2021年07月03日
小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 小鹿神社。
2021年02月19日(金)
さあ、いよいよ、二へドンが小鹿野町の神社
仏閣巡りで1番来たかったハイライトの小鹿
神社にやって来ました。先ず気を付けたいの
が、神社の名前です。
町の名前は小鹿野( おがの )ですが、
神社の名前は小鹿( おしか )です。
小鹿野ワーケーションツアーの参加者です
ら、「 おがじんじゃ 」と間違えて呼んで
いましたから、皆さんも気をつけて下さい
ね。 この小鹿神社は国道299号線に面して
1枚目の写真の様な大きな朱塗りの鳥居が立
っていますので、見落とす事は有りません。
日本武尊が東征の折、道に迷いました。そこ
に現れた神鹿がこの地に案内してくれました
が、道案内の役目を終えた鹿は死んでしまっ
たそうです。日本武尊がその鹿を祀った塚が
街の入り口に有るそうです。 残念ながら二
へドンは行って確かめる時間が有りませんで
したので、次回の宿題です。「 小鹿野塚古
墳 」として残っているらしいです。何とこ
の古墳、古墳そのものは確認出来ず( 崩さ
れてしまったらしいのです。)しかし」公園
になっているそうです。小鹿野ワーケーショ
ンツアーの宿舎「 宮本の湯 」の近くだと
後から知り、地団駄を踏みました。
現在の小鹿野町の地名も、日本武尊が
「 小鹿の野原 」と言った事から地名にな
ったと伝えられています。
以下、小鹿神社の境内に在った説明版の文章
を転記しますが、1枚目の写真の所で触れた
日本武尊云々の伝説には一切表記が無いのが
些かショックでは有りました。
2枚目の写真は、小鹿神社の拝殿に至る石
段の前に建てられている古鳥居です。
地味なので、普通の参拝客の方は見落として
通過してしまう様ですが、古鳥居に隠されて
いるであろう秘密については伊勢谷武・著の
「 アマテラスの暗号 」をお読み下さい。
「 小鹿神社 御由緒
小鹿野町小鹿野 1432
当社の創建については、古代から「 おか
の郷 」に座す神として祀られていたが、
後世に小鹿神社となった説、武蔵七党の
丹党に属す小鹿野氏が祀る社であった説、
天慶の乱に武功を立てた藤原秀郷が当地に
来た時に氏神である春日の大神を祀ったと
いう説の三説があり、いずれの説も神社と
地域文化のかかわりを考える上で興味深
い。
鎮座地については、口碑によると、初めは
赤平川の左岸で、春日町の東寄りに当たる
「 明神 」の地に祀られていたが、後に
少し離れた字諏訪に移されたと云われてい
る。この地には古くから諏訪神社( 下社
)が鎮座していたが、「 新編武蔵風土記
稿 には既に字諏訪に鎮座していた諏訪神
社の社名は無く、これに代わり「 小鹿明
神 」とのみ記されていることから諏訪神
社はこの遷座に伴い当社に合祀されたもの
と思わせる。
明治05年( 1872年 )に村社とな
り、同16年( 1883年 )には西秩父
18ヵ村の郷社に昇格した。しかし明治43
年( 1910年 )の豪雨により社地は陥
没し、やむなく字諏訪脇に鎮座する諏訪神
社( 上社 )の境内に遷座した。この
時、この諏訪神社及び境内社三社を合祀し
次いで明治45年( 1912年 )には字美
屋の新井神社をはじめ5社を合祀した。
現在の小鹿神社本殿は、合祀された諏訪
神社( 上社 )の社殿で、棟札には安永
04年( 1775年 )の建造と記されてい
る。 尚、内陣には住吉、諏訪信仰とかか
わりを持っていたと考えられる石棒が収め
られている。」
この石棒と言うのが、如何なる物か、詳細
や写真がネット上で探せなかったので、よく
分からないのですが、縄文時代において、土
偶と共に祭祀遺物の代表と言われる、あの
石棒でしょうか?? この石棒の存在を意外
と皆さん知らないのですよね。何故かと言う
と、小学校の教科書にも中学校の教科書にも
土偶の写真はよく見かけます。が、石棒の写
真は見た事有りません。何故かしら? 祭祀
遺物の代表なのに。恐らく、石棒の形状が何
やら卑猥に見えてしまうからかしら? でも
二へドンも実物を何処かの博物館で見たと言
う経験が有りません。 青森県の三内丸山遺
跡でも、佐賀県の吉野ケ里遺跡でも、展示室
で見た覚えが無いのです。出土はしているの
に。二へドンの今後の旅のテーマは、「 石
棒を求めて 」にします。 神奈川県愛川町
の半縄遺跡、国立市の緑川東遺跡、大宮諏訪
神社( 月夜平遺跡 )等では、完全な姿の
石棒が出土しています。 岐阜県飛騨市の塩
屋金清神社( しおやきんせいじんじゃ )
遺跡は、南山大学の確認調査により、石棒製
作跡の可能性が高くなっています。 民間信
仰のミシャグジ信仰とも関連が有るのか、興
味は尽きません。 では、まとめて写真の説
明をしておきましょう。
3枚目 小鹿神社の拝殿。
4枚目 小鹿神社の拝殿の天井画。
なかなか都会的なセンスの良い図
柄です。
5枚目 小鹿神社の手水舎。 写真では見難
いのですが、普通、手水舎の龍って、縁に作
られていませんか? これは、龍が水の中に
どっぷりと浸かっている状態なんです。
これは珍しいと思い、カメラに収めて来まし
た。 まるで、龍が水浴びを楽しんでいる様
で可愛らしく感じました。
小鹿神社の基本事項をまとめておきます。
旧社格 : 郷社
総本社 : 春日大社(奈良県奈良市)
ご祭神 : 春日神(かすがのかみ)
− 武甕槌神(たけみかづち)
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、
軍神、武道・競技の必勝、事業の創
始、旅行安全の神。
− 経津主神(ふつぬし)
[別名]斎主神/伊波比主神(いわいぬし
刀剣の威力を神格化した神、海上守
護・国家鎮護の神
− 天児屋根命(あめのこやね)
祝詞の神、出世の神。
※中臣連の祖(中臣鎌足を祖とする
藤原氏の氏神)
− 比売大神(ひめのおおかみ)
主祭神の妻や娘、宗像三神の説も有。
ご利益 : オートバイの安全祈願、厄除、
交通安全、合格祈願、安産祈願、
商売繁盛、出世開運、良縁祈願、
恋愛成就 他
良縁祈願や恋愛成就の御利益を謳っている
所為でしょうか。 6枚目の写真の様に、御
神籤をくくりつける台は、キューピッドの弓
矢の様にハートに矢が刺さっている形です。
なかなか、遊び心の有る神社さんです。
元々、小鹿野町はオートバイのツーリングを
町興しにPRして来た歴史が有ります。なの
で一般の観光客よりも、ツーリングで来た
ついでに小鹿神社にお参りをするライダー達
が多かったのです。そんなライダー達の為に
「 転倒防止守り 」が受けられます。 二
へドンはバイクには乗りませんが、甥っ子が
バイクで通勤しているので、甥っ子の為に
転倒防止守りを 1つ頂きました。
7枚目の写真は小鹿神社の
階段の下に設置されてい
る看板です。 OGANO
とローマ字で表記された
町名をバイクのイラスト
に取り込んだ、なかなか
秀逸なデザインだと思い
ます。 看板の右側に転
倒防止守りのイラストが
描かれています。転倒に
掛けて、てんとう虫のイ
ラストなんです。
8枚目の写真は、小鹿神社の社殿のあちこ
ちに立て掛けられていた木の棒です。全く同
じデザインの木の棒が、複数本置かれている
ので、恐らく奉納されたものだと思います。
持ち手(?)の部分に×の形に切込みが入れ
られているのが印象的です。二へドンは他の
神社で、こう言った物を見た事が有りませ
ん。 これは一体何なのでしょうか?
諏訪信仰と何か関係が有るのでしょうか?
小鹿神社が諏訪神社と合祀された流れから考
えると、諏訪信仰っぽい気がします。 それ
とも、ミシャグジ信仰なのでしょうか? ミ
シャグジは長野県諏訪地域が、その震源とさ
れ、諏訪信仰に関わっていると考えられま
す。 古木の根元に石棒や木棒を祀るのが典
型的なミシャグジの有り方です。 ミシャグ
ジは木に降りて、石に宿る神霊と信じられて
いた様です。
小鹿野町の町名の由来が、日本武尊を案内し
た鹿だった為か、はたまた、諏訪大社と鹿が
深い関係に有った為か、小鹿神社から続く道
を奥に辿って行くと鹿公園が有ります。
50円で鹿に餌やりが出来るそうです。 奈
良公園の鹿せんべいが200円ですから、これ
は安いです
9枚目の写真は、境内に在る「 豊森稲荷
」のお社です。 小鹿神社拝殿の左手の小さ
な鳥居3基の有る階段を登ると、写真のお社
が有ります。 お稲荷さんの右手を少し登る
と「 神宮山陵遥拝所 」の石碑が有りま
す。 神宮山陵って何処かしら? 山陵と言
うのは御陵。つまり、皇室の方々の墳墓の総
称です。畝傍山( うねびやま )の麓、橿
原神宮に北接する神武天皇陵の事ですか?
もう神社1つ参拝しても、分からない事だら
けで嫌になっちゃいますね。
遥拝所の石碑から更に奥に「 合同社 」
が有ります。 6社が並んでいて、左から水
速女神社、天満天神社、古峰神社、三峯神社
、八幡神社、大山祇神社です。
ご朱印は、コンクリート造りの立派な社
務所で頂けます。 コロナの時代は、ご朱印
は書置きのみと言う神社さんが多くなりまし
たが、ここは御朱印帳に直書きしてくれまし
た。 参拝形式は通常の「 二拝二拍一拝
」 です。
【 小鹿神社 DATA 】
神社名 : 小鹿神社
所在地 : 〒368 - 0105
埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野1432
電話番号 : 0494 - 75 - 2437
最寄り駅 : 秩父鉄道秩父本線「秩父」駅より西武バスにて
「 小鹿野( おがの )」か「 原町( はらまち )」にて下車。
徒歩10分。
二へドンが実際に歩いてみた所
11:15 小鹿神社の赤い大きい一の鳥居を潜る。
11:20 小鹿神社の階段下に到着。 日の丸が掲揚されていて清々しい気分でした。
古鳥居は原生林から持って来ましたと言う感じの古色蒼然とした木の柱でした。
*****「 小鹿野ワーケーションツアーリポート ~ 小鹿神社。 」 ・ 完 *****
さあ、いよいよ、二へドンが小鹿野町の神社
仏閣巡りで1番来たかったハイライトの小鹿
神社にやって来ました。先ず気を付けたいの
が、神社の名前です。
町の名前は小鹿野( おがの )ですが、
神社の名前は小鹿( おしか )です。
小鹿野ワーケーションツアーの参加者です
ら、「 おがじんじゃ 」と間違えて呼んで
いましたから、皆さんも気をつけて下さい
ね。 この小鹿神社は国道299号線に面して
1枚目の写真の様な大きな朱塗りの鳥居が立
っていますので、見落とす事は有りません。
日本武尊が東征の折、道に迷いました。そこ
に現れた神鹿がこの地に案内してくれました
が、道案内の役目を終えた鹿は死んでしまっ
たそうです。日本武尊がその鹿を祀った塚が
街の入り口に有るそうです。 残念ながら二
へドンは行って確かめる時間が有りませんで
したので、次回の宿題です。「 小鹿野塚古
墳 」として残っているらしいです。何とこ
の古墳、古墳そのものは確認出来ず( 崩さ
れてしまったらしいのです。)しかし」公園
になっているそうです。小鹿野ワーケーショ
ンツアーの宿舎「 宮本の湯 」の近くだと
後から知り、地団駄を踏みました。
現在の小鹿野町の地名も、日本武尊が
「 小鹿の野原 」と言った事から地名にな
ったと伝えられています。
以下、小鹿神社の境内に在った説明版の文章
を転記しますが、1枚目の写真の所で触れた
日本武尊云々の伝説には一切表記が無いのが
些かショックでは有りました。
2枚目の写真は、小鹿神社の拝殿に至る石
段の前に建てられている古鳥居です。
地味なので、普通の参拝客の方は見落として
通過してしまう様ですが、古鳥居に隠されて
いるであろう秘密については伊勢谷武・著の
「 アマテラスの暗号 」をお読み下さい。
「 小鹿神社 御由緒
小鹿野町小鹿野 1432
当社の創建については、古代から「 おか
の郷 」に座す神として祀られていたが、
後世に小鹿神社となった説、武蔵七党の
丹党に属す小鹿野氏が祀る社であった説、
天慶の乱に武功を立てた藤原秀郷が当地に
来た時に氏神である春日の大神を祀ったと
いう説の三説があり、いずれの説も神社と
地域文化のかかわりを考える上で興味深
い。
鎮座地については、口碑によると、初めは
赤平川の左岸で、春日町の東寄りに当たる
「 明神 」の地に祀られていたが、後に
少し離れた字諏訪に移されたと云われてい
る。この地には古くから諏訪神社( 下社
)が鎮座していたが、「 新編武蔵風土記
稿 には既に字諏訪に鎮座していた諏訪神
社の社名は無く、これに代わり「 小鹿明
神 」とのみ記されていることから諏訪神
社はこの遷座に伴い当社に合祀されたもの
と思わせる。
明治05年( 1872年 )に村社とな
り、同16年( 1883年 )には西秩父
18ヵ村の郷社に昇格した。しかし明治43
年( 1910年 )の豪雨により社地は陥
没し、やむなく字諏訪脇に鎮座する諏訪神
社( 上社 )の境内に遷座した。この
時、この諏訪神社及び境内社三社を合祀し
次いで明治45年( 1912年 )には字美
屋の新井神社をはじめ5社を合祀した。
現在の小鹿神社本殿は、合祀された諏訪
神社( 上社 )の社殿で、棟札には安永
04年( 1775年 )の建造と記されてい
る。 尚、内陣には住吉、諏訪信仰とかか
わりを持っていたと考えられる石棒が収め
られている。」
この石棒と言うのが、如何なる物か、詳細
や写真がネット上で探せなかったので、よく
分からないのですが、縄文時代において、土
偶と共に祭祀遺物の代表と言われる、あの
石棒でしょうか?? この石棒の存在を意外
と皆さん知らないのですよね。何故かと言う
と、小学校の教科書にも中学校の教科書にも
土偶の写真はよく見かけます。が、石棒の写
真は見た事有りません。何故かしら? 祭祀
遺物の代表なのに。恐らく、石棒の形状が何
やら卑猥に見えてしまうからかしら? でも
二へドンも実物を何処かの博物館で見たと言
う経験が有りません。 青森県の三内丸山遺
跡でも、佐賀県の吉野ケ里遺跡でも、展示室
で見た覚えが無いのです。出土はしているの
に。二へドンの今後の旅のテーマは、「 石
棒を求めて 」にします。 神奈川県愛川町
の半縄遺跡、国立市の緑川東遺跡、大宮諏訪
神社( 月夜平遺跡 )等では、完全な姿の
石棒が出土しています。 岐阜県飛騨市の塩
屋金清神社( しおやきんせいじんじゃ )
遺跡は、南山大学の確認調査により、石棒製
作跡の可能性が高くなっています。 民間信
仰のミシャグジ信仰とも関連が有るのか、興
味は尽きません。 では、まとめて写真の説
明をしておきましょう。
3枚目 小鹿神社の拝殿。
4枚目 小鹿神社の拝殿の天井画。
なかなか都会的なセンスの良い図
柄です。
5枚目 小鹿神社の手水舎。 写真では見難
いのですが、普通、手水舎の龍って、縁に作
られていませんか? これは、龍が水の中に
どっぷりと浸かっている状態なんです。
これは珍しいと思い、カメラに収めて来まし
た。 まるで、龍が水浴びを楽しんでいる様
で可愛らしく感じました。
小鹿神社の基本事項をまとめておきます。
旧社格 : 郷社
総本社 : 春日大社(奈良県奈良市)
ご祭神 : 春日神(かすがのかみ)
− 武甕槌神(たけみかづち)
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、
軍神、武道・競技の必勝、事業の創
始、旅行安全の神。
− 経津主神(ふつぬし)
[別名]斎主神/伊波比主神(いわいぬし
刀剣の威力を神格化した神、海上守
護・国家鎮護の神
− 天児屋根命(あめのこやね)
祝詞の神、出世の神。
※中臣連の祖(中臣鎌足を祖とする
藤原氏の氏神)
− 比売大神(ひめのおおかみ)
主祭神の妻や娘、宗像三神の説も有。
ご利益 : オートバイの安全祈願、厄除、
交通安全、合格祈願、安産祈願、
商売繁盛、出世開運、良縁祈願、
恋愛成就 他
良縁祈願や恋愛成就の御利益を謳っている
所為でしょうか。 6枚目の写真の様に、御
神籤をくくりつける台は、キューピッドの弓
矢の様にハートに矢が刺さっている形です。
なかなか、遊び心の有る神社さんです。
元々、小鹿野町はオートバイのツーリングを
町興しにPRして来た歴史が有ります。なの
で一般の観光客よりも、ツーリングで来た
ついでに小鹿神社にお参りをするライダー達
が多かったのです。そんなライダー達の為に
「 転倒防止守り 」が受けられます。 二
へドンはバイクには乗りませんが、甥っ子が
バイクで通勤しているので、甥っ子の為に
転倒防止守りを 1つ頂きました。
7枚目の写真は小鹿神社の
階段の下に設置されてい
る看板です。 OGANO
とローマ字で表記された
町名をバイクのイラスト
に取り込んだ、なかなか
秀逸なデザインだと思い
ます。 看板の右側に転
倒防止守りのイラストが
描かれています。転倒に
掛けて、てんとう虫のイ
ラストなんです。
8枚目の写真は、小鹿神社の社殿のあちこ
ちに立て掛けられていた木の棒です。全く同
じデザインの木の棒が、複数本置かれている
ので、恐らく奉納されたものだと思います。
持ち手(?)の部分に×の形に切込みが入れ
られているのが印象的です。二へドンは他の
神社で、こう言った物を見た事が有りませ
ん。 これは一体何なのでしょうか?
諏訪信仰と何か関係が有るのでしょうか?
小鹿神社が諏訪神社と合祀された流れから考
えると、諏訪信仰っぽい気がします。 それ
とも、ミシャグジ信仰なのでしょうか? ミ
シャグジは長野県諏訪地域が、その震源とさ
れ、諏訪信仰に関わっていると考えられま
す。 古木の根元に石棒や木棒を祀るのが典
型的なミシャグジの有り方です。 ミシャグ
ジは木に降りて、石に宿る神霊と信じられて
いた様です。
小鹿野町の町名の由来が、日本武尊を案内し
た鹿だった為か、はたまた、諏訪大社と鹿が
深い関係に有った為か、小鹿神社から続く道
を奥に辿って行くと鹿公園が有ります。
50円で鹿に餌やりが出来るそうです。 奈
良公園の鹿せんべいが200円ですから、これ
は安いです
9枚目の写真は、境内に在る「 豊森稲荷
」のお社です。 小鹿神社拝殿の左手の小さ
な鳥居3基の有る階段を登ると、写真のお社
が有ります。 お稲荷さんの右手を少し登る
と「 神宮山陵遥拝所 」の石碑が有りま
す。 神宮山陵って何処かしら? 山陵と言
うのは御陵。つまり、皇室の方々の墳墓の総
称です。畝傍山( うねびやま )の麓、橿
原神宮に北接する神武天皇陵の事ですか?
もう神社1つ参拝しても、分からない事だら
けで嫌になっちゃいますね。
遥拝所の石碑から更に奥に「 合同社 」
が有ります。 6社が並んでいて、左から水
速女神社、天満天神社、古峰神社、三峯神社
、八幡神社、大山祇神社です。
ご朱印は、コンクリート造りの立派な社
務所で頂けます。 コロナの時代は、ご朱印
は書置きのみと言う神社さんが多くなりまし
たが、ここは御朱印帳に直書きしてくれまし
た。 参拝形式は通常の「 二拝二拍一拝
」 です。
【 小鹿神社 DATA 】
神社名 : 小鹿神社
所在地 : 〒368 - 0105
埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野1432
電話番号 : 0494 - 75 - 2437
最寄り駅 : 秩父鉄道秩父本線「秩父」駅より西武バスにて
「 小鹿野( おがの )」か「 原町( はらまち )」にて下車。
徒歩10分。
二へドンが実際に歩いてみた所
11:15 小鹿神社の赤い大きい一の鳥居を潜る。
11:20 小鹿神社の階段下に到着。 日の丸が掲揚されていて清々しい気分でした。
古鳥居は原生林から持って来ましたと言う感じの古色蒼然とした木の柱でした。
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