月遅れて、「 O型自分の説明書 」を読んでみた。

ニヘドンはいつも青少年に、「 批判的に読む読書 」を推奨している。
何でも鵜呑みにしちゃ駄目だ! 本当にそうなのか、心の中で反論しながら本は読まねば!
ところがですね・・・・・・・・・。
困ったなあ・・・・・・・・・・。 「 O型自分の説明書 」全122ページの中で、
「 私とは違う 」と思った所は、3ページ程しか無かったのです。
もうモロ、ニヘドンの事が書かれているのですよ。
この「 O型自分の説明書 」 と、「 ドンドン日記 」を照らし合わせてみると、もうドンピシャ!!
あまり一致し過ぎて、もう顔が赤くなって、本の表紙に書かれているように、「 やけど 」状態ですよ!
そこで、これから、少しずつ、この本のどこがドンピシャなのか、ニヘドンの具体例と共に検証していきたいと思います。

DATA : 「 O型自分の説明書 」
       著者 : Jamais Jamais ( じゃめ じゃめ )
       定価 : ¥1,000.- + 税
       発行所 : 株式会社 文芸社 
              〒160-0022 東京都新宿区新宿1-10-1
       2008年08月05日 初版第1刷発行
       2008年08月25日 初版第3刷発行
       ISBN978-4-286-05907-3

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では、毎日1ページずつ・・・・・・・・・。

2  基本操作

   「 私は 」 「 O型は 」 「 あの人は 」

   O型が好き。

   うんうん。 好き好き。 ニヘドンはO型は大好きだよ。
   A型のニヘドンなんて考えられないし、 B型のニヘドンなんて、そんな中途半端は駄目だと思う。
   AB型って、表裏が激しくないか? やっぱ人類の明るい未来はO型が作るんだろう?
   メキシコって良いよなあ・・・・・・。 人口の90%以上が血液型がO型なんでしょう?
   誰の子供か、血液型からは分からないって? いや、そういう話じゃないか・・・・・。

   だし、O型に大満足。

   うんうん。 100%満足してまーす。
   O型の子供に作ってくれたお父ちゃんとママに感謝だよーん。
   因みに、お父ちゃんはA型。 ママはB型。 妹はO型。

   「 自分O型です 」って言うと、「 ああ、そんな感じ 」 と言われる。
   「 え? O型? 意外~! 」 とかない。

   会社関係の人からは、「 A型 」っていう第1印象を持たれる事も多かったけれど、
   まあ、会社関係の人達は、真面目に仕事をこなすニヘドンしか見てなかったからね。
   私生活のニヘドンを見たら、きっと・・・・・・・・・。

   納得されることに納得いきまセン。

   ああ。 納得しちゃった人に向かっては反論はしないけれども、
   「 ふっ。 この人は本当の私を分かっていない・・・・。 」 と腹の中で思う事が多いかも。

   自分はもっと複雑な人間だとか思ってる。

   思ってる。 思ってる。 
   「 O型人間は単純だ。 」 と思い込んでいる人には、
   「 この人、きっと前頭葉がスカスカにスポンジ状になっていて、理解力に乏しいんだ。」
   と思います。 決して口に出しては言わないけれどもね。

   し、みんなの知らない顔もちらほらあるんだ。 ほんとうに。

   これ、やばいよー。 この件に関しては、ニヘドンはよくブログに書いてるじゃん。
   ブログだけ読んで、ニヘドンの全てを理解したつもりになるなよって。
   何か、ここまで、内面を言い当てられちゃうと、O型は確かに「 単純馬鹿 」だっていう
   証拠じゃん。 やば!

***** 「 O型自分の説明書 〜 ニヘドンの場合 その1 」 ・ 完 *****
  


Posted by ニヘドン at 21:40Comments(2)読書