2021年05月22日
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ クライマーのパフォーマンス。
2021年02月18日(木)
坂本から股峠を越えて、凡そ1時間。やっと
平山ユージさんがクライミングを披露してく
れる岩場にやって来ました。今回、平山ユー
ジさんのアシスタントとして2名のクライマ
ーも同行してくれました。 嵯峨敦さんと
戸田萌希さんです。マイクロバスを下りて
坂本から歩き始めた時、私達グループの先頭
を平山ユージさん、真ん中を戸田萌希さん、
そして最後尾を嵯峨敦さんが歩いてくれまし
た。 歩きながら、順番が前後したりしまし
たが、クライマーの方々とお喋りをしながら
歩くのは貴重な体験でした。今まで二へドン
の知り合いにクライマーの人が居た例が有り
ませんもの。 山道を進めば進む程、どんど
ん怖気付いて行く二へドンは何か遭ってから
では遅いので嵯峨敦さんに、二へドンがどん
なに山登りが苦手か、アピールしました。
嵯峨さんが、「 え!?」とだけ答えて、励
ましの言葉が何も無かったので、内心「 あ
あ、二へドンの事をお荷物に感じているんだ
ろうなあ。」と思いました。けれども、下山
した今になって考え直してみると、この「
突き放し 」が有ったからこそ、二へドンに
も自立の覚悟が芽生えてゴール出来たのだと
思います。 途中、若い女の子がぬかるみに
足を取られてキャー!と叫びながら見事な転
倒をかましました。その時は直ぐに立ち上が
って歩き始めたのですが、翌日になって痛い
と言っていました。本来なら二へドンがいの
一番に転倒してもおかしくなかったのです
が、二へドンには「 自分は山登りが駄目
だ。」と言う自覚が有ったので、結果事無き
を得ました.
1枚目の写真が平山ユージさん達がクライミ
ングのパフォーマンスを見せてくれる岩場で
す。「 え? ここ、登るの!? 」
もう驚いて口があんぐり開いたままです。
ロッククライミングの画像や動画はインター
ネットで幾らでも見る事が出来るのですが、
本物の岩場を目の前にした時の頭の空白度は
日常生活では絶対に体験出来ないものでし
た。 2枚目の写真がクライミングのゴールの
岩場のてっぺんです。 ふっ。もう笑いしか
出て来ません。
二子山は1980年代後半にアクセスが容
易となる林道が見つかった事で、関東のクラ
イマー達による開拓が一気に進みました。
東岳から西岳に開拓は向かって行きました
が、西岳はアプローチが遠く、ルートが分散
していたので開拓はなかなか進ま
なくなりました。 1989年04月、
平山ユージさんが20歳の時に仲間
が二子山を開拓していたので着い
て行ったそうです。僅か1ヵ月で開
拓したルートは登り尽くしたそう
です。 彼は2008年に小鹿野町に
クライミングによる町興しの企画
書を提出しました。しかし当時は
クライミングその物の認知度が低
く、何の動きもありませんでし
た。しかし10年後の2018年に小鹿
野町の議員さんが、その企画書を
見つけ出してくれました。それが
きっかけで平山ユージさんは小鹿
野町の観光大使になったと言う事
です。 平山ユージさんは、岩場
をクライミングの為に再生するに
は、先ずは地元の理解が必要と考
えます。 現に西岳の上級者コー
スには以前地主の厚意で鎖が取り
付けてありました。地主さんの私
費を投じてです。しかし現在は撤
去され、代わりにこんな看板が置
かれています。
「 ここは私有地で、安全の為に
鎖を設置してありましたが心無い
登山者からのクレームにより、鎖
を全て撤去する事となりました。
登る際は注意して登って下さい。
」 そのクレーマーが具体的にど
の様な事を言って来たのかは分か
りませんが、折角厚意で私費で鎖
を付けてくれた地主さんの心を踏
みにじる内容だった事は想像に難
くありません。
さて、クライミングは先ずアシ
スタントの嵯峨敦さんが登ってみ
せてくれました。写真か動画を撮
ったつもりだったのですが、何も
ありませんでした。 大変な登山
で生きる屍状態となった二へドン
はスマホの操作を誤ったのかもし
れません。 嵯峨さんが登ってい
る間、平山ユージさんがピレイヤ
ーの役割を務めます。ピレイヤー
とは地上で命綱のロープを確保す
る人の事です。クライマーが登る
度に弛んだロープをピレイヤーが
引っ張って調節するのです。バサ
リ!バサリ!とピレイヤーがロー
プを地面に投げ落とす様にする時
の音が印象的でした。平山ユージ
さんはロープを扱いながら「 も
うちょっと右 」とか「 頑張れ
!」とか掛け声を掛けて行きま
す。嵯峨さんがてっぺんまで辿り
着いた時には、まるで自分が登っ
ていたかの様にお腹の底から深い
ため息が出ました。
2番手は、もう1人のアシスタントの戸田萌希さんです。まだ20代前半の若い女性ですよ。
彼女の写真が3枚目と4枚目です。 水色のTシャツを着ています。
彼女はこの岩場を登るのは初めて
よく海外の女性クライマーは身長が高く、ごっつい身体付きをしている人が多い印象です
が、萌希さんは小柄で身長154cm の二へドンと、そう変わらない位に見えました。
そんな彼女が何で岩を登る様になったのか?
小さい頃からボルダリングに慣れ親しんでいたので、岩に登る様になったのは自然な流れ
だったそうです。 いや、このパフォーマンスを見られたらなら、苦しい山道をリタイヤせずに
頑張って登って来て良かった
二へドンの人生の中でも稀有な体験となりました。
*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ クライマーのパフォーマンス。 」 ・ 完 *****
坂本から股峠を越えて、凡そ1時間。やっと
平山ユージさんがクライミングを披露してく
れる岩場にやって来ました。今回、平山ユー
ジさんのアシスタントとして2名のクライマ
ーも同行してくれました。 嵯峨敦さんと
戸田萌希さんです。マイクロバスを下りて
坂本から歩き始めた時、私達グループの先頭
を平山ユージさん、真ん中を戸田萌希さん、
そして最後尾を嵯峨敦さんが歩いてくれまし
た。 歩きながら、順番が前後したりしまし
たが、クライマーの方々とお喋りをしながら
歩くのは貴重な体験でした。今まで二へドン
の知り合いにクライマーの人が居た例が有り
ませんもの。 山道を進めば進む程、どんど
ん怖気付いて行く二へドンは何か遭ってから
では遅いので嵯峨敦さんに、二へドンがどん
なに山登りが苦手か、アピールしました。
嵯峨さんが、「 え!?」とだけ答えて、励
ましの言葉が何も無かったので、内心「 あ
あ、二へドンの事をお荷物に感じているんだ
ろうなあ。」と思いました。けれども、下山
した今になって考え直してみると、この「
突き放し 」が有ったからこそ、二へドンに
も自立の覚悟が芽生えてゴール出来たのだと
思います。 途中、若い女の子がぬかるみに
足を取られてキャー!と叫びながら見事な転
倒をかましました。その時は直ぐに立ち上が
って歩き始めたのですが、翌日になって痛い
と言っていました。本来なら二へドンがいの
一番に転倒してもおかしくなかったのです
が、二へドンには「 自分は山登りが駄目
だ。」と言う自覚が有ったので、結果事無き
を得ました.
1枚目の写真が平山ユージさん達がクライミ
ングのパフォーマンスを見せてくれる岩場で
す。「 え? ここ、登るの!? 」
もう驚いて口があんぐり開いたままです。
ロッククライミングの画像や動画はインター
ネットで幾らでも見る事が出来るのですが、
本物の岩場を目の前にした時の頭の空白度は
日常生活では絶対に体験出来ないものでし
た。 2枚目の写真がクライミングのゴールの
岩場のてっぺんです。 ふっ。もう笑いしか
出て来ません。
二子山は1980年代後半にアクセスが容
易となる林道が見つかった事で、関東のクラ
イマー達による開拓が一気に進みました。
東岳から西岳に開拓は向かって行きました
が、西岳はアプローチが遠く、ルートが分散
していたので開拓はなかなか進ま
なくなりました。 1989年04月、
平山ユージさんが20歳の時に仲間
が二子山を開拓していたので着い
て行ったそうです。僅か1ヵ月で開
拓したルートは登り尽くしたそう
です。 彼は2008年に小鹿野町に
クライミングによる町興しの企画
書を提出しました。しかし当時は
クライミングその物の認知度が低
く、何の動きもありませんでし
た。しかし10年後の2018年に小鹿
野町の議員さんが、その企画書を
見つけ出してくれました。それが
きっかけで平山ユージさんは小鹿
野町の観光大使になったと言う事
です。 平山ユージさんは、岩場
をクライミングの為に再生するに
は、先ずは地元の理解が必要と考
えます。 現に西岳の上級者コー
スには以前地主の厚意で鎖が取り
付けてありました。地主さんの私
費を投じてです。しかし現在は撤
去され、代わりにこんな看板が置
かれています。
「 ここは私有地で、安全の為に
鎖を設置してありましたが心無い
登山者からのクレームにより、鎖
を全て撤去する事となりました。
登る際は注意して登って下さい。
」 そのクレーマーが具体的にど
の様な事を言って来たのかは分か
りませんが、折角厚意で私費で鎖
を付けてくれた地主さんの心を踏
みにじる内容だった事は想像に難
くありません。
さて、クライミングは先ずアシ
スタントの嵯峨敦さんが登ってみ
せてくれました。写真か動画を撮
ったつもりだったのですが、何も
ありませんでした。 大変な登山
で生きる屍状態となった二へドン
はスマホの操作を誤ったのかもし
れません。 嵯峨さんが登ってい
る間、平山ユージさんがピレイヤ
ーの役割を務めます。ピレイヤー
とは地上で命綱のロープを確保す
る人の事です。クライマーが登る
度に弛んだロープをピレイヤーが
引っ張って調節するのです。バサ
リ!バサリ!とピレイヤーがロー
プを地面に投げ落とす様にする時
の音が印象的でした。平山ユージ
さんはロープを扱いながら「 も
うちょっと右 」とか「 頑張れ
!」とか掛け声を掛けて行きま
す。嵯峨さんがてっぺんまで辿り
着いた時には、まるで自分が登っ
ていたかの様にお腹の底から深い
ため息が出ました。
2番手は、もう1人のアシスタントの戸田萌希さんです。まだ20代前半の若い女性ですよ。
彼女の写真が3枚目と4枚目です。 水色のTシャツを着ています。
彼女はこの岩場を登るのは初めて
よく海外の女性クライマーは身長が高く、ごっつい身体付きをしている人が多い印象です
が、萌希さんは小柄で身長154cm の二へドンと、そう変わらない位に見えました。
そんな彼女が何で岩を登る様になったのか?
小さい頃からボルダリングに慣れ親しんでいたので、岩に登る様になったのは自然な流れ
だったそうです。 いや、このパフォーマンスを見られたらなら、苦しい山道をリタイヤせずに
頑張って登って来て良かった
二へドンの人生の中でも稀有な体験となりました。
*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ クライマーのパフォーマンス。 」 ・ 完 *****
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 高根神社。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 茅株稲荷神社。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 鹿人コンクリート工業。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 尾ノ内百景氷柱。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 弁当一心の「 めんち弁当 」。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 茅株稲荷神社。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 鹿人コンクリート工業。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 尾ノ内百景氷柱。
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 弁当一心の「 めんち弁当 」。
Posted by ニヘドン at 14:59│Comments(0)
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