2009年06月23日

「 愛を読むひと 」 - 前半

鑑賞日 :2009年06月19日(金)
鑑賞館 : 109シネマズみなとみらい

監督 : スティーヴン・ダルドリー

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

良かったです。
基本的にニヘドンは、アカデミー賞受賞作が嫌い。
ケイト・ウィンスレットが嫌い。
… な人なんです。
そのニヘドンが、「 愛を読む人 」は、良い映画であると認めました。
見ようかどうしようか迷っている方々へアドバイス。
「 見た方がいいですよ。」
ニヘドンは、これ、原作は読んでいません。
で、勝手に思い込んでいたのは、
「 未成年者に手を出した女を、純愛に仕立て上げた馬鹿馬鹿しい物語 」。

違いました。
全然、違ってました!
ごめんなさい。
知らないとは言え、全く違う方向に考えていて御免なさい!!
まさか、これ程までに重いテーマを含んだストーリーだとは露知らず……。
ニヘドンはこの映画を見終わった今、この映画を恋愛映画とは位置付ける気は全く有りません。
( タイトルがいけないよねー。
タイトルに「 愛 」なんて付けるからいけないんだよ。)
ニヘドンはこの映画を反戦映画、若しくは法廷映画と位置付けます。

ニヘドンはこのストーリーを今後、何年もかけて反すうしていく事になると思います。
幾つか謎の部分も有るので原作も読んでみたいし。

1番の疑問は、明らかにティーン・エイジャーと分かっている相手と、大人の女が関係を持つかという事。
映画の描写だけではよく分からなかったので、原作を読んでみたいなあと思います。

ニヘドンは、年齢差の有る恋愛も認めます。
ただ、ものには順序と云うものがあって、年齢差がある分 余計に精神性が欲しいと思ってしまうのです。
まず何らかの接点が有って、心の交流が有って、それから…ですよ。絶対!

映画では、マイケルがハンナと出会って、ハンナのアパートに行くようになった2回目 ( 原作では何回目に設定されているのか未確認。)に、ハンナの方から誘った感じ。
ちょっとこの辺りのハンナの気持ちは理解不能です。
ニヘドンだったら手は出さないけどなあ…。

この映画の醍醐味は、被告人として裁判を受けるハンナのシーンを丁寧に描いている事。
日本でも裁判員制度が始まって、一般の人々が「 人間が人間を裁けるのか? 」と云う命題をちょっとは考える様になって来ました。
そんな風潮の中で この映画は非常に重い告発を投げつけて来ます。
「 真実かどうかなんて関係ねーよ。
本人が裁判で拷問も無しに自白したんだから、それで有罪で、いっちょ上がり!! 」
マイケルは大学で法律を学ぶ学生となり、ゼミの教授や仲間達とハンナの裁判をずっと傍聴します。
こういう設定は、昼ドラ大好きなニヘドン大満足の設定です。

丁度今、日本では、足利事件で冤罪で服役させられた菅谷利和さんの再審のニュースに世間の耳目が集まっています。
こういう時期に、「 愛を読むひと 」を見ると、やはり裁判に意味なんか無いんじゃないの?とやるせない思いに捕らわれてしまいます。

しかし、このハンナという女性は、ニヘドンと180°全く異なる選択をしながら生きた人です。
何もかも異なります。
1.ニヘドンだったら、未成年者には手は出さない。
  ハンナがそこまで孤独で愛に飢えていたのかどうか、映画では全く描かれていません。
2.ニヘドンだったらトラム( 市電 )の車掌から事務職に栄転になった時、車掌のまま続けさせてくれと言う。
  そもそもの間違いは、ここから始まっているよね。
3.裁判で有罪判決を受ける位なら、自分が文盲である事を告白するけどなあ・・・・。
4.ニヘドンだったら、最後自殺なんかしない。
  あそこまで待って、自殺なんかしない。 待つ前だったら分かるけど。

ハンナの自殺が全く解せません。
ハンナが文字が読めないままでいたなら、文盲のまま社会に出されて、また文盲の秘密が露呈されるのを恐れて・・・・という心理を想像する事が出来ます。
でも、文字が読めるようになって、短いながらも手紙が書けるようになって、マイケルが住む所や仕事を世話してくれて、だったら新しい環境で思いっきり本を読んだり、逆に自分が識字活動をする事だって出来るじゃないですか。
ハンナに取って、文字が読めるようになったというのは、彼女の人生の最大の出来事だったはずです。
その大切なものを、自分の死で終わらせてしまうハンナの気持ちが分からない。
ニヘドンは、憧れのヴァイオリンを習い始めて2年半。 もう今ではヴァイオリンを手放す事なんか考えられません。
ハンナに取って、「 読むこと 」は手放しちゃって良い事だったの?
ニヘドンだったら、「 読むこと 」にすがるけれどなあ・・・・・・・・。

ハンナとマイケルの気持ちのズレも大いに気になる所です。
1度はハンナに面会に刑務所を訪れたマイケルなのに、手前で逃げ出してしまう。
数年後、ハンナが文字を書けるようになってマイケルに何通も何通も手紙を出すのに、
マイケルは返事をしない。
「 返事を下さい。」 という手紙も無視。 なのに手紙を捨てずに大切に引き出しにしまっておく。

刑務所から呼び出しを受けて、マイケルがハンナの釈放後の身元引受人になるよう相談を受けた時、
映画ではマイケルは迷惑そうな素振りを見せてませんでしたか?
ニヘドンはてっきり、マイケルは身元引受人を断るのかと思ってしまいましたよ。

そのくせ、実際はマイケルは住居から仕事までハンナの為に準備万端整えてあげて、
ニヘドンは「 何 これ!? 」 と思ってしまいました。

そうして花束を抱えて刑務所に迎えに行ったら、もうハンナはあの世へ旅立っていたというお話。

こんなに気持ちがズレていて、これで「 愛 」って言葉を使っていいの?
マイケルはもう奥さんとは正式に離婚が成立していて、奥さんに気兼ね無く、ハンナの世話が出来たのに。
別に2人に夫婦になれとは言わないけれども、新しい生活のどこをハンナは気に入らなかったの?
しかもまだ試してもいないのに。

ハンナは若い頃から 「 当たって砕ける 」前に、敵前逃亡して生きて来た。
マイケルも同じ。
年の差が有るんだったら、年上の方がもうちょっと上手くリードしてあげれば良かったのに。
2人にコミュニケーションが無いんだよねえ。
欧米人はもっと徹底的に話し合う人々だと思っていたので、
ろくに話もしないで、ズレまくっている人間模様は胸が潰れました。

ハンナの出所が決まってから、マイケルが1度刑務所の食堂にハンナを訪ねて行きました。
ハンナが死を決意したのは、あの食堂での1幕がキーになっていると思われます。
あそこのシーンをもう1度見てみたいと思います。

「 これは、こうなって、ああなって、だからこうなんだよ! 」
という懇切丁寧な説明は映画の中では一切有りません。
だから見る人によって、解釈が違って来るだろうし、勿論正解は作品に触れた人個々がそれぞれ考えた事全てが正解なんだろうし、映画を見た後のディスカッションに花が咲く事は間違い無い映画です。

*******************************

鑑賞日 : 2009年06月19日(金)
映画館 : 109シネマズ横浜みなとみらい
字幕  :  戸田奈津子
予告編 : 「 南極料理人 」
       「 アマルフィ 」 サラ・ブライトマンが出ている新しいバージョン。
       「 それでも恋するバルセロナ 」
       「 Good Bad Weired 」 ( グッド バッド ウィアード ) これ見たい!!

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ドイツ ベルリン 1995年。
中年の痩せ型の男がゆで卵をエッグスタンドに乗せ、テーブルに置く。
白いカップに珈琲を入れる。
裸の女が出て来る。 男は彼女に「 娘と1年振りに会う 」と言う。
女は彼の話を聞くと、「 娘がいるなんて初耳だわ。 」と言って着替えて部屋を出て行く。
窓の外を電車が走る。

男は昔を回想する。 
西ドイツ ノイシュタット 1958年。
旧式の列車の中、若い男の子が乗っている。 何やら落ち着きの無い様子。
青年は悪寒に震えながら電車を降りる。
豪雨の中を傘も無く、歩き続けるが、通り端で吐いてしまう。
青年は、どこかのアパートの入り口に座り込んで、さらに吐く。
そこへ女がやって来て青年を見つけ、彼を介抱する。
雨が雪に変わり、女は青年と別れる。

青年の名はマイケル。 マイケルは自宅に戻る。
青年の父親であるピーターは、医者を呼ぶ。
医者はしょう紅熱という診断を下す。
マイケルの妹のエミリーは別の部屋に行かされる。
マイケルは切手コレクションのアルバムをベッドの中で見ている。
切手を大事そうにピンセットでつまむ。
( 二へドンも小学生の頃、切手コレクションをストックブックにしていたけれども、
  ピンセットを使う程の高価なコレクションは持っていなかったなあ。)

元気になったマイケルは、花束を持って、介抱してくれた女性のアパートを訪ねる。
マイケルが部屋の中へ「 Excuse me? 」 と声を掛けると、
「 Yes ? 」 と女性の声だけが返って来る。
返事が有ったものの、ドアを開けてくれる気配が無いので、マイケルは恐る恐るドアを開ける。
すると女性はアイロンかけをしていた。 女性の名はハンナ。

マイケル 「 3ヶ月も寝てました。退屈でした。 Well, thank you again. 」
ハンナ 「 待って。 私も仕事に外に出るから、外で待ってて。」
マイケルは外の共用廊下に出て待つが、ドアの隙間から、ハンナが片足をスツールに乗せて
パンストを穿く様子を見てしまう。
スクリーンにはハンナの太もものクローズアップ。
ハンナは、マイケルが覗いていたのに気づく。 マイケルは慌てて階段を駆け下りて逃げてしまう。

ハンナは路面電車の車掌をしている。
勤務中のハンナは、1人1人のお客の切符に鋏を入れて回る。
マイケルは客として、ハンナが乗務する電車に乗り合わせる。
マイケルは爪を噛みながら、じっと乗っている。

マイケルは再びハンナのアパートを訪ねる。
顔中炭だらけになったマイケル。
( このシーンは、途中で映画館に入って来た、くそ爺ィが二へドンの前に立ちはだかったので、
  どうして顔中炭で真っ黒になったのか分からない。 見えなかった。 くそ爺ィめ!! )
ハンナは、マイケルにお風呂に入るように言う。
マイケルは言われるまま、お風呂に入る。
マイケルが出る頃、「 I get your towel. 」 とハンナが大きなバスタオルを広げる。
ハンナは丸裸!!
( この展開が良く分からないですが・・・・・・。)
ハンナ 「 この為に戻ったのね? 」
マイケル 「 You are beautiful. 」
マイケルの背後から抱きつくハンナなのでありました。

自宅の食卓で食が進まないマイケル。
マイケルが家族に黙って外出し、帰りが遅くなった事で、マイケルと家族達の間が
ぎくしゃくしているのだった。
マイケル 「 明日から学校へ行くよ。」

放課後、ハンナのアパートへ行くマイケル。
マイケル 「 What’s your name ? 」
ハンナ 「 何故訊くの? ・・・・・・・・・・・・ ハンナよ。 」
( 名前を知らない相手と一線を越えちゃうんですか!? )

「 オデュッセイア 読者は行間を読み取って想像でイメージを膨らませなければならない。」
ホラティウスの一節を言ってみるマイケル。
マイケルはベッドから起き出してランプを点け、本を開き読み始める。
「 エミリア・ギャロッティ 」 を朗読するマイケル。

マイケルとハンナは一緒にバスタブに入っている。
ハンナ 「 上手だね。 reading が。 」

学校でハンドボールの試合に興じるマイケルの映像。

マイケルは、2両編成の市電( トラム )に乗り込む。 
トラムの行き先表示は「 回送 」 となっているので、お客は他には誰も乗っていない。
車掌として乗務しているハンナは1両目の運転席側にいるが、マイケルは2両目に座っている。
それに気付いたハンナは怒った様に運転室の扉を乱暴に閉めてしまう。

マイケルがハンナのアパートに行くと2人は喧嘩をしてしまう。
ハンナ 「 私を避けて2両目に乗ったくせに!」
( おいおい。 おいおい。 それは無いだろう。 15歳の坊や相手に!
  お姉さんの方が優しい包容力を見せてやらねば!! )
外ですすり泣くマイケル。

1人でバスタブに浸かっているハンナの所にマイケルが戻って来る。
マイケル 「 Do you love me? 」 
黙っているハンナ。 ( おいおい、お姉さん。 その仕打ちは無いだろう・・・・・。)

マイケルがホメロスのオデュッセイアを朗読する。
ハンナ 「 順番を変えましょう。 本を読んでからセックスしましょう。 」
マイケルが「 チャタレイ夫人の恋人 」を朗読する。
ハンナ 「 猥褻だわ。 」
( おいおい。 未成年者と事に及んでる姉さんの方が、ふしだらだと二へドンは思うぞ。)
マイケルはコミックも音読する。

マイケルは自分の切手のコレクションの1部を、切手商の店に売りに行く。
ハンナとの1泊のサイクリング旅行の費用を作る為だ。

サイクリング1泊旅行を決行するハンナとマイケル。
途中の田舎のオープン・カフェでハンナはメニューを渡されるが、変な顔をしてメニューを見つめるだけ。
結局マイケルが2人分をオーダーする。
食事の後、マイケルが支払いの為に立ち上がって店のおばさんの所に行く。
その時、おばさんが言うには、「 お母様もご満足かしら? 」
マイケルは曖昧に頷きながら、またサイクリングを続ける。

今度は田舎の小さな教会でアマチュア合唱団が練習している様子を見るハンナとマイケル。
ハンナは後ろのベンチに座って熱心に聴く。
合唱団の柔らかい柔らかい歌声が流れる。
( マリア・カラスのご大層な歌声より、こういう密やかな歌声の方が二へドンは好き。)

川で泳ぐハンナ。 マイケルは川岸に座って詩をノートに書き付ける。

大人になったマイケルのシーンに転換。
マイケルは当時のノートをめくって眺め、ちょっと微笑む。
その後マイケルは車を自分で運転して工事現場みたいな場所で車を降りる。
どこかの建物の中に入るマイケルに、他の男が声を掛ける。
「 バーグ先生。 306号法廷です。 」

***** 「 愛を読む人 」 - 前半 ・ 完 ****************

後半は別の記事に独立させます。
「 愛を読む人 」 - 後半 の記事はこちら →




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Posted by ニヘドン at 11:06│Comments(4)映画
この記事へのコメント
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
Posted by でぃすかっしょんしましょう at 2009年07月10日 09:18
> でぃすかっしょんしましょう様。

   コメントありがとうございます。
   貴方のおっしゃる通り、理路整然としていない部分が多かったですよね。
   ストーリーとしては完成度が低いと言わざるを得ません。
   やはり、これだけのスケールの大きい映画の中で
   登場人物の心の移ろいをきちんと描写しようとしたら、
   4時間~5時間は必要という事なんでしょうね。

   ただ、ニヘドンはブロガーとして日々、記事を更新していると
   言われなき非難にさらされる事ばかりで、
   この映画のテーマが
  「 自己矛盾は棚に上げて、他人の罪を糾弾する事に
    躍起になって生きて行く人間で
    この世は満たされている。」
   だと思うと、溜飲が下がったりなんかして。

   何も言わずに黙って自分の人生に幕を下ろしたハンナは、
   全ての人間の罪を背負って磔になった
   イエス・キリストの姿を彷彿とさせると思います。

   キリスト教的倫理観からこの映画を読み解いて行くと、
   案外、理解への近道かなと感じています。
   でも倫理観というものは、頭で考えて納得出来ない事も
   多いですから、日本人には肌で納得する事は難しいのkなあ?
   何はともあれ、これから時間をかけて、考えていきたいですね。

   でぃすかっしょんしましょう さん、具体的な例を提示して
   くれてあえいがとう!
   また何か他の映画を見たら、覗きに来て下さい!!

   
Posted by ニヘドンニヘドン at 2009年07月10日 11:06
ご回答ありがとうございます。
なかなかこの映画の主題に気づいている人がすくなくて、混乱してました。これからもブログがんぱってください。
ちゃんと見てる人がいることが分かりました。
ありがとうございました。
Posted by でぃすかっしょんしましょう at 2009年07月11日 15:34
> でぃすかっしょんしましょう 様。

   映画を見終わった後、貴方のように
   ちゃんと考えよう、理解出来なかった所を理解したい、
   と模索する人がいると、
   映画を作る人、配給する人はすごく励みになると思います。

   「 ドンドン日記 」は業界の人も多数読んでくれているので、
   また何か感じる事が有ったら、
   コメント欄に残しておいて下さい。
   きっと、作り手側に届きます。

   さあて、次は何の映画を見ようかな? ( 笑 )
   あ! 前回の私のレス、ものすごい変換ミスの嵐でしたね。
   申し訳ありません!! ( 恥 )
Posted by ニヘドンニヘドン at 2009年07月13日 11:54
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