2021年08月01日
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。
2021年02月19日(金)
小鹿野ワーケーションツアーの自
由行動日の午前中に神社仏閣巡り
をしました。 12:40 に原町のバ
ス停より西武バスに乗りました。
( 12:37 発が3分の遅れでし
た。) 12:50 松井田のバス停で
下車しました。宿の「 宮本の湯
」に行こうとした時に、琴平神
社の鳥居が見えたので行ってみま
した。国道299号線を秩父方面か
ら千束峠( せんぞくとうげ )
を下って来ると右手に見えます。
神社の境内の面積に比べると、
かなり急な石段を上がって行きま
す。石段の上に木の鳥居が有り、
注連縄は黄色でした。
社殿の中は暗かったですが、目
を凝らしてみると、畳敷きで和太
鼓が置かれていました。五色の吹
き流しが下がっています。 凄く
詳しい神社の由緒書の石碑が有る
のですが、尾ノ内百景氷柱を見に
行くバスの出発時間が13:30 だっ
たので13:10に一旦「 宮本の湯
」に戻りました。 尾ノ内百景氷
柱を見学し、またバスで戻って来
る時に、松井田バス停で下ろして
貰いました。バスの運転手さんが
「 琴平神社 」と言っても分か
らなかったのにはビックリしまし
た。 無形文化財の松井田神楽が行
なわれる地元の方なら知っている
神社だと思っていたのですが・。
15:23 から、18:00 の夕食までは
また自由時間なので、由緒書をじ
っくり読んでみました。( 以下
転記しておきます。 )
琴平神社の由緒
御祭神 大物主命
何事も願えば叶えてくれる神
御創立 天保10年10月10日
沿革 松井田耕地が上・下に分か
れ対立している事を憂えた有志が
計って天保10年10月10日琴平山の
山頂に社殿を造営し( 何事も願
えば叶う )といわれる琴平の神
を勧請し上松井田、下松井田の総
鎮守としたのが始まりという。
口碑によると琴平山は古くは(
山の神山 )と呼ばれ、その昔大
きな山津波があり、山頂に大きな
瘤が生じた。村人はこれを山の神
の仕業だとして小詞に祀ったとい
う。これは当社の勧請後摂社とな
っている山野神社である。山頂で
は不便であるとの理由から拝殿の
造営を企画し山野神社の地( 現
在地 )に昭和11年03月新築工事
を完成する。上松井田の守護神・聖天様が明治02年の神佛分離により琴平山頂に遷座されて
いたが、その後新社殿が造営され元の地に遷座されたので山頂の旧聖天宮を本殿として移築
し、御祭神・大物主命が遷座し給う。 その後昭和45年、麥藁葺きの拝殿、神楽殿の屋根を
亜鉛鍍金鉄板( トタン )屋根に改修する。
境内神社 御祭神
( 左手 )
☆ 山野神社 大山命( おおやまづみのみこ
と ) 山の御神霊。
無限の山の幸を恵給う。
☆ 秩父大神社 ・ 八
意思兼命( やごころお
もいかねのみこと )
政治、学問、工業、開運の神。
・ 知知夫彦命( ちちぶひこのみこと )
勇猛で情が厚く悪除けの神。
☆ 棚機姫神社 棚機姫命 ( たなばたひめのみこと )
織婦の神。
☆ 神日本磐余彦神社( かんやまといわれひこ )
神武天皇 我が国、肇国( はつくに or ちょうこく )の神。
☆ 大雷( だいらい )神社 大雷命( おおいかづちのみこと )
かみなり除けの神。
高龗命( たかおかみのみこと )
雨乞いの神。
大山祇命
八雷神。
明治11年夏から毎年の旱魃で田畑は乾き果てた。 これを憂えた農民達は雨乞い祈願を思い
立ち、当時有名な群馬県佐波郡赤堀村( 現在の赤堀町 )西久保 859番地 大雷神社の
御分霊を明治14年06月02日 琴平山の山頂に社殿を造営して勧請した。それから夏の日照
りには、農民は山頂に登り雨乞い祈願を行なったところ、その度ごとに雨が降ったので
松井田の雷神様と称し農民の作神様として有名である。
平成13年10月 吉辰
奉献者 浅学菲才にて神々の御神歴を誤り記し御神威を損なうことを危惧する
奉献 当所 323番地
八十 翁 豊田健男
七十八媼 豊田ハル子 」
二へドンはこの石碑を読んでいて、回りくどい文章で添削したくなってしまったのですが、
石碑の文章をそのまま記載しました。 ただ、石碑には句読点が無く、ブログを読み易く
する為に句読点を付け加えました。
境内には「 迎軍記念碑 」も有り、松井田神楽についての案内板も有りましたので、
これも転記しておきます。
「 小鹿野町指定無形民俗文化財
松井田神楽
昭和55年04月18日指定
天保10年( 1839年 )の創立という琴平神社の祭礼は毎年04月04日で、神楽殿では
神楽が奉納される。 明治14年( 1881年 )雨乞いの神社として知られる群馬県赤
堀村の大雷神社を勧請した後、雨乞い祈願を行なうことが多かった。 以来、松井田の
雷神様として親しまれ、祭礼が盛んになっていったという。 明治21年頃は、秩父市大
田の熊野神社神楽を頼んでいたが、明治23年頃から吉田町井上の貴布祢神社神楽師から
神楽を習ったと伝えられ、現在、18の座が伝承されている。 神楽を舞う人々の熱意は
高く、後継者への受け継ぎも盛んである。 地元の小中学生は小さいうちから練習にと
り組み、祭礼には熱心に神楽を舞っている。
平成28年04月吉日
奉献者 当所 323番地 豊田勝彦 」
小鹿野町の神社仏閣を徒歩で回って歩いて、どんなに小さな祠でも、きちんと案内板が設置
されている所が多く、地元の方々の、神仏を大切にして行こうと言う心に触れた様で頭が
下がる思いでした。 琴平神社の裏手に、山の上に通ずる石段が見えました。
登って行って、山頂のお社もお参りしてみたい気もしましたが、1人で草ボーボーの山の中に
入って行くのは怖い気持ちがして行きませんでした。 残念です。
次回、同行者がいてくれたら、是非山頂にも行ってみたいです。
*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 琴平神社。 」 ・ 完 *****
小鹿野ワーケーションツアーの自
由行動日の午前中に神社仏閣巡り
をしました。 12:40 に原町のバ
ス停より西武バスに乗りました。
( 12:37 発が3分の遅れでし
た。) 12:50 松井田のバス停で
下車しました。宿の「 宮本の湯
」に行こうとした時に、琴平神
社の鳥居が見えたので行ってみま
した。国道299号線を秩父方面か
ら千束峠( せんぞくとうげ )
を下って来ると右手に見えます。
神社の境内の面積に比べると、
かなり急な石段を上がって行きま
す。石段の上に木の鳥居が有り、
注連縄は黄色でした。
社殿の中は暗かったですが、目
を凝らしてみると、畳敷きで和太
鼓が置かれていました。五色の吹
き流しが下がっています。 凄く
詳しい神社の由緒書の石碑が有る
のですが、尾ノ内百景氷柱を見に
行くバスの出発時間が13:30 だっ
たので13:10に一旦「 宮本の湯
」に戻りました。 尾ノ内百景氷
柱を見学し、またバスで戻って来
る時に、松井田バス停で下ろして
貰いました。バスの運転手さんが
「 琴平神社 」と言っても分か
らなかったのにはビックリしまし
た。 無形文化財の松井田神楽が行
なわれる地元の方なら知っている
神社だと思っていたのですが・。
15:23 から、18:00 の夕食までは
また自由時間なので、由緒書をじ
っくり読んでみました。( 以下
転記しておきます。 )
琴平神社の由緒
御祭神 大物主命
何事も願えば叶えてくれる神
御創立 天保10年10月10日
沿革 松井田耕地が上・下に分か
れ対立している事を憂えた有志が
計って天保10年10月10日琴平山の
山頂に社殿を造営し( 何事も願
えば叶う )といわれる琴平の神
を勧請し上松井田、下松井田の総
鎮守としたのが始まりという。
口碑によると琴平山は古くは(
山の神山 )と呼ばれ、その昔大
きな山津波があり、山頂に大きな
瘤が生じた。村人はこれを山の神
の仕業だとして小詞に祀ったとい
う。これは当社の勧請後摂社とな
っている山野神社である。山頂で
は不便であるとの理由から拝殿の
造営を企画し山野神社の地( 現
在地 )に昭和11年03月新築工事
を完成する。上松井田の守護神・聖天様が明治02年の神佛分離により琴平山頂に遷座されて
いたが、その後新社殿が造営され元の地に遷座されたので山頂の旧聖天宮を本殿として移築
し、御祭神・大物主命が遷座し給う。 その後昭和45年、麥藁葺きの拝殿、神楽殿の屋根を
亜鉛鍍金鉄板( トタン )屋根に改修する。
境内神社 御祭神
( 左手 )
☆ 山野神社 大山命( おおやまづみのみこ
と ) 山の御神霊。
無限の山の幸を恵給う。
☆ 秩父大神社 ・ 八
意思兼命( やごころお
もいかねのみこと )
政治、学問、工業、開運の神。
・ 知知夫彦命( ちちぶひこのみこと )
勇猛で情が厚く悪除けの神。
☆ 棚機姫神社 棚機姫命 ( たなばたひめのみこと )
織婦の神。
☆ 神日本磐余彦神社( かんやまといわれひこ )
神武天皇 我が国、肇国( はつくに or ちょうこく )の神。
☆ 大雷( だいらい )神社 大雷命( おおいかづちのみこと )
かみなり除けの神。
高龗命( たかおかみのみこと )
雨乞いの神。
大山祇命
八雷神。
明治11年夏から毎年の旱魃で田畑は乾き果てた。 これを憂えた農民達は雨乞い祈願を思い
立ち、当時有名な群馬県佐波郡赤堀村( 現在の赤堀町 )西久保 859番地 大雷神社の
御分霊を明治14年06月02日 琴平山の山頂に社殿を造営して勧請した。それから夏の日照
りには、農民は山頂に登り雨乞い祈願を行なったところ、その度ごとに雨が降ったので
松井田の雷神様と称し農民の作神様として有名である。
平成13年10月 吉辰
奉献者 浅学菲才にて神々の御神歴を誤り記し御神威を損なうことを危惧する
奉献 当所 323番地
八十 翁 豊田健男
七十八媼 豊田ハル子 」
二へドンはこの石碑を読んでいて、回りくどい文章で添削したくなってしまったのですが、
石碑の文章をそのまま記載しました。 ただ、石碑には句読点が無く、ブログを読み易く
する為に句読点を付け加えました。
境内には「 迎軍記念碑 」も有り、松井田神楽についての案内板も有りましたので、
これも転記しておきます。
「 小鹿野町指定無形民俗文化財
松井田神楽
昭和55年04月18日指定
天保10年( 1839年 )の創立という琴平神社の祭礼は毎年04月04日で、神楽殿では
神楽が奉納される。 明治14年( 1881年 )雨乞いの神社として知られる群馬県赤
堀村の大雷神社を勧請した後、雨乞い祈願を行なうことが多かった。 以来、松井田の
雷神様として親しまれ、祭礼が盛んになっていったという。 明治21年頃は、秩父市大
田の熊野神社神楽を頼んでいたが、明治23年頃から吉田町井上の貴布祢神社神楽師から
神楽を習ったと伝えられ、現在、18の座が伝承されている。 神楽を舞う人々の熱意は
高く、後継者への受け継ぎも盛んである。 地元の小中学生は小さいうちから練習にと
り組み、祭礼には熱心に神楽を舞っている。
平成28年04月吉日
奉献者 当所 323番地 豊田勝彦 」
小鹿野町の神社仏閣を徒歩で回って歩いて、どんなに小さな祠でも、きちんと案内板が設置
されている所が多く、地元の方々の、神仏を大切にして行こうと言う心に触れた様で頭が
下がる思いでした。 琴平神社の裏手に、山の上に通ずる石段が見えました。
登って行って、山頂のお社もお参りしてみたい気もしましたが、1人で草ボーボーの山の中に
入って行くのは怖い気持ちがして行きませんでした。 残念です。
次回、同行者がいてくれたら、是非山頂にも行ってみたいです。
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