2011年04月22日
青天の霹靂
2011年04月22日(金)
写真は今日のヴァイオリンの
レッスンで会う Fu-chan に
プレゼントする為に今朝作った
プチ・アレンジメント。
丁度昨日、花屋さんの店先に有った、
この薔薇の花の絶妙な赤色に
心惹かれて買っておいたのでした。
何で Fu-chan にプレゼントかと言うと、
息子ちゃんにバレンタインチョコレートを頂いていたのですが、
03月11日の大地震にびっくらこいて、
その後ずっと、ヴァイオリンのレッスンが有る度に、
お返しを持って行くのを忘れていたのでした。
今日やっと持って行くのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、タイトルに有ります「 青天の霹靂 」ですが、何が青天の霹靂なのか、書いてみましょう。
ニヘドンが、人様へのプレゼントに、ちゃちゃっとプチ・アレンジメントが出来るのも、もう13年もフラワーアレンジメントを習っているからです。
もし習っていなかったら、よっぽど気合いを入れないと作れないと思うのです。
ニヘドンの息子ちゃんが、幼稚園の3年保育に入ったのをきっかけに、元々興味の有ったフラワーアレンジメントを始めたのです。
最初の先生は3年位で出産の為に、今の久田先生に替わりました。
それから 10年!
生徒の顔触れは随分、入れ替わり立ち替わり変化しましたが、ニヘドンが13年も1つの教室でやって来られたのは、一重に久田先生のお人柄に依る物が大きいと思います。
13年って、言葉で言うのは簡単ですが、実生活の中では大きな変化が有りましたよ。
幼稚園に入ったばかりだった息子ちゃんは高校生になっています。
ニヘドンの母親が亡くなりました。
他にも親戚が何人も何人も他界しました。
ニヘドンがプログを書き始めました。
今ではすっかりブログが本業みたいな生活になっています。
久田先生は、そんなニヘドンの10年間の軌跡を間接的に見守ってくれていました。
お母さんみたいな見守り方でした。
絶対に「 それは駄目だ。」と言う言葉は口にしない先生でした。
昨日のレッスンで久田先生から告げられたのです。
5月いっぱいで教室を辞めると。
え!? そんな事、考えた事も無かったので、一瞬言葉を失いました。
本当にニヘドンは今迄、只の一度も、久田先生が教室を辞める日が来るかもしれないなんて、露とも考えた事が無かったのです。
青天の霹靂って、このニヘドンの驚きの為に作られた言葉なのでは無いかと思っちゃいました。
先生は、ご実家が北海道で、93歳のお父様が今年の01月から入院され、先生は横浜と北海道の間を行ったり来たりしていて、もう限界を感じたので、北海道で介護に専念する事にしたそうです。
仕方が有りませんよね。
介護は今の日本人の誰にも課された重い宿題の様なものです。
ニヘドンの母親は、64歳と言う、日本人女性の平均寿命より20年も早く逝ってしまいましたから、親の介護が出来る人が或る意味、羨ましいです。
久田先生、長い間、本当にお世話になりました。
ややもすれば、前衛的なデザインに走り過ぎる嫌いが有ったニヘドンを決して否定せず、温かく見守ってくれた先生に、ただただ感謝します。
北海道で元気に親孝行して来て下さい!!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、大きな星が幾つも移動する2011年は「 変革・革命の時期 」になるそうです。
占星術家は皆、そう言っています。
確かに、2011年になってまだ4ヶ月にしかならないのに、
青天の霹靂な事件が起こり過ぎですよね。
03月11日の大地震に、原発事故は言うに及ばず。
後、ニヘドン関係の小さな変化を書いておくと、
・ ニヘドンが13年前に始めた磯子スポーツセンターの「 ヘルシースポーツ 」教室の大橋先生が、辞められた!
こちらの先生も、13年もお世話になり、居て当たり前の様に思っていた存在だったので、こちらも青天の霹靂な事件でした。
他のスポーツセンターに異動したのであれば良いのですが…。
彼女が「 ヘルシースポーツ 」から去る事を全く聞かされていなかったので、本当にビックリしました。
・ 元キャンディーズのスーちゃんが急死!!
この訃報も青天の霹靂でした。
スーちゃんはニヘドンの高校の先輩でした。
学校の名称が少し変わり、現在は東京成徳短期大学付属高等学校になっています。
ろくでも無い学校でした。
生徒への教育的配慮なんてまるで有りませんでした。
体育教師の萩原先生なんて、女子生徒達の目の前で「 乳揉むぞ〜。」と言いながら、両手を前に突き出して、揉む仕草をしながら迫って来て、生徒達が悲鳴を上げて逃げるのをヘラヘラ笑って見てましたねー。
(教師と言う職分に有る人間の勤務時間中の言動ですから、ブログに書かれたって文句は言えまい。)
そんな学校でした。
ニヘドンの現代国語の教師だった太田正巳先生は、成徳退職後、この学校が如何に酷いかを書き連ねた暴露本「 恐るべき女子高校 」を実名で出版しました。
この本の事は週刊新潮でも取り上げられました。
「 学校の卒業生達は買って読んでみたいと思うだろうけど、関係無い人は買わないだろう。」と言う意地悪な記事が書かれていました。
この「 恐るべき女子高校 」に、キャンディーズのスーちゃんが、無料で学校の体育館で歌わされたりして可哀想だったみたいなエピソードが書かれていました。
( はい。ニヘドンも、この本買っちゃいました。卒業生ですから。笑。)
もう直ぐ04月も終わりですが、まだまだ青天の霹靂は有るのでしょうか?
平穏無事を望みますよ〜。
***** 「 青天の霹靂 」 ・ 完 *****
写真は今日のヴァイオリンの
レッスンで会う Fu-chan に
プレゼントする為に今朝作った
プチ・アレンジメント。
丁度昨日、花屋さんの店先に有った、
この薔薇の花の絶妙な赤色に
心惹かれて買っておいたのでした。
何で Fu-chan にプレゼントかと言うと、
息子ちゃんにバレンタインチョコレートを頂いていたのですが、
03月11日の大地震にびっくらこいて、
その後ずっと、ヴァイオリンのレッスンが有る度に、
お返しを持って行くのを忘れていたのでした。
今日やっと持って行くのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、タイトルに有ります「 青天の霹靂 」ですが、何が青天の霹靂なのか、書いてみましょう。
ニヘドンが、人様へのプレゼントに、ちゃちゃっとプチ・アレンジメントが出来るのも、もう13年もフラワーアレンジメントを習っているからです。
もし習っていなかったら、よっぽど気合いを入れないと作れないと思うのです。
ニヘドンの息子ちゃんが、幼稚園の3年保育に入ったのをきっかけに、元々興味の有ったフラワーアレンジメントを始めたのです。
最初の先生は3年位で出産の為に、今の久田先生に替わりました。
それから 10年!
生徒の顔触れは随分、入れ替わり立ち替わり変化しましたが、ニヘドンが13年も1つの教室でやって来られたのは、一重に久田先生のお人柄に依る物が大きいと思います。
13年って、言葉で言うのは簡単ですが、実生活の中では大きな変化が有りましたよ。
幼稚園に入ったばかりだった息子ちゃんは高校生になっています。
ニヘドンの母親が亡くなりました。
他にも親戚が何人も何人も他界しました。
ニヘドンがプログを書き始めました。
今ではすっかりブログが本業みたいな生活になっています。
久田先生は、そんなニヘドンの10年間の軌跡を間接的に見守ってくれていました。
お母さんみたいな見守り方でした。
絶対に「 それは駄目だ。」と言う言葉は口にしない先生でした。
昨日のレッスンで久田先生から告げられたのです。
5月いっぱいで教室を辞めると。
え!? そんな事、考えた事も無かったので、一瞬言葉を失いました。
本当にニヘドンは今迄、只の一度も、久田先生が教室を辞める日が来るかもしれないなんて、露とも考えた事が無かったのです。
青天の霹靂って、このニヘドンの驚きの為に作られた言葉なのでは無いかと思っちゃいました。
先生は、ご実家が北海道で、93歳のお父様が今年の01月から入院され、先生は横浜と北海道の間を行ったり来たりしていて、もう限界を感じたので、北海道で介護に専念する事にしたそうです。
仕方が有りませんよね。
介護は今の日本人の誰にも課された重い宿題の様なものです。
ニヘドンの母親は、64歳と言う、日本人女性の平均寿命より20年も早く逝ってしまいましたから、親の介護が出来る人が或る意味、羨ましいです。
久田先生、長い間、本当にお世話になりました。
ややもすれば、前衛的なデザインに走り過ぎる嫌いが有ったニヘドンを決して否定せず、温かく見守ってくれた先生に、ただただ感謝します。
北海道で元気に親孝行して来て下さい!!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、大きな星が幾つも移動する2011年は「 変革・革命の時期 」になるそうです。
占星術家は皆、そう言っています。
確かに、2011年になってまだ4ヶ月にしかならないのに、
青天の霹靂な事件が起こり過ぎですよね。
03月11日の大地震に、原発事故は言うに及ばず。
後、ニヘドン関係の小さな変化を書いておくと、
・ ニヘドンが13年前に始めた磯子スポーツセンターの「 ヘルシースポーツ 」教室の大橋先生が、辞められた!
こちらの先生も、13年もお世話になり、居て当たり前の様に思っていた存在だったので、こちらも青天の霹靂な事件でした。
他のスポーツセンターに異動したのであれば良いのですが…。
彼女が「 ヘルシースポーツ 」から去る事を全く聞かされていなかったので、本当にビックリしました。
・ 元キャンディーズのスーちゃんが急死!!
この訃報も青天の霹靂でした。
スーちゃんはニヘドンの高校の先輩でした。
学校の名称が少し変わり、現在は東京成徳短期大学付属高等学校になっています。
ろくでも無い学校でした。
生徒への教育的配慮なんてまるで有りませんでした。
体育教師の萩原先生なんて、女子生徒達の目の前で「 乳揉むぞ〜。」と言いながら、両手を前に突き出して、揉む仕草をしながら迫って来て、生徒達が悲鳴を上げて逃げるのをヘラヘラ笑って見てましたねー。
(教師と言う職分に有る人間の勤務時間中の言動ですから、ブログに書かれたって文句は言えまい。)
そんな学校でした。
ニヘドンの現代国語の教師だった太田正巳先生は、成徳退職後、この学校が如何に酷いかを書き連ねた暴露本「 恐るべき女子高校 」を実名で出版しました。
この本の事は週刊新潮でも取り上げられました。
「 学校の卒業生達は買って読んでみたいと思うだろうけど、関係無い人は買わないだろう。」と言う意地悪な記事が書かれていました。
この「 恐るべき女子高校 」に、キャンディーズのスーちゃんが、無料で学校の体育館で歌わされたりして可哀想だったみたいなエピソードが書かれていました。
( はい。ニヘドンも、この本買っちゃいました。卒業生ですから。笑。)
もう直ぐ04月も終わりですが、まだまだ青天の霹靂は有るのでしょうか?
平穏無事を望みますよ〜。
***** 「 青天の霹靂 」 ・ 完 *****
Posted by ニヘドン at 19:26│Comments(0)
│徒然
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