2009年04月13日
「 台湾人生 」
2009年04月01日(水)
京橋の映画美学校の試写室で
映画 「 台湾人生 」を見ました。
今や日本人に取って、台湾が抱えている問題を自分の痛みとして捉えられる人は、殆どいないのではないでしょうか?
それは、やはり台湾の事を正しく知ろうとする人が限られているからでしょうね。
台湾の事を全く知らない方の為に、是非知っておいて頂きたい事が2つ有ります。
1. 台湾は51年間の長きに渡って日本の植民地であった事。
2. 日本の植民地時代に徹底的な日本教育が施され、それは恐ろしい程に成功した事。
この恐ろしい程の成功により、植民地時代に日本教育を受けた台湾人達は、日本語が堪能に なったのは勿論の事、それだけではないのです。
日本の天皇陛下の為なら命も捨てられると心底思っている台湾人が生まれたのです。
この映画 「 台湾人生 」は、そんな日本教育を受けた台湾の人々 ( 今ではすっかり高齢者になってしまっています。)
のインタビューで綴ったドキュメンタリーです。
ニヘドンは、1人でも多くの日本人に、この映画を見てもらいたいのです。
映画を見た後、何もしなくて良いです。
でも、現実だけは知っていて下さい。
自分達の国が、日本の天皇陛下の為に命を捨て様と軍隊に志願して出兵した挙げ句、あっさり終戦となり、その後彼等がどうなったか、兎に角知って下さい。
出演者は皆さん、台湾人です。
でも字幕が一切有りません。
何故なら、この映画に出演して、自分の思いを静かに語る老人達は、皆、流暢に日本語を操るからです。
二へドンは個人的に台湾には一般の日本人よりも台湾に対して思い入れがあります。
二へドンの夫と婚約中、夫は1人で台北に駐在員として生活していました。
度々、台北まで彼に会いに行って、彼の交友関係の人々とも知り合いになりました。
台湾を構成している多種多様の人々と顔を合わせ、言葉を交わしました。
彼の住んでいるアパートの同じフロアには、国民党と共に大陸から台湾にやって来た人々が住んでいて、
毎日麻雀をしていました。
( あんまり悪い事を教えちゃいけないけれど、一部の人は、彼らの事を「 ラオアー 」と
呼びます。 漢字で書くと 「 老芋 」。 意味は・・・・・XXXXX )
山岳民族もいます。 台湾師範学校を出たエリートもいます。
台湾の兵役逃れでアメリカへ渡って帰って来ない若者もいました。
土産物屋のおばちゃんもいます。
長距離バスの切符売りのおばちゃん。 台湾鉄路局の職員のおじさん。
夫が行きつけの飲み屋のおばちゃん。 道を聞いた事が縁で一緒にハンバーガーを食べた女子中学生。
浜辺でナンパして来た兄さん。 屋台のおじちゃん。 主人のアパートの隣の部屋に住んでいたドイツ人。
台北で英会話を教えている耳のデカいイギリス人。
English Pub のホステス達。 今は無き華西街にうじゃうじゃ立っていたお姉ちゃん達。
ちょいとばかり、ディープな台湾を知ってしまっているので、
この映画 「 台湾人生 」には泣かされました。
二へドンは本当は結婚後、そのまま台北で暮らすつもりでいたのです。
そして子供が生まれたら、子供の進学先は台湾師範学校に入れようなんて、そんな野望すら
抱いていました。
( 台湾師範学校は、当時は、台湾の東大でした。 今はどうなんでしょうかね? )
でも、師範学校に入る為には、普通の勉強だけではなく、「 三民主義 」 というものを勉強しなければ
ならず、国民党のイデオロギーとは無縁な外国人には難しいぞと言われた事もありました。
結局、夫の会社が給与不払いなんて事をしでかし、夫が会社を捨てて日本へ逃げ帰って来たので、
二へドンの中山北路で優雅な駐在員の奥様ランチを毎日する夢は潰えたのでした。
台湾で日本教育を受けた人々の多くは、まだ自分達は日本人であると思っています。
戦争体験の無い、若い人々も、大抵日本を好いてくれています。
こういう台湾の人々の思いを一方通行にしたままで良いのでしょうか?
しばらく二へドンの心に眠っていた思いが、映画 「 台湾人生 」を見た事によって、
ムクムクと頭をもたげて来ました。
「シネレビュー」でこの記事をチェック!
京橋の映画美学校の試写室で
映画 「 台湾人生 」を見ました。
今や日本人に取って、台湾が抱えている問題を自分の痛みとして捉えられる人は、殆どいないのではないでしょうか?
それは、やはり台湾の事を正しく知ろうとする人が限られているからでしょうね。
台湾の事を全く知らない方の為に、是非知っておいて頂きたい事が2つ有ります。
1. 台湾は51年間の長きに渡って日本の植民地であった事。
2. 日本の植民地時代に徹底的な日本教育が施され、それは恐ろしい程に成功した事。
この恐ろしい程の成功により、植民地時代に日本教育を受けた台湾人達は、日本語が堪能に なったのは勿論の事、それだけではないのです。
日本の天皇陛下の為なら命も捨てられると心底思っている台湾人が生まれたのです。
この映画 「 台湾人生 」は、そんな日本教育を受けた台湾の人々 ( 今ではすっかり高齢者になってしまっています。)
のインタビューで綴ったドキュメンタリーです。
ニヘドンは、1人でも多くの日本人に、この映画を見てもらいたいのです。
映画を見た後、何もしなくて良いです。
でも、現実だけは知っていて下さい。
自分達の国が、日本の天皇陛下の為に命を捨て様と軍隊に志願して出兵した挙げ句、あっさり終戦となり、その後彼等がどうなったか、兎に角知って下さい。
出演者は皆さん、台湾人です。
でも字幕が一切有りません。
何故なら、この映画に出演して、自分の思いを静かに語る老人達は、皆、流暢に日本語を操るからです。
二へドンは個人的に台湾には一般の日本人よりも台湾に対して思い入れがあります。
二へドンの夫と婚約中、夫は1人で台北に駐在員として生活していました。
度々、台北まで彼に会いに行って、彼の交友関係の人々とも知り合いになりました。
台湾を構成している多種多様の人々と顔を合わせ、言葉を交わしました。
彼の住んでいるアパートの同じフロアには、国民党と共に大陸から台湾にやって来た人々が住んでいて、
毎日麻雀をしていました。
( あんまり悪い事を教えちゃいけないけれど、一部の人は、彼らの事を「 ラオアー 」と
呼びます。 漢字で書くと 「 老芋 」。 意味は・・・・・XXXXX )
山岳民族もいます。 台湾師範学校を出たエリートもいます。
台湾の兵役逃れでアメリカへ渡って帰って来ない若者もいました。
土産物屋のおばちゃんもいます。
長距離バスの切符売りのおばちゃん。 台湾鉄路局の職員のおじさん。
夫が行きつけの飲み屋のおばちゃん。 道を聞いた事が縁で一緒にハンバーガーを食べた女子中学生。
浜辺でナンパして来た兄さん。 屋台のおじちゃん。 主人のアパートの隣の部屋に住んでいたドイツ人。
台北で英会話を教えている耳のデカいイギリス人。
English Pub のホステス達。 今は無き華西街にうじゃうじゃ立っていたお姉ちゃん達。
ちょいとばかり、ディープな台湾を知ってしまっているので、
この映画 「 台湾人生 」には泣かされました。
二へドンは本当は結婚後、そのまま台北で暮らすつもりでいたのです。
そして子供が生まれたら、子供の進学先は台湾師範学校に入れようなんて、そんな野望すら
抱いていました。
( 台湾師範学校は、当時は、台湾の東大でした。 今はどうなんでしょうかね? )
でも、師範学校に入る為には、普通の勉強だけではなく、「 三民主義 」 というものを勉強しなければ
ならず、国民党のイデオロギーとは無縁な外国人には難しいぞと言われた事もありました。
結局、夫の会社が給与不払いなんて事をしでかし、夫が会社を捨てて日本へ逃げ帰って来たので、
二へドンの中山北路で優雅な駐在員の奥様ランチを毎日する夢は潰えたのでした。
台湾で日本教育を受けた人々の多くは、まだ自分達は日本人であると思っています。
戦争体験の無い、若い人々も、大抵日本を好いてくれています。
こういう台湾の人々の思いを一方通行にしたままで良いのでしょうか?
しばらく二へドンの心に眠っていた思いが、映画 「 台湾人生 」を見た事によって、
ムクムクと頭をもたげて来ました。
「シネレビュー」でこの記事をチェック!
Posted by ニヘドン at 09:44│Comments(2)
│映画
この記事へのコメント
ニヘドン様
ご無沙汰しております。
ディープな台湾を知る一人として出てまいりました。(^^;)
台湾って何でもありなんですよね。
台北も濃いですが、中部や山岳部はすごい濃いですよね。
腐豆腐のニオイが鼻を突き、大音量の演歌に襲われ、原チャリに轢かれそうになり、ぼこぼこの歩道と、歩道にまで並ぶ商品で真っ直ぐ歩けず。「これ、おいしいよ」と差し出されたものは、日本の感覚ではあり得ない食材の組み合わせ。転げまわったこと数知れず。夜市では、生きてるハムスターのUFOキャッチャー。
選挙では「〇〇に投票するヤツは人じゃねぇ!」との怒号の嵐。だけど、お弁当に釣られて、違う党の手伝いに平気でお出かけするノウテンキさ。
さらに・・・、バナナの木3本分くらいのバナナもらっても困る・・・、原住民から電話が来て「ヤギ殺したから食べにきてくださ~い」って誘われてオロオロ。断ることにえらく体力を使ったような。
みなさん何故か日本統治時代を懐かしみ、その後の国民党の時代はひどかったと言います。勿論、日治時代にも色々あって、抗日事件もあったはずなのですが、すごい日本びいきですよね。
「日本人は嘘をつかない。真面目に働いていた。鉄道を敷き、橋を架け、教育をし、農業を教えてくれた」と。日本人がインフラ整備をしてくれたお陰で発展できたと。
ああ、私も中山で、優雅に過ごしたいよぅ・・・。
ご無沙汰しております。
ディープな台湾を知る一人として出てまいりました。(^^;)
台湾って何でもありなんですよね。
台北も濃いですが、中部や山岳部はすごい濃いですよね。
腐豆腐のニオイが鼻を突き、大音量の演歌に襲われ、原チャリに轢かれそうになり、ぼこぼこの歩道と、歩道にまで並ぶ商品で真っ直ぐ歩けず。「これ、おいしいよ」と差し出されたものは、日本の感覚ではあり得ない食材の組み合わせ。転げまわったこと数知れず。夜市では、生きてるハムスターのUFOキャッチャー。
選挙では「〇〇に投票するヤツは人じゃねぇ!」との怒号の嵐。だけど、お弁当に釣られて、違う党の手伝いに平気でお出かけするノウテンキさ。
さらに・・・、バナナの木3本分くらいのバナナもらっても困る・・・、原住民から電話が来て「ヤギ殺したから食べにきてくださ~い」って誘われてオロオロ。断ることにえらく体力を使ったような。
みなさん何故か日本統治時代を懐かしみ、その後の国民党の時代はひどかったと言います。勿論、日治時代にも色々あって、抗日事件もあったはずなのですが、すごい日本びいきですよね。
「日本人は嘘をつかない。真面目に働いていた。鉄道を敷き、橋を架け、教育をし、農業を教えてくれた」と。日本人がインフラ整備をしてくれたお陰で発展できたと。
ああ、私も中山で、優雅に過ごしたいよぅ・・・。
Posted by IT小姐 at 2009年04月13日 15:31
> IT 小姐 様。
こんにちは!
「 何でもありぃ! 」 が台湾の魅力ですよね。
あの小さい島に、何故あんなに何でもごった煮になって
いるのだろうか?
台北のデパ地下の 「 お1人様火鍋 」 が懐かしいよお。
喫茶店で 「 伯爵 」 を飲んだのもゴージャス気分。
東南アジアでもどこでも、外国人向け料金は現地人向け料金より高いのが普通なのに、
台湾は租界みたいな所があって、ツアーの日本人として
利用した方が、絶対に安かったりするのも不思議でした。
台湾で1番怖いのは、お化けでも国家権力でもありません。
交通事故です。
ありゃ、本当に怖かったです。
今の二へドンにはもう台湾の道路は渡れないかもしれません。
東西横貫公路の旅が怖かったよー。
何度、これが自分の人生の終焉だと思った事か・・・・・・。
台湾の丸顔眼鏡の男の子と夜市で騒ぎたいです。
因みに二へドンが1番好きな台湾の町は基隆です。
自分の息子の名前に 「 隆 」 の漢字を使ったのは
基隆が潜在意識にあったからかもしれません。
「 我愛台湾 ! 」
こんにちは!
「 何でもありぃ! 」 が台湾の魅力ですよね。
あの小さい島に、何故あんなに何でもごった煮になって
いるのだろうか?
台北のデパ地下の 「 お1人様火鍋 」 が懐かしいよお。
喫茶店で 「 伯爵 」 を飲んだのもゴージャス気分。
東南アジアでもどこでも、外国人向け料金は現地人向け料金より高いのが普通なのに、
台湾は租界みたいな所があって、ツアーの日本人として
利用した方が、絶対に安かったりするのも不思議でした。
台湾で1番怖いのは、お化けでも国家権力でもありません。
交通事故です。
ありゃ、本当に怖かったです。
今の二へドンにはもう台湾の道路は渡れないかもしれません。
東西横貫公路の旅が怖かったよー。
何度、これが自分の人生の終焉だと思った事か・・・・・・。
台湾の丸顔眼鏡の男の子と夜市で騒ぎたいです。
因みに二へドンが1番好きな台湾の町は基隆です。
自分の息子の名前に 「 隆 」 の漢字を使ったのは
基隆が潜在意識にあったからかもしれません。
「 我愛台湾 ! 」
Posted by ニヘドン at 2009年04月14日 14:43
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