2021年08月13日

小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 高根神社。

小鹿野町の高根神社by二へドン2021年02月19日(金)
茅株稲荷神社”の、道路を渡ったほ
ぼ向かい側の右手の階段を上がっ
たら、鉄棒、滑り台、ブランコ 2
つの小さな公園になっていまし
た。 着いた時間は16:30 ですが、
子供が遊んでいる姿は有りませ
ん。折角、遊具が有るのに、今二
へドンが上がって来た階段は草や
枝が積もっていて、最近人が歩い
た気配が有りません。その敷地の
端に、写真の高根神社のお社が有
りました。
額には「 昭和62年5月吉日  高根神社  献額者  八十三才 学山 」と書いてあり
ました。 小屋根付きの木の鳥居を潜り、6段の階段を上ります。
お社の中を覗くと、床は板張り、壁には紅白の幕が張り巡らされています。
高根神社に関する記念碑が置かれていましたので、転記しておきます。
 高根神社 記念碑
 当神社は、天保七丙申年五月の武蔵国秩父郡長畄村村鑑明細帳によると、
 古くは高根権現といわれ、『 社地の儀与頭市郎兵衛持地之内に相立申候 』とある。
 その後、明治初年の太政官布告神佛分離令によって神社に改められたものと思料される。
 明治10年1月1日付、秩父郡長畄村地誌編輯取調書によると
 『 御祭神は高彦根尊、神殿は村中央より東に拾四丁隔り芳嶋に在り、東西六間、
   南北六間二歩 』とある。大正三年神社庁並びに県の指導により日本式神社に
 合祀した。昭和19年2月1日、旧拝殿は小鹿野町大火によりて全焼神器も拝殿と共に
 焼失した。 昭和52年12月、三菱鉱業セメントより高根山粘土譲渡の申出あり、
 関係地主協議の結果、申し出の件を受諾した。 通称お高根山は、外観が前方後円墳に
 酷似していた為、昭和53年12月4日、埼玉県文化財保護委員会の手により試掘調査を
 受けた。 その結果、自然の山であることが確認され、昭和54年10月23日より粘土採掘
 作業に着手、昭和56年3月末日、作業を完了した。
 昭和56年5月、跡地を整地し、現在地に社殿を再建した。 茲( ここ )に由緒ある歴史を
 辿り、拝殿の御奉献を為し得たことは、編に拡大無辺の御神徳の顕現と、氏子一同
 ひたすら感激に堪えず、その由来を記し、之を後世に伝えんとするものである。
 撰文謹書  黒田良作 
 」
歴史を風化させない様に、石碑に残す、氏子達の想いに、頭が下がる思いでした。
どうぞ、皆さんも、一人でも多くの方々に読んで頂きたいと思いました。

*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 高根神社。 」 ・ 完 *****
  

  


Posted by ニヘドン at 13:52Comments(0)SAGOJO神社仏閣

2021年08月08日

小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 茅株稲荷神社。

茅株稲荷神社by二へドン2021年02月19日(金)
小鹿野ワーケーションツアーの自
由行動日も、夕食の時間まで後
少しになって来ました。茅株橋を
渡ると道路沿いに写真の赤い
鉄製の鳥居が見えましたので、道
路を渡ってお参りしてみました。
時刻は16:20 になっていました。
二へドンはお稲荷様ととても相性
が良いと思っています。30年程
前、結婚話が出た際、相手の母親
から「 高卒のお嬢さんなんて、
とんでもございません。」と言わ
れ暗礁に乗り上げた所、熱海の来
宮( きのみや )神社の来宮稲
荷社に結婚祈願をした所、無事に
結婚出来て、長男を授かり、現在
に至っていると言うご利益を頂き
ました。なので、散歩途中に稲荷
社を見つけると必ず必ずお参りさ
せて頂きます。 六星占術の細木
和子さん( 初代 )は、「 お
参りに行く時は、ちゃんと行こう
と計画をしてから行かないと。 
何かのついでなんて罰当たりで
す。」と仰っていたけれど、二へ
ドンは全然気にしません。 逆
に、ついでにその神社に出くわし
たと言う事は、その神様から「 
いらっしゃ~い。」とご招待を受

茅株稲荷神社の社殿by二へドンけたと思って頑張ってお参りします。
 さて、この茅株稲荷神社は、数有る神社紹
介サイトにも載っていません。
現地に由緒を書いた木の板が有るのですが、
本文の墨が擦れ、全く読む事が出来ません。
残念無念。 小さな陶器のきつね像が、ずら
りと並び、お供えのお揚げも3つ奉納されて
いました。 参拝に来る人がいれば、何かこ
の神社の由来等を訊けたかもしれませんが、
何しろ人っ子1人歩いていないのです。 
たまに車が通過して行く位です。
 上に「 茅株稲荷社殿改築 」と書かれた
板が取り付けられていました。
「 遷座祭 平成 4年7月30日 」と記載が
有ります。
この稲荷神社の直ぐ右手と左手の両側が、小
さな墓地で、新しいお墓が並んでいます。
珍しいロケーションだと思い、印象に残りま
した。 2枚目の写真は、お社に近寄って
接写してみました。

*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 茅株稲荷神社。 」 ・ 完 *****
  


Posted by ニヘドン at 21:30Comments(0)SAGOJO神社仏閣

2021年08月07日

小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 鹿人コンクリート工業。

鹿人コンクリート工業by二へドン2021年02月19日(金)
小鹿野ワーケーションツアーに参
加して3日目、あちこち見学をして
夕方になりました。夕食までの時
間を惜しんで更に散策を続けま
す。同じツアーの参加者から、
「 般若の丘公園 」から眺める
夕陽がきれい、と聞いたので、そ
ちらの方へ歩いて行きました。
16:10 山口沢( 国有水道 )に
掛かる松井田橋を渡ります。この
橋には平成08年03月の竣工日が刻
まれていました。
16:18 茅株橋を渡ります。右手を
見たら、随分深い谷底に、コンク
リート工場が見えました。
鹿人( しかんど )コンクリー
ト工業です。高い位置に有る橋か
らは高見の見物です。とても広い
敷地に、ずらーっと完成品のブロ
ックが並ぶ様子は圧巻でした。
この会社では、道路や河川工事、
宅地造成等の土木工事で使用され
るヘイベック( 大型ブロック 
)等のコンクリート二次製品の
製造及び販売を行なっています。
ヘイベックは従来の間知( けん
ち )ブロックの弱点を克服する
為に 30年程前に考案された大型
ブロック積み工法です。 
鹿人コンクリート工業で製造されたヘイベックは、埼玉県、群馬県を中心に関東一円で
施工されています。 自社で図面を描き、設計する事から、その日の内に対応する事が
出来るのが特徴です。 その為、災害復旧の際には迅速な対応が出来るそうです。

【 企業DATA 】
社名 : 鹿人コンクリート工業
住所 : 〒 368 - 0103 埼玉県秩父郡小鹿野町般若 70
電話 : 0494 - 75 - 0146
ホームページ : https://shikando-heybeck.co.jp/
創業年 : 1972年

*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 鹿人コンクリート工業。 」 ・ 完 *****
  


Posted by ニヘドン at 00:26Comments(0)SAGOJO

2021年08月01日

小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。

小鹿野町の琴平神社の鳥居by二へドン2021年02月19日(金)
小鹿野ワーケーションツアーの自
由行動日の午前中に神社仏閣巡り
をしました。 12:40 に原町のバ
ス停より西武バスに乗りました。
( 12:37 発が3分の遅れでし
た。) 12:50 松井田のバス停で
下車しました。宿の「 宮本の湯
 」に行こうとした時に、琴平神
社の鳥居が見えたので行ってみま
した。国道299号線を秩父方面か
ら千束峠( せんぞくとうげ )
を下って来ると右手に見えます。
 神社の境内の面積に比べると、
かなり急な石段を上がって行きま
す。石段の上に木の鳥居が有り、
注連縄は黄色でした。
 社殿の中は暗かったですが、目
を凝らしてみると、畳敷きで和太
鼓が置かれていました。五色の吹
き流しが下がっています。 凄く
詳しい神社の由緒書の石碑が有る
のですが、尾ノ内百景氷柱を見に
行くバスの出発時間が13:30 だっ
たので13:10に一旦「 宮本の湯 
」に戻りました。 尾ノ内百景氷
柱を見学し、またバスで戻って来
る時に、松井田バス停で下ろして
貰いました。バスの運転手さんが
「 琴平神社 」と言っても分か

小鹿野町の琴平神社の拝殿by二へドンらなかったのにはビックリしまし
た。 無形文化財の松井田神楽が行
なわれる地元の方なら知っている
神社だと思っていたのですが・。
15:23 から、18:00 の夕食までは
また自由時間なので、由緒書をじ
っくり読んでみました。( 以下
転記しておきます。 )

琴平神社の由緒
御祭神 大物主命
  何事も願えば叶えてくれる神
御創立 天保10年10月10日
沿革 松井田耕地が上・下に分か
れ対立している事を憂えた有志が
計って天保10年10月10日琴平山の
山頂に社殿を造営し( 何事も願
えば叶う )といわれる琴平の神
を勧請し上松井田、下松井田の総
鎮守としたのが始まりという。
口碑によると琴平山は古くは( 
山の神山 )と呼ばれ、その昔大
きな山津波があり、山頂に大きな
瘤が生じた。村人はこれを山の神
の仕業だとして小詞に祀ったとい
う。これは当社の勧請後摂社とな
っている山野神社である。山頂で
は不便であるとの理由から拝殿の
造営を企画し山野神社の地( 現
在地 )に昭和11年03月新築工事
を完成する。上松井田の守護神・聖天様が明治02年の神佛分離により琴平山頂に遷座されて
いたが、その後新社殿が造営され元の地に遷座されたので山頂の旧聖天宮を本殿として移築
し、御祭神・大物主命が遷座し給う。 その後昭和45年、麥藁葺きの拝殿、神楽殿の屋根を
亜鉛鍍金鉄板( トタン )屋根に改修する。

小鹿野町琴平神社の末社by二へドン境内神社 御祭神
( 左手 )
☆ 山野神社  大山命( おおやまづみのみこ
と ) 山の御神霊。 
無限の山の幸を恵給う。
☆ 秩父大神社 ・ 八
意思兼命( やごころお
もいかねのみこと )
政治、学問、工業、開運の神。
   ・ 知知夫彦命( ちちぶひこのみこと )
            勇猛で情が厚く悪除けの神。
☆ 棚機姫神社 棚機姫命 ( たなばたひめのみこと )
           織婦の神。
☆ 神日本磐余彦神社( かんやまといわれひこ )
         神武天皇  我が国、肇国( はつくに or  ちょうこく )の神。
☆ 大雷( だいらい )神社  大雷命( おおいかづちのみこと )
                      かみなり除けの神。
                 高龗命( たかおかみのみこと )
                   雨乞いの神。
                 大山祇命
                 八雷神。
明治11年夏から毎年の旱魃で田畑は乾き果てた。 これを憂えた農民達は雨乞い祈願を思い
立ち、当時有名な群馬県佐波郡赤堀村( 現在の赤堀町 )西久保 859番地 大雷神社の
御分霊を明治14年06月02日 琴平山の山頂に社殿を造営して勧請した。それから夏の日照
りには、農民は山頂に登り雨乞い祈願を行なったところ、その度ごとに雨が降ったので
松井田の雷神様と称し農民の作神様として有名である。
平成13年10月 吉辰
奉献者  浅学菲才にて神々の御神歴を誤り記し御神威を損なうことを危惧する
奉献    当所 323番地
       八十 翁  豊田健男
       七十八媼  豊田ハル子     」
二へドンはこの石碑を読んでいて、回りくどい文章で添削したくなってしまったのですが、
石碑の文章をそのまま記載しました。 ただ、石碑には句読点が無く、ブログを読み易く
する為に句読点を付け加えました。

境内には「 迎軍記念碑 」も有り、松井田神楽についての案内板も有りましたので、
これも転記しておきます。
「 小鹿野町指定無形民俗文化財
  松井田神楽
  昭和55年04月18日指定
  天保10年( 1839年 )の創立という琴平神社の祭礼は毎年04月04日で、神楽殿では
  神楽が奉納される。 明治14年( 1881年 )雨乞いの神社として知られる群馬県赤
  堀村の大雷神社を勧請した後、雨乞い祈願を行なうことが多かった。 以来、松井田の
  雷神様として親しまれ、祭礼が盛んになっていったという。 明治21年頃は、秩父市大
  田の熊野神社神楽を頼んでいたが、明治23年頃から吉田町井上の貴布祢神社神楽師から
  神楽を習ったと伝えられ、現在、18の座が伝承されている。 神楽を舞う人々の熱意は
  高く、後継者への受け継ぎも盛んである。 地元の小中学生は小さいうちから練習にと
  り組み、祭礼には熱心に神楽を舞っている。
  平成28年04月吉日
  奉献者 当所 323番地  豊田勝彦 」

小鹿野町の神社仏閣を徒歩で回って歩いて、どんなに小さな祠でも、きちんと案内板が設置
されている所が多く、地元の方々の、神仏を大切にして行こうと言う心に触れた様で頭が
下がる思いでした。 琴平神社の裏手に、山の上に通ずる石段が見えました。
登って行って、山頂のお社もお参りしてみたい気もしましたが、1人で草ボーボーの山の中に
入って行くのは怖い気持ちがして行きませんでした。 残念です。
次回、同行者がいてくれたら、是非山頂にも行ってみたいです。

*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。 」 ・ 完 *****

  


Posted by ニヘドン at 18:37Comments(0)SAGOJO神社仏閣