2007年06月05日
羽田健太郎さん、早過ぎますって!!
2007年6月4日(月)
眠い。3日の東京文化会館の石田泰尚様リサイタルの記事を書いた翌朝なので、超眠い。
二度寝の誘惑が万年床から 「カモン、カモン!」 と 手招きをしているが、二へドンは 仕事の書類を大幅に締め切りを遅らせてしまったので、今日横浜南幸の事務所まで持ち込まなければならなかった。とっとと用事を済ませ、昼過ぎに帰宅。ふと携帯を見るとマーたんさんからメールが来ていた。
「 大変、羽田健太郎さんが亡くなったって! 」
ええ~!! ところが、月曜日は英語レッスンの仕事が一番多いのですよ。
15:30~21:30まで切れ目無しだから。
ずっと、羽田さんの情報をチェックしなければ、と気にはなるが、何しろ動きが取れない。
やっと得た乏しい情報。
「 ピアニストの羽田健太郎氏が、6月2日午後11:53 肝細胞癌の為、58歳の若さで永眠された。
葬儀は6月7日午前10:00 東京都港区元麻布1-6-21 麻布山善福寺で。」
呆然としてしまった。彼について考えたい事は山ほどある。
題名のない音楽会の番組中で、様々な大物アーティスト達と、それはそれは楽しそうにピアノを弾いたりトークをしたりの 各場面場面が頭を過ぎる。つい この間、番組内で、中村紘子さんと、
「 どちらかが命が無くなるまで 」 なんて話をしていたじゃないの・・・・。
あの時、本人は病気の事を知っていたのだろうか?
二へドンの母も癌で亡くなった。病気が判明した時に、「 余命2ヶ月です。」と医師に言われた。
享年64歳だった。日本人の平均寿命より20年も早い死に、まるで納得が行かなかった。
その母よりも、さらに6年早い死・・・・・・。 あんまりだよ。羽田さん。
「 つまんない。つまんない。」 と言いながら、結構 「 題名の無い音楽会 」 を見ていたんだよ。
羽田さんには責任は無いからね。才能のある人の早すぎる死は、堪える。 辛い。
これで又日本は、凡人の占める割合が多くなっちゃった?
演奏会のさ中に、チラシをガサガサ言わせる位の鈍い人間でなければ、長生きは出来ないって事?
それに、羽田さんは、二へドンの愛する石田~リンと関係の大きかった人なので、それを考えただけでズズ~んと沈む。「 題名の無い音楽会 」 で共演というのもあるし、その他演奏会で共演もあるし、何と言っても 「 トリオ・アパッショナート 」 で組んでいたというのが大きい。
「 アパッショナート 」 は、最近の 「 Bee 」 の公演回数に比べると、ほとんど公演してなくて、
2006年12月6日(水)に名古屋の白河ホールでアパッショナートの演奏会があると聞き、追っかけて
行きましたわ。 この演奏会の件は、二へドン未だ何処にも書いてないので、当日のプログラムが
出て来たら、記事にしたいと思います。
石田様は、アパッショナートだと、普段のコンマスのお仕事やら、ソロの重圧から逃れられるみたいで、思い切り羽田氏のピアノの上でリラックスして弾いているのが印象的でした。
あの時、羽田さんが、1曲弾くごとに大汗かいて、しきりにハンカチで顔を拭っていたのも印象的でした。あの時、「 ただの汗っかきとは違うみたい。まさか病気なんじゃないの?」 なんて思ったのですが、遠からず当たらずでしょうか? でも、病魔の手は既に当時伸び始めていたのでしょうね。
まさか、あれが、二へドンが聴けたトリオ・アパッショナートの最後のステージになるなんて・・・。
チケットを取る為に、中京テレビに電話して、馬鹿な女の「 ちょっとお待ち下さい 」 攻撃の連打に
遭い、「 もう要らない 」 と言う台詞が喉まで出掛かったが、我慢して良かった。
今から思えば、二へドンにアパッショナートの生を聴く機会を与えてくれたのだから、感謝すべきなのよね。
二へドンは、自分の母の事もあるので、老後の事は考えないです。いっぱい老後の事を考えて
準備して、その準備をあの世まで持って行かれなかった人々をいっぱい知っているから。
「 あ!」 と興味を持った時は、行動に移した方がいいと、もう信念として持っています。
「 又後で 」 なんて時は、一生やって来ない。 二へドンは、自分の楽しみはいつも後回しにして
死んで行った母を思うにつけ、自分はまず、自分をハッピーにする事が先だと思うのです。
だから、万難を排して、石田様を追いかけるのであります!!
それにしても、羽田さん。 酷いよ。早すぎるよ。あんまりじゃないか!!
二へドンから、トリオ・アパッショナートを取り上げてしまったなあ!!
今度から石田様は何処でリラックスしたらいいの・・・・・?
羽田さん、言いたい事はまだまだ山ほどあるけれども、取り敢えず ご冥福をお祈り致します。
眠い。3日の東京文化会館の石田泰尚様リサイタルの記事を書いた翌朝なので、超眠い。
二度寝の誘惑が万年床から 「カモン、カモン!」 と 手招きをしているが、二へドンは 仕事の書類を大幅に締め切りを遅らせてしまったので、今日横浜南幸の事務所まで持ち込まなければならなかった。とっとと用事を済ませ、昼過ぎに帰宅。ふと携帯を見るとマーたんさんからメールが来ていた。
「 大変、羽田健太郎さんが亡くなったって! 」
ええ~!! ところが、月曜日は英語レッスンの仕事が一番多いのですよ。
15:30~21:30まで切れ目無しだから。
ずっと、羽田さんの情報をチェックしなければ、と気にはなるが、何しろ動きが取れない。
やっと得た乏しい情報。
「 ピアニストの羽田健太郎氏が、6月2日午後11:53 肝細胞癌の為、58歳の若さで永眠された。
葬儀は6月7日午前10:00 東京都港区元麻布1-6-21 麻布山善福寺で。」
呆然としてしまった。彼について考えたい事は山ほどある。
題名のない音楽会の番組中で、様々な大物アーティスト達と、それはそれは楽しそうにピアノを弾いたりトークをしたりの 各場面場面が頭を過ぎる。つい この間、番組内で、中村紘子さんと、
「 どちらかが命が無くなるまで 」 なんて話をしていたじゃないの・・・・。
あの時、本人は病気の事を知っていたのだろうか?
二へドンの母も癌で亡くなった。病気が判明した時に、「 余命2ヶ月です。」と医師に言われた。
享年64歳だった。日本人の平均寿命より20年も早い死に、まるで納得が行かなかった。
その母よりも、さらに6年早い死・・・・・・。 あんまりだよ。羽田さん。
「 つまんない。つまんない。」 と言いながら、結構 「 題名の無い音楽会 」 を見ていたんだよ。
羽田さんには責任は無いからね。才能のある人の早すぎる死は、堪える。 辛い。
これで又日本は、凡人の占める割合が多くなっちゃった?
演奏会のさ中に、チラシをガサガサ言わせる位の鈍い人間でなければ、長生きは出来ないって事?
それに、羽田さんは、二へドンの愛する石田~リンと関係の大きかった人なので、それを考えただけでズズ~んと沈む。「 題名の無い音楽会 」 で共演というのもあるし、その他演奏会で共演もあるし、何と言っても 「 トリオ・アパッショナート 」 で組んでいたというのが大きい。
「 アパッショナート 」 は、最近の 「 Bee 」 の公演回数に比べると、ほとんど公演してなくて、
2006年12月6日(水)に名古屋の白河ホールでアパッショナートの演奏会があると聞き、追っかけて
行きましたわ。 この演奏会の件は、二へドン未だ何処にも書いてないので、当日のプログラムが
出て来たら、記事にしたいと思います。
石田様は、アパッショナートだと、普段のコンマスのお仕事やら、ソロの重圧から逃れられるみたいで、思い切り羽田氏のピアノの上でリラックスして弾いているのが印象的でした。
あの時、羽田さんが、1曲弾くごとに大汗かいて、しきりにハンカチで顔を拭っていたのも印象的でした。あの時、「 ただの汗っかきとは違うみたい。まさか病気なんじゃないの?」 なんて思ったのですが、遠からず当たらずでしょうか? でも、病魔の手は既に当時伸び始めていたのでしょうね。
まさか、あれが、二へドンが聴けたトリオ・アパッショナートの最後のステージになるなんて・・・。
チケットを取る為に、中京テレビに電話して、馬鹿な女の「 ちょっとお待ち下さい 」 攻撃の連打に
遭い、「 もう要らない 」 と言う台詞が喉まで出掛かったが、我慢して良かった。
今から思えば、二へドンにアパッショナートの生を聴く機会を与えてくれたのだから、感謝すべきなのよね。
二へドンは、自分の母の事もあるので、老後の事は考えないです。いっぱい老後の事を考えて
準備して、その準備をあの世まで持って行かれなかった人々をいっぱい知っているから。
「 あ!」 と興味を持った時は、行動に移した方がいいと、もう信念として持っています。
「 又後で 」 なんて時は、一生やって来ない。 二へドンは、自分の楽しみはいつも後回しにして
死んで行った母を思うにつけ、自分はまず、自分をハッピーにする事が先だと思うのです。
だから、万難を排して、石田様を追いかけるのであります!!
それにしても、羽田さん。 酷いよ。早すぎるよ。あんまりじゃないか!!
二へドンから、トリオ・アパッショナートを取り上げてしまったなあ!!
今度から石田様は何処でリラックスしたらいいの・・・・・?
羽田さん、言いたい事はまだまだ山ほどあるけれども、取り敢えず ご冥福をお祈り致します。
Posted by ニヘドン at
01:56
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