2010年08月05日

「 闇の列車、光の旅 」

邦題 : 闇の列車、光の旅
原題 : SIN NOMBRE
監督 : キャリー・ジョージ・フクナガ

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

最近、こういうテーマの映画をよく見ちゃうなー。
「 国境超え 」。
しかも違法な奴。
・ フローズン・リバー
・ クロッシング
でも、「 闇の列車、光の旅 」は、
他の国境超えの映画とは、格段の違いが有ります。
それは、少女サイラの芯の強さが際立っている事です。
サイラは、ちょっと可愛い普通の女の子です。
男子顔負けの腕力が有る訳でも無く、
家族に有力者がいる訳でも有りません。
実母を失い、財産も無く、再婚した父親と叔父と3人で、ホンジュラスからメキシコを抜け、アメリカに密入国する計画を実行します。
移動は貨物列車の屋根の上。
国境警備隊から逃れながら、北上を続けるサイラ。
驚くべき事に、サイラは映画の中で一言も愚痴をこぼしません。
誰かのせいだなんて責任追求もしません。
ただ彼女は、幸福を求めて進んで行きます。
父親を失っても、目の前で恋人を殺されても、それでも黙って、じっと前に進んで行くのです。
人間って、此処まで強くなれるんだ!?
恐らく、ニヘドンが今まで見た映画の中で、サイラが最強に強い人間だと思います。
政府も無い。財産も無い。家庭も無い。
武器など何も無い。
ただ前に進む心だけを持っている。
そんな少女は、文句を言わないし、諦めもしない。
「 諦めない強さ 」に思いっ切り心を揺さぶられました。

日本だったら、「 諦めない 」事は醜悪と見なす人が多いじゃないですか?
「 往生際が悪い 」
「 諦めが悪い 」
「 諦めが肝心 」
……………。

でも、宇宙の暦の中では、人間の人生なんて本の一瞬。
その一瞬を諦めてしまったら、何の為の人生なんだか……。


「 ロード・ムービー 」… ニヘドンの大っ嫌いな言葉です。
この言葉は、自分では1歩も歩かずに、「 旅っていいよね。」と嘘吹く人が使いがちな言葉じゃないですか?
この映画は単なるロード・ムービーでは有りません。
世界最強の少女サイラが、スタート地点に立つまでを描いた映画です。
映画が終わる所で、サイラがスタート地点に立つのです。


「 ラテン 」だと、やや侮蔑を含んだ言われ様をされようとも、やっぱり諦めちゃ駄目駄目!
信じるんだよ!!
例えそれが信じる根拠の無い、ラテン的な信心であっても、生きている限り、何かを信じて行かなくちゃ!!
日系人監督キャリー・フクナガの主張が、実に見事に現れています。

「 フローズン・リバー 」は秀逸な映画ではありましたが、やはり視点の中に、「 誰かが悪い 」と言い訳をする部分が含まれてしまっています。
「 夫がギャンブルですって逃げてしまったから。」
「 働き口が無いから。」
「 子供を養わなければならないんだから。」
確かに、世間一般の人々は、そう言う思考回路を当然と見做しますよね。
じゃ、誰かのせいだ!と悪態をつかないサイラは、何なんでしょうか?
ニヘドンはサイラの生き様こそ、1番価値が有ると思いますよ。

「 クロッシング 」は( そう言えば横浜・伊勢佐木町に出来たミニ・ライブが出来る小ちゃなスペースは、cross street と言う名前だったなあ…。) 北朝鮮が舞台だったので、当然、独裁者が悪いと言う視点が過分に盛り込まれています。

誰かが悪いと悪態をつくのは、誰かが自分に良い様にしてくれると言う前提が有るから、そう思うんでしょう?
最初から自分の人生のカジトリは自分の仕事と言う前提で生きていたら、他者に対する悪態は出ないと思うんですよねえ…。
さあ、貴方も、人の悪口言ってる暇が有ったら、「 闇の列車、光の旅 」の映画でも見ませんか?
いつも邦題の付け方に不満の有るニヘドンですが、この「 闇の列車、光の旅 」は、言い得て妙の素敵なタイトルです。

願わくば、製作陣に名前を連ねているガエル・ガルシア・ベルナルが、チラッとでも映画にカメオ出演してくれていたらもっと満足度が高かっただろうなあ…。




Posted by ニヘドン at 18:23│Comments(0)
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