2008年10月15日

仙台短編映画祭2008・後編

後2編、フィリベールの映画のニヘドンの感想を述べる前に、映画祭パンフレットに書かれていた紹介文を転記しておく。
「 ニコラ・フィリベール特集 〜 その優しい眼差しの向こう側 〜 」

『 音のない世界 』 等で知られるフランスのドキュメンタリー作家ニコラ・フィリベールの短編集。
昨今ありがちな告発でも糾弾でもなく、主張は込めつつも押し付けはないフィリベールの手法は、ドキュメンタリーが忘れてはならない「 初心 」ではないだろうか?
今回紹介するのは、世界的なフランスの登山家クリストフ・プロフィにスポットをあてた4作品。
「 対象 」にそっと寄り添うフィリベールの優しい視線が、ドキュメンタリーの在り方を私達に教えてくれます。

他の上映作品等の詳細は、仙台短編映画祭HPで確認を。

http://www.shortpiece.com/

******************

それでは3番目の作品から、ニヘドンの感想を書いていく事にしよう。
「 たった1人のトリロジー 〜 クリストフ・プロフィのアルプス三大北壁単独登はん 」は、2本目の上映で、散々ニヘドンをもじもじさせただけでは飽き足らず、( ニヘドンは怖くて落ち着いて座っていられなかったのだ。)連続続でアルプス三大北壁に1人で登るのだ。
しかも季節は冬!!
1本目、2本目の映画でもそうであった様に、プロフィは素手で登る。
画面には、プロフィの凍えて自由の効かなくなった両手の様子が冷酷に映し出される。
流石に今回はザイル等、登山用具を使うが、山を登って下りて、又、登って下りて、またもや登って下りるんですよ!
彼は映画の中のインタビューに答えて、この登山の3年前から実行を考えていた事。
山で遭難した登山仲間の為に上る事を表明している。
驚いた事に (!) プロフィの奥さんのシルヴィエンヌも度々画面に登場して来る。
プロフィの様に危険な事をする男は、結婚はしないものとニヘドンは勝手に思い込んでいたので、もうビックリ。
登山は保険会社だって普通の保険金の支払いをしてくれないのに。
結婚しちゃったんですね。
保険会社より勇気ある女性ですよ、全く。
シルヴィエンヌとプロフィの馴れ初めから結婚までの道を取り上げても、1本映画が撮れるんじゃない?

ニヘドンが嫌と言う程ハラハラした「 クリストフ 」の上映時間が28分。
この 「 トリロジー 」は53分。
はあー。心臓に悪かったよ。
いつ、プロフィの岩肌に叩きつけられた身体の映像を見る羽目になるのだろうと、余計な想像ばかりしちゃって、もう大変だった。
そこへ持って来て、プロフィが持って行った電池も予備の電池も両方切れてしまう。
冬の夜の北壁に、真っ暗闇で1人取り残されたプロフィ。
シルヴィエンヌと撮影クルー達は、麓のホテルで眠れぬ夜を過ごす。
「 どうして電池が切れたのかしら? 」
シルヴィエンヌの言葉に、どうしようも無い焦りが滲み出ている。
「 足を下ろした雪の下が裂け目だったらどうしよう? 」
言ってはならない不吉な言葉を、でも言わずにはいられない不安に追い立てられる心。
撮影クルー達は窓に面した廊下に無言で座り込む。
明日早朝のヘリコプターによる撮影に備えて眠っておけば良いのに、誰もお休みなさいを言わない。
1つの灯りだけが、プロフィの存在を示す証拠だったのに……。
真っ暗闇の山肌がこんなに怖いものだったとは!

この映画の凄い所は、ホラー映画張りの恐怖感を見る者に植え付けるのに、
また一方で、主人公プロフィに対して、とても優しい気持ちにさせてくれる奇妙な映画だという事。
恐怖感を与える映画に対して、こちらは優しさで応えてしまうのだ。
何故かと言うと、撮影クルー達が、プロフィに対して母親の様な温かい見守りの姿勢で臨んでいるから。
誰もプロフィに対して、「 あんな危険な事ばかりして、馬鹿な男だ。」 とか
「 人生もっと堅実に、貯金をするのが賢いやり方だ。 」と言うような
見下した態度を取っていない。
映画の画面に時折、撮影クルー達の姿が写り込むが、そのクルー達のプロフィへの見守り方は、
是非、日本の子育て中のお母さん達に見てもらいたい。
「 見守る 」と言う言葉は簡単だが、実際出来る事ではない。
何故、見守る事が出来るのか?
相手を認めているから。
自分は出来ない事かもしれない。 でも、彼だったら出来る。
だから、認める。
100%認めた相手の事は、100%見守る事が出来る。
相手を自分の所有物だと思っていたら、相手を100%他人だと思えないから、
自分の意のままに相手が動かない事に腹を立てて、
客観的な「 見守り 」は出来ない。
日本の親達の中で、一体どれだけの人々が、正しく子供を見守っているのか?
「 山登り 」 の映画を見ながら、「 子育て論 」にまで想いが飛んでしまう。
これが、ニコラ・フィリベールの映画の面白さ。
短編で、撮影の対象もたった1人に絞って、淡々と描く。
それでシンプルな映画だと言えるかというと、そうではない。
むしろ見ている人間の想念は、果てしなく広がっていく。
そして、恐らく、私たちのどこまでも無責任に広がっていく想念が宇宙空間に溶け出しても、
二コラ・フィリベールはそれを否定したりせずに、「 見守って 」 くれるに違いない。
二コラ・フィリベール。 1度彼の映画を見たら、クセになる。

最後の上映作品が「 バケのカムバック 」。
二へドンはこの日の上映作品の4本の中で、この作品が1番気に入った。
この映画にもやっぱりクリストフ・プロフィが出て来る。
この記事のトップの写真を見て欲しい。
チラシを写メしたものなので、見難いが、「 バケのカムバック 」の1シーンである。
登山家プロフィが出て来る映画で、何故チェロの演奏風景が!?

バケというのは、チェリスト( チェロ奏者 )でもあり、役者をしている初老の男の名前である。
写真の左側の男がバケ。 右側の男はプロフィである。
バケは学生時代は山登りをしていた。
しかし音楽や役者の仕事をするようになってから、山登りとは無縁の生活になってしまった。
老いを否定出来なくなった今、バケはプロフィの案内で、再び山登りを決行する。
バケは、山登りにカムバックするのである。

しかし、老齢である事と、長らく山登りから遠ざかっていた事から、バケの足元は覚束ない。
プロフィは、手取り足取りのベタベタした手伝い方はしない。
二へドンだったら、余計な言動をしてしまうと思う。
でも、プロフィの姿を見て、プロフィの姿勢こそ正しいのだと思った。
山登りには危険がつきまとう。
自分で登るんだと言う強固な意志が無かったら、とてもじゃないけれど、登れない。
年を取っていようと、ブランクがあろうと、登るのであれば、自分で登る。
その新年を貫くプロフィの姿が格好いい。
プロフィは決してイケメンではないが、厳しさを自分にも他人にも課している男らしさは
見ていて惚れ惚れする。
勿論、要所要所で、プロフィはアドヴァイスを出し、手伝いもする。

途中で何度もバケはギブアップするだろうと思った。
でも、結局バケは、プロフィと共に山の頂きに登った。

山を下りた後、2人は麓の草原に椅子を出して、2人で向き合って座り
チェロを弾く。 
山登りのヒントをくれたプロフィに、お礼にチェロの弾き方を伝授と言う訳だろうか。
このシーンが、いい。
「 友情 」 とか 「 信頼 」 とか、臭い言葉にはこの際、蓋をしておこう。
黙って、チェロの音を通い合わせる2人の男の姿がいい。 めちゃ、いい。
映画の中でチェロを弾く男の姿って、雰囲気が映画にピッタリと嵌まる。
女じゃ駄目。 
「 おくり人 」のもっくんが、河原でチェロ( しかも子供用の小さいサイズ! )を弾く姿も
ぐぐっと来たが、映画の中でチェロを弾く男たちには、上手も下手も無い。
すごくいい。
音楽が好きな人に、是非このバケとプロフィが向き合ってチェロを弾くシーンを見て
もらいたい。
「 音楽って何? 」 という疑問を持ったら、こんな映画の1シーンを見てもらいたい。

フランスの登山家のショート・フィルムを見に来たはずなのに、
まさか、こんな素敵な音楽の風景を発見するとは思わなかった。
二へドンの名作リストに入れておく。


***** 「 仙台短編映画祭2008・後編 」 ・ 完 *********



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Posted by ニヘドン at 23:22│Comments(0)映画
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