2020年08月12日

キプロス紀行 ~ コロッシ城で村上春樹の「 騎士団長殺し 」を読んだら?

コロッシ城の階段。2019年12月07日(土)
今回の記事のタイトルは、「 コ
ロッシ城で村上春樹の『 騎士団
長殺し 』を読んだら? 」です
が、実際に二へドンが読んだ訳で
はありません。 ツアーで行く
と、1か所の滞在時間は極く短いで
すから、このコロッシ城の滞在時
間も僅か35分でした。 08:50 に
到着して、出発したのは 09:25
でしたからね。 もし、1日このお
城に居られたら、騎士団の宿舎の
部屋の窓側の窪みに腰掛けて、日
長1日、読書をしたい所です。 二
へドンは、現地で、その土地に関
連した小説を読むのが好きなので
す。 小説とキプロスは全く何の
関連も有りませんが、コロッシ城
と騎士団が切っても切れない関連
が有るので、「 騎士団 」繋が
りですかね。 コロッシ城が石造
りの建物なので、お城自体が小説
の石室だと想像すると、もうワク
ワクですよ。 「 何処に鈴が有
るんだろう? 」 と探したりし
て。 狭くて急な螺旋階段を登る
と、其処には宿舎が有ります。 
( 写真 2枚目 ) エルサレム
騎士団長が居た所です。 16世紀

コロッシ城の宿舎。に撤退する迄、此処で騎士団員達
が生活をしていた様子を想像する
と、実に楽しいです。 写真には
写っていませんが、大きな暖炉も
有ります。 中の階段を下りる
と、其処は倉庫だった所です。
CYPRUS for travellersと言うサイ
トが有ります。 英語とロシア語
でしか表記が有りません。 リマ
ソ―ルは実にロシア人が多い街
で、観光客も留学生もロシア人だ
らけです。 カフェのメニュー
も、英語、ギリシャ語、ロシア語
です。 このサイトに出ていた
「 コロッシ城 」の説明書きを
二へドンが訳してみたので、載せ
ておきますね。 
「 キプロス第2の街リマソ―ル
( Limassol )の西側に位置する
コロッシ城( Colossi Castle )
は 1210年ホスピタル騎士団( 
Knights Hospitaller )の命令によ
って建てられました。 フランス
時代の最も重要な遺跡と言われて
います。 この城の主塔の高さは
22 m。 見学者は庭の散策を楽し
めますし、城内に入り展望デッキ
から周囲の景色を見渡す事が出来
ます。


コロッシ城の屋上。コロッシ城と、隣接する古い( 
14世紀 )の砂糖工場跡は有名な
コマンダリアワインが生まれた場
所だと考えられています。 」

案内に書かれている通りに、階段
を上がって、展望デッキ( 特別
な設備は何も有りません。 屋上
と言う程度。)から周囲の景色を
楽しみます。 写真には写ってい
ませんが、ハンググライダーが飛
んでいました。 螺旋階段は急
で、「 更に登る 」と言った感
じです。 前述の「 CYPRUS for
travellers 」 に依ると、主塔の
高さは 22 m と表記されてい
ましたが、うちのツアーのガイド
さんは 72 m と言っていまし
た。 二へドンの聞き間違いか
な? 空耳アワー? 
  何はともあれ、青い空の下、
360°の景色を見晴るかすのは気持
ちが良いです。 屋上から遠くの
景色を望むと、下から小鳥の囀り
が立ち上って来るのです。 東京
都内では、こういう体験はなかな
か出来ません。 長閑です。
うららかな陽光と平和な雰囲気を
存分に心に吸収しました。

*****「 キプロス紀行 ~ コロッシ城で村上春樹の「 騎士団長殺し 」を読んだら?」 ・ 完 *****


  


Posted by ニヘドン at 18:05Comments(0)旅行

2020年08月12日

キプロス紀行 ~ コロッシ城は騎士団の夢の跡。

コロッシ城から見た景色2019年12月07日
(土)  1枚目の写真は
コロッシ城の城壁から見
た景色です。 コロッシ
城( Kolossi Castle )
はレメソス( リマソー
ル )からパフォスに向
かって西に14 km の場
所に位置しています。
中世の時代の軍事施設の
好例です。

コロッシ城の城壁。コロッシ城は、当初13世紀に建設
され、その後15世紀半ばに現在の
姿に再建されました。 エルサレ
ムの聖ヨハネ騎士団の司令部、後
年はテンプル騎士団の司令部が置
かれました。 聖ヨハネ騎士団の
歴史は、1023年頃、アマルフィの
商人がエルサレムの洗礼者ヨハネ
修道院の跡に病院を兼ねた巡礼者
宿泊所を設立した事に始まりま
す。 第1回十字軍の後、1113年
に教皇パスカリス2世から騎士修道
会として正式な承認を受けまし
た。 当時、この騎士団に入るこ
とは大変な栄誉とされていて、そ
の代償として騎士団在籍中は如何
なる理由があっても結婚が禁止さ
れました。 騎士修道会は十字軍国
家の防衛の主力となり、1187年に
エルサレムが陥落した後も、トリ
ポリやアッコンを死守していまし
た。1291年、ついに最後のキリス
ト教徒の砦アッコンが陥落した後
は、キプロスに逃れて来ます。 
その時に司令部が置かれたのが、
このコロッシ城と言う訳ですね。
この後は海軍(実態は海賊)とな
ってイスラーム勢力と戦います
が、キプロス王が騎士団の存在を

コロッシ城の紋章恐れたこともあり、1309年に東ロ
ーマ帝国領であったロドス島を奪
いここに本拠地を移しました。こ
れ以降、ロドス騎士団と呼ばれる
ようになります。
  3枚目の写真は、コロッシ城内
の壁に彫られた紋章です。 こう
言った百合の花を象った紋章を一
般に「 フルール・ド・リス 」
と言います。 本当は百合の花で
は無く、他の植物だったと言う学
者も大勢いますが、まあ、それは
さておき、百合の様に様式化され
た花は、全ての時代と文明に共通
して見られます。 メソポタミ
ア、エジプト、ミケーネ、ササン
朝ペルシア等。 1番有名なのは、
フランス王を象徴していると言う
事でしょうか。 1300年頃迄は、
百合はイエス・キリストを象徴し
ていた様です。 それが次第に聖
母マリアのシンボルへと変化して
行きました。 紋章の3枚の花弁
は、三位一体を現わしていると言
われます。 十字軍の時代でした
ら、「 信頼 」「 知恵 」
「 騎士道精神 」の3つを現わす
様です。 そう言えば、日本の青
山学院とか明治学院の校章も、こんな感じでしたよね?

*****「 キプロス紀行 ~ コロッシ城は騎士団の夢の跡。 」 ・ 完 *****  


Posted by ニヘドン at 00:20Comments(0)旅行