2010年09月25日
突然のジョン・ケイジ
二へドンは絶え間無く、その日その時の気分に流される。
人間は揺るがぬ理性を持って生きるべきだと考える人からは馬鹿にされる。
でも流されて生きる事は、或る意味とても楽なのだ。
だから他の人よりも、自分の気分に敏感だ。
感じた気分は、押さえ込まずに即座に解放する。
他人からは、喜怒哀楽が激しい人と見られる事も自覚している。
二へドンに言わせると、喜怒哀楽を見せない人は、
自分の気分を無視して生きて行く事が出来る不感症の人だと思う。
二へドンがブログを書く事に熱中しているのも、
「 私はこういう理性に裏打ちされた人です。」というユニフォームを
着ていない自分を、その時その時に移ろい行く気分を書き留めておく事で
実態の無い自分に形を与える事が出来たような擬似満足感が味わえるから。
朝、目が覚めた瞬間から気分の認知活動が始まる。
ある時は目が覚めたら「 Police 」な気分だった。
又ある時は「 ヒンデミット 」な気分に支配されている事もある。
二へドンの気分を測る物差しは音楽だけではない。
固さだったり、明るさだったり、温度だったり、色々な物差しの色々な単位記号を使って現す。
今朝は「 薄い桜色 」の気分だった。
そう。二へドンの気分は色に支配される事も多い。
戸外の光の色調は、同じ場所でも悉く変化する。
今日の朝9時の太陽光線と、昨日の朝9時の太陽光線は全く違う。
「 日はまた昇る 」というようなフレーズに多くの人は誤魔化されていると思う。
今日昇った太陽と、昨日昇った太陽は違うのに。
人間は揺るがぬ理性を持って生きるべきだと考える人からは馬鹿にされる。
でも流されて生きる事は、或る意味とても楽なのだ。
だから他の人よりも、自分の気分に敏感だ。
感じた気分は、押さえ込まずに即座に解放する。
他人からは、喜怒哀楽が激しい人と見られる事も自覚している。
二へドンに言わせると、喜怒哀楽を見せない人は、
自分の気分を無視して生きて行く事が出来る不感症の人だと思う。
二へドンがブログを書く事に熱中しているのも、
「 私はこういう理性に裏打ちされた人です。」というユニフォームを
着ていない自分を、その時その時に移ろい行く気分を書き留めておく事で
実態の無い自分に形を与える事が出来たような擬似満足感が味わえるから。
朝、目が覚めた瞬間から気分の認知活動が始まる。
ある時は目が覚めたら「 Police 」な気分だった。
又ある時は「 ヒンデミット 」な気分に支配されている事もある。
二へドンの気分を測る物差しは音楽だけではない。
固さだったり、明るさだったり、温度だったり、色々な物差しの色々な単位記号を使って現す。
今朝は「 薄い桜色 」の気分だった。
そう。二へドンの気分は色に支配される事も多い。
戸外の光の色調は、同じ場所でも悉く変化する。
今日の朝9時の太陽光線と、昨日の朝9時の太陽光線は全く違う。
「 日はまた昇る 」というようなフレーズに多くの人は誤魔化されていると思う。
今日昇った太陽と、昨日昇った太陽は違うのに。
Posted by ニヘドン at 11:19│Comments(0)
│徒然
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